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公爵家の隠し子

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「セレスタンが姫様の侍女と不貞を……? しかも不貞相手の為に姫様に怒鳴りつけただって……?」

 帰って早々、顔面蒼白の妻から告げられた話を聞いたヨーク公爵は、衝撃のあまりにその場に倒れそうになった。

「旦那様、倒れている場合ではありません。早々に姫様へと謝罪を。そして今後どうすべきかを考えなければなりませんよ」

 先ほど感情のままに振る舞ったせいか、公爵夫人はやけに冷静だった。
 
 そんな妻の様子に公爵は怪訝な表情を浮かべる。

「君は何でそんな冷静でいられるんだ……? この家ががまさに破滅の危機を迎えんとしているんだぞ? あの馬鹿息子はなんだってそんな愚かな真似を……!」

「破滅の危機を迎えんとしているからこそ、当主とその妻が冷静でいなくてどうするのです? それにセレスタンがどうしてそんな愚かな真似を、と申しましたけど、それはお義母様が生前余計なことを申したからですよ」

「それは聞いたが……。たとえセレスタンが母上の戯言を信じても、それで姫様を蔑ろにするという意味が分からん……。王家の姫君に見初められ、望まれたとすればそれは至上の名誉なのだぞ?」

 公爵にとってセレスタンの行動は全く理解が出来ないものだった。

 王家に忠誠を誓う臣下であり、高貴な血筋を尊ぶ彼にとっては王族の姫に見初められることは至上の名誉。
 なのにそれを嫌がり、姫を見下し蔑ろにするなど、どういう思考のもとにそうなるのかがさっぱり分からない。

 しかもそれは事実ではなく、前公爵夫人の妄想でしかないのだから余計に恥ずかしい。

「わたくしも貴方と同じ考えです。ですがセレスタンは違うのでしょう……。あの子にとって、姫様が見初めたというのは姫様の我儘と同義らしいです。そして望まぬ相手との婚約は苦痛でしかないと」

「……は? なんだそのは……! 望まぬ相手、というのは姫様も同じだろう? ヨーク公爵家の子息というだけで姫様と婚約が結ばれたのであって、姫様がセレスタンを選んだわけではないのだから」

「ええ、そうです。だいたい、その説明は婚約締結前にセレスタンにきちんと説明したはずですのに……」

 公爵も公爵夫人もセレスタンに婚約の意味をきちんと説明していた。三公爵家間の均衡を保つためだと。
 なのに老婆の妄言を信じ込み、王家の姫を見下し蔑ろにしていたのだ。頭に虫でも湧いていると思うくらいありえない行動である。

「はあ~……あいつがそんな愚かな奴だったとは。しかしこれは謝罪したくらいでどうにかなるものだろうか……」

「それはこちらの出方次第でしょう。旦那様、まさか謝り倒してセレスタンとの婚約を継続させようなんてお考えではありませんよね?」

 妻の指摘に公爵はぎくりと顔を強張らせる。

「いやそれは……だが、当家にはセレスタン以外に婿に出せるような息子はいないだろう? 当家と王家が縁付かねば三公爵家間の均衡が崩れるし、それは王家としても避けたいだろうし……」

 公爵の自分本位な考えに夫人は低く圧の籠った声で「はあ?」と返す。
 聞いたことのないような妻の声に公爵は思わずびくりと体を震わせた。

「三公爵家間の均衡を盾にセレスタンとの婚約継続を勧めると? 国のために姫様に鹿を婿に迎えろと? そんなことを言えば陛下のご不興を、まず間違いなく買いますよ。それにわたくしは反対です。セレスタンは婿入り先でも愛人との関係を続けるつもりでした。下手すれば”お家乗っ取り”を疑われかねません」

 貴族は伴侶との間に跡継ぎを設けてからしか愛人を持つことを許されない。
 今回のように、婚前からの愛人関係を結婚後も続けるとなると、その愛人との間に出来た子を跡取りに据えるという”お家乗っ取り”を疑われてしまう。

