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30、幸せな結婚生活。

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 目覚める前の夢と現実の間のような感覚で、閉じた瞼に光を感じる瞬間が好きだった。
まだ目を開けていない状態で、ふと自分ではない体温を隣に感じた。

自分より先に目覚めた体温が自分から離れていく。
今まであった暖かさが冷えた感じが寂しくて、うっすらと目を開けた。

「……テテ?」

まだ開き切らない瞼をこすりながら愛しい恋人の名前を呼ぶと、それに反応するかのようにそっと柔らかいものが唇に降りてきた。

……まではよかった。

そのまま思いっきり唇を開かされ、ぬるぬるしたものが口腔内を縦横無尽に暴れまくる。
息をするのを忘れるくらい苦しくなって、自分に覆い被さる何かをどんどんと叩きまくって、突き飛ばした。

「テテりん、どうした?なんか今日は変だぞ」

あまりの衝撃に、さっきまでの眠さも気怠さも全てが一瞬で吹っ飛んだ。
ぱっちりと開眼すると、そこは見慣れない風景だった。

「おはよう、我が妃よ。昨日は無理をさせてしまったかな?」

自分に声をかける人物に思わず体がこわばる。
にっこりと微笑む褐色の男が、さも愛おしそうに自分の頬を撫でていた。
自分を撫でる褐色の手は、太さも質感も自分と違う。何だか恐怖しかない。

「ち、近寄るな、それ以上!」

そう叫びながら、ベッドの端に慌てふためきながら逃げる。
そのまま頭から布団を被り、丸まった。これが夢なら早く覚めろと思いながら耳をふさぎ、目を固く閉じる。

何でこうなったのか、何で俺なのか、チャールズには全く理解出来ないでいた。



生まれてきた時から世界が自分のために動いていた。と、思っていた。
欲しいものは必ず手に入り、食べたい物も好きなだけ。そして嫌いなものは、いとも簡単に排除できた。
友達だって使用人だってそうだ、指をさすだけで側に置いておける。
だけど一度だけそれが叶わなかったことがあったな、そういえば。

10歳の誕生日パーティーで、そこに居るどれでも好きな者を婚約者に据えろと言われ、渡された写真付きの釣書。何枚も見ていく中で、めちゃくちゃ顔がタイプな、黒髪に目が止まる。
速攻でコイツ!と選んだのだが、ひどく暴力的でアレは婚約者に向かないと、会場入る前から皆に止められた。

順応で逆らわず、はいかイエスしか言わないものを選べと言われ、次に選んだのがアンセルだった。
キラキラな水色の髪を綺麗に切り揃え、10歳でもう仕上がった完璧な顔立ち。
大人しそうなのも尚も好みだったが、躾けてやろうと髪を引っ張っただけで、最初に選んだアイツが飛んで来て、俺を遠くまでかっ飛ばした。
そのまま極刑でもよかったが、何故か直ぐに釈放された。
納得がいかずパパに抗議に行ったが、『アンセルで我慢しろ、その件はもう触れてはいけない』と言われ、あの黒髪の事は忘れることにした。

だが時が経ちアンセルも成長する中で、順応どころか全く言うことは聞かないし、イイエかノーしか言わない。
可愛げもないと思っていたら、綺麗なだけの立派な男性に成長した。
身長は俺より10cmも高くなり、どこか筋肉質。それなのに着痩せするようで、表立っては儚い感じに見えるのも、無性にイライラした。
あの時無理を言ってでも黒髪にしとけばよかった。
嫁にするなら可愛い方が絶対いい。好き好んで何で自分より逞しい男を嫁にしなきゃならんのだ。
気持ちも態度も断固拒否していたが、一向に婚約を破棄されることはなかった。

