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「待ってください、あの方は……!」

私は母の腕から飛び出し父に詰め寄った。
父は私が言葉を繋げる前に先手を打ってくる。

「侯爵だ」

それはそう。
でも、いくら爵位が高くても命には代えられない。

「あなた、シルヴィを生贄にするつもりですの!?」
「違う!!」
「!」

初めて目の当たりにする両親の喧嘩に面食らいつつ、私は母に完全同意だと実感する。

田舎貴族の私ですら知っている。

カルメット侯爵の親友ノアム侯爵令息エドワール卿は酷い事故に遭い長らく寝たきりであり、ある時期から目覚めはしたが記憶を失っていた。
それが今年に入り、次第に断片的な記憶が蘇ってきたというエドワール卿が、あれは事故ではなく親友に殺されかけたのだと言い出した。

若き貴公子の殺人未遂。
恐ろしい噂は国中を駆け抜けた。

カルメット侯爵は現在、子煩悩として有名なノアム侯爵によって訴えられている。
城から出られないのも納得だ。

「……人殺しですよ……?」

私の声が震えている。
シュヴァリエ伯爵家で無数の視線に突き刺されるより、ステファンに疑われ罵倒されるより、ずっと根源的な恐怖。

親友を手に掛けようとする人が、自分の妻に何をするか……想像するのも恐ろしい。

「わ、わ、私を……どうするおつもりですか……!?」

父に聞いても仕方がないし、父は私の命を脅かしたりしない。
ただ、家の為に売り渡そうとしている。

「酷い……!」
「そう酷い話ではない」

では何故そんなに緊張して汗をかいているの?
私を危険な相手に嫁がせると自覚しているからでしょう?

「あなた、どう酷くないの?説明して」

母は何か思うところがあるのか冷静だった。
父が頷き従順に説明を始める。

「見ての通り、妻となるお前の生活、延いては人生が保証されている。結婚前の罪は今後結婚した場合の夫人にはなんら責任のないことと国王から恩情が示されている」
「……そう、ですか……」

生きていればの話だ。
殺されたら、罪も生活も恩情も何もない。

「結婚さえすればお前は忽ち侯爵夫人だ」
「……」
「そうなればシュヴァリエ伯爵家もナヴァーラ伯爵家も我がルブラン伯爵家には二度と強く出られない。安泰だ。慰謝料も取れるかも」
「……」
「跡継ぎを産めばカルメット侯爵家も安泰」
「……」
「お前のおかげで両家は救われる」

現実はそうなのかもしれない。
でも、私の気持ちがどうかなんて全く考慮されていない。

「親友を手に掛けるような人と……子供を作れって仰るの?」

私の声は恐怖より父への怒りで震えていた。
拳も震えている。
全身が震えている。

「いくら侯爵様だろうと嫌です」
「よく考えてみろ、シルヴィ。判決までに身篭れば侯爵家は完全にお前のものになる」
「嫌です!!」

涙も出ない。
私を、家を守る為の結婚の道具としか見ていない。

私は侯爵夫人という身分になんて興味はない。
ただ愛する人と生きていければそれで幸せだった。

「もう受けた。決まったんだ」

父の声が無慈悲に突き刺さる。

私は全てを失った。
娘として父を愛することさえ虚しい。父は私を愛していない。
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