 この国で”お家乗っ取り”は重罪。未遂でも重い罰を与えられる。
 ましてやこの場合、乗っ取ろうとした家は王族の家だ。通常の貴族家を乗っ取ろうとした罪より重くなる。

「分かっていると思いますが”お家乗っ取り”は重罪。しかも相手が王族ともなれば……ヨーク公爵家の断絶を言い渡されてもおかしくありませんよ?」

「それは大げさではないか? セレスタンもまさかそこまで愚かでは……」

! あの子なら『好きな人との子を跡継ぎにしたいー』などという馬鹿な考えでお家乗っ取りをやらかしてしまいそうです! そうでなくても、何をするか予想がつかない阿呆を姫様の婿にするなど怖くてできません!」

 夫人の必死な叫びに公爵は唖然としてしまった。
 自分の息子がそんな幼稚な思考の持ち主だったとは思っていなかったのである。

 だがそこまで幼稚な思考の人間だったからこそ、王族の姫を蔑ろにするなんて真似ができたのだろう。

 そこまで考えて公爵は自分の考えが甘かったことを痛感した。

「……そうだな、私が甘かった。姫様に阿呆を宛がうわけにはいかんな……。しかし困った、三公爵家間の均衡を保つためにはどうしても当家から姫様の婿を輩出する必要があるのに……養子をとろうにも姫様に合う年齢の子息が一族にはいない」

 不運にもヨーク公爵家の分家には妥当な年齢の子息がいなかった。
 こうなればいっそ嫡男を姫の婿に……と考えているところへ夫人の声がかかる。

「いるではありませんか、一人だけ年齢の妥当な子息が。しかも彼は先代ヨーク公爵の直系でもあります。血の薄い分家よりもよほど相応しいかと」

「まさかそれは……私ののことか?」

「ええ、そうです。貴方と同じ、お義父様の血を引く正当なヨーク公爵家の令息。容姿も人格も申し分ないですし、姫様の婿として相応しいかと」

「いや、だが……弟はなんだぞ!? 庶子を姫様の婿にするなんて……」

「愛人といいましても、母君は貴族令嬢です。両親とも貴族であるなら庶子でも問題はないはず。それに貴方の弟ではなく、貴方の養子として迎えれば体裁は整いますよ」

 先代公爵は晩年親子ほどに年の離れた愛人を囲っていた。
 その愛人が産んだ子、現公爵の異母弟は先代亡き後公爵夫人が庇護している。

「お義母様への嫌がらせ目的で庇護しておりましたけど、まさかこのような形で役に立つ日が来ようとは……」

 満面の笑みを見せる妻に公爵は二の句が継げなかった。

 妻が姑と折り合いが悪いことは知っていたが、改めてそう言われると心中は複雑だ。

「旦那様、何を渋い顔をしていらっしゃるの? これ以外によい手がありまして?」

「……いや、ない。他に妥当な人間は確かにいない。それが最善だと言える」

「そうでしょうとも。ですがまだ決定というわけではありません。まず姫様へ謝罪に伺い、その時にこの話を提案という形で出すのです。それで姫様から了承いただければその方向で進めましょう」

「え? 姫様にか? 陛下ではなくて?」

「陛下はただいま外遊中で国内におりません。ですがお帰りまで待っていては後手に回ってしまいます。まずは当事者である姫様に謝罪とお話を、そして了承して頂いたのなら再度この話を陛下へと。よろしいですね?」

 有無を言わせぬ夫人の迫力に公爵は首を縦に振るしかなかった。

「もしも姫様が了承されなかった場合は……」

「その際は嫡男を差し出します。よいですね?」

 嫡男を差し出すなんて……と言いたい公爵だが、そんなことを言っている場合ではないことも理解している。
 自分の息子が姫に不敬を働いたのだ。最大限謝意を示さないと家の存続自体が危ういのだから。

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