だが学園に入ってから俺は運命の出会いをすることになる。
テテは平民だが、特別枠で貴族の学園に入学してきた。一目見て恋に落ちた。これはもう、運命だった。
フワフワした感じの雰囲気に、甘いお菓子が似合いそうな可愛い顔。男なのに俺より小柄で柔らかい身体。そして直ぐ泣くし、頼りなく守ってやりたくなる。
俺はテテにただ夢中になった。
もうテテのことしか考えられず、アンセルを排除し、テテと結ばれることしか頭になかった。
未だにそれのどこが悪いのかわからない。あっという間に俺は王太子ではなくなり、その責任のため『嫁ぐ』ことになったのだった。

もう愛しいテテには会えない。
テテは最後に俺じゃない男を選んだと聞いた。その男と獄中結婚をしたということ。
最初から俺のことなんて好きではなかったらしい。
そこで俺は最初から、誰にも好かれていなかったことに気がついた。

ひとりぼっちだったんだ。そう気がついたけど、もう今更遅い。


気がつくと褐色のデカい男はいなくなっていて、俺はまた眠ってしまったらしい。
ハッと起き上がると、もう既に日が高い位置に上がっていた。

ベッドからモソモソ這い出ると、まだ暖かい食事がテーブルに置かれていた。
でもなんだか食欲が湧かない。
何だか体がとにかく軋むようにだるい気がする。
ここにきてから現実を受け止め切れずに動揺しまくって、実は何も覚えていないのだ。
だが、『夫』となったアイツが怖くて仕方ない。体と心が勝手に拒否する感じ。
学園で同じクラスだった時はそんなこと思わなかった。
ただ、隣国からの留学生、こいつもどっかの王子なのかと思ったが、ほとんど関わりがなかったのに。
何故、俺を『嫁』に望んだのか。
アンセルが婚約式に着ていた物より立派な衣装を用意し、俺を迎えにきた『夫』の真意。

そして一体俺に何があったのか知りたい気もするが、思い出したくない気もする。

テーブルに置かれた食事に目をやるが、全く受け付けなさそうなので早々にベッドへ戻る。
暇なので今後の身の振り方や置かれた状況をじっと色々考えてみるが、ふと、逃げるか?と頭によぎる。

今なら誰もいない。
使用人たちはきっと俺がまだ寝ていると思っているはず。

緊張のせいかゴクリと喉がなる。

別にここの暮らしに不満があるわけじゃないが、不満が出るほど暮らしてもいない。
そもそも俺が嫁をもらうのはわかるが、何故俺が嫁なのか。
納得がいかなくて思わず唸った。

俺の唸り声に誰かが扉をノックした。

「お妃様、起きてらっしゃいますか?」

俺は返事もせずにまた布団に潜る。そうしていたらメイドが俺の様子を見に部屋に入ってきた。
布団の隙間からこっそりと様子を見ていると、ベッドの上に盛り上がった布団の状況を確認して、まだ俺が寝ていると思ったのだろう、冷めてしまった食事をもって部屋から出て行った。

部屋から遠ざかる足音に耳を澄ます。聞こえなくなったところで、ガバッと布団から飛び出た。
窓を確認すると、窓の外に小さめのバルコニーがあり、どうやらここは……結構な高さあるようだ。
何階かは分からないが、結構高い。
だが横に大きな木があって、飛び移ったら降りれそうな太さだ。……だが俺は木登りなんかしたことはない。
飛び移るほどの運動神経もあるか分からない。

……一か八か。
だがここから逃げたとして、誰かの世話になりながら生きてきた俺が、一人で生活ができるかと言えばできる気もしない。やってみなければ分からないなんて、勇気も湧いてこない。

「何なんだ、俺は。一人で何もできないじゃないか。」

何度も何度も反芻するように考える。何が悪かったのかと。
だがそれにもっと早く気が付いていれば、俺は変われていたのだろうか?
テテと幸せに暮らしていく方法だってあったのだろうか。

何だか情けなくて泣きそうになった。
窓の外を眺めながら立ち尽くす。

「情けないな、俺は何がしたいんだろ」

「確かに全裸で外を眺めるのは情けない格好だな。」

突然の自分以外の声に驚いて腰が抜けた。

「は?え、ぜん、全裸?」

思わず窓ガラスに映る自分の姿に『キャア』なんて情けない声を上げながら、また腰を抜かすほど驚いた。

「な、な、なんで、服はどこだ?てか、何で全裸⁉︎」

「そりゃ昨日は初夜で、熱い夜を過ごしたのだから、全裸でも仕方ないけどな。
流石にメイドが来る前にはローブでもいいから羽織っていてくれ。」

そう言いながら俺に布を差し出した。
それを慌てて奪い取り、体に巻き付ける。

初夜って単語に酷く動揺した俺は、『服を着る』ということさえ理解出来ていなかった。

「何?もしかして一人で服を着たことない?」

「なっ、バカにすんな!それぐらい……」

いっぱい考えたが、なかった。一人で服着たことない。なので着方が分からないがバレバレだった。

俺が真っ赤な顔で俯くと、それを見て『夫』は楽しそうに笑った。

「ははは、じゃあ俺が着方を教えてやろう。」

そういうと巻きつけていただけのローブを俺に教えるように着せ、ベルトを結んだ。

「明日からここに置いてるローブ自分で着れる?」

「うん……」

「よかった、お前の身体を俺以外に見せたくないんだよな。だから服ぐらいは着れるようになって。」

「うん?何で?」

「俺がただイヤだから。」

「……なんで。」

「普通イヤだろ、愛する妻の裸なんぞ誰にも見せたくねえもんだ。」

「あい、する?」

「そう、お前は俺の、愛する妻、だ。」

人差し指を自分と俺に交互に向けながら話す。

「いや愛なんてないだろ、ここに。これは俺の罪を償うためのもので」

「それに乗じて狙ってたものを、最もらしい理由をこじつけて拐っただけだがな。」

「ネラって……?サラった……?」

全くチンプンカンプンだ。
接点がないのに何でこいつは俺を欲しがった?

「生意気に吠えるだけの弱い生き物が、毒男に騙され利用されるのをずっと見ていたんだ。可哀想で、でも可愛くてな。」

「騙される俺が面白かったのか?」

「いや、早く果実が熟れて落ちてこないかと、下で手を広げて待っていただけだが?」

「趣味が悪い!」

「お前みたいな手がつけられない奴を手懐けるのが俺の愛なんだ。お前ならきっと受け入れてくれると思ってな。何なら力でねじ伏せられようが泣きながら反抗してくれそうで、本当に可愛いと思っているよ。」

「ヤダ!怖い!お前愛情のかけ方が特殊すぎて、怖い!」

ここで一つの謎、この夫が怖いと思う拒否反応の理由がわかった。
自分を見る目が意味がわからなくて怖かったのだ。
分かった今でも怖いのは変わらない。

ローブの裾をぐっと握りしめながら震える体。
そんな俺を愛おしそうに抱きしめ、『夫』は言った。

「どうせもう逃げられないんだから、無駄な事は考えぬように。
そもそももう手のひらに落ちてきたんだ、後は食べ頃まで待つだけだったしな。
あ、でも我慢できずに昨日早速、食べちゃったんだった。」

「ヒェ」

ここで体が軋む現実を脳が理解し、思わず両手で顔を覆った。
恥ずかしくて情けなくて、真っ赤な顔を両手で隠す俺を見つめながら、嬉しそうに微笑んだ。

「お前は俺の最高の妃だ、チャールズ。共に命尽きるまで、愛してるよ。」

意味がわからない。ただ彼の言っている意味に体が怯えて動かないのだ。
逃げたい。こんな所から逃げてしまいたい。だが、逃げられない気がする、絶対。

「……絶体絶命だ。」

思わず漏れる本音に、『夫』は満足そうに笑った。

ここで俺が数年後ぐらいに、偏った愛を押し付けるこの男に絆され、愛して愛され幸せに暮らしたという話は別のお話となるわけだが。
……とりあえず今、俺は初めて向けられた『愛』に、全力で人生を戸惑っている。
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