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第二章 ノア
38、懺悔
しおりを挟むクラウスの言葉を頭の中で反芻すれば、私の中で薄れかけていた記憶が鮮明に蘇ってきた。
そうだ、あの日は冬の始まりだったけれど祭りの人混みで暑かった。だから私はアイスクリームが食べたかったのに、兄の希望に合わせてクレープになった。
それでも初めて食べるクレープにわくわくして受け取って、父達の後をついて行っていたら人にぶつかって落として踏まれてしまったのだった。
あまりにショックな出来事に私がわんわん泣いても、もう父達は何処かに移動していて誰も慰めてくれる人はいなかった。
それでも涙が止まらずしゃくりあげていた時、目の前に本当は食べたかったアイスクリームが差し出された。
『落としちゃったの?これまだ食べてないから君にあげる。』
『いいの?なんで?』
『うん。僕は注文を間違えてしまって食べたいものと違うんだ。だから、君が代わりに食べてくれと助かる。僕はまた買ってもらうから。』
『ありがとう!』
確かこんな会話だった。今ならあの時の彼が私に気を遣わせないように、注文を間違えたと嘘をついたのだと分かる。
その時の彼の顔も、やっと思い出した。
瞳の色は綺麗な深緑で笑顔がとても可愛かった。・・・あれ?黒い髪に深緑の瞳?以前、エルベでWデートした際に感じた既視感がパチッと頭の中で弾けた。
「もしかしてあの男の子は、クラウスだったのか・・・?」
「うん。僕も最近知ったのだけどね。」
そう言ってクラウスは、はにかんだ笑顔を浮かべた。
まさか、クラウスが私の初恋だったなんて。
諦めようとした途端に起こったこの奇跡。夢物語がとんでもない現実になったことにどうしていいか分からず、私はただ呆然と彼を見つめた。
「これで僕は君を初恋の人にとられる心配をしなくてよくなったんだ。ホッとしたよ。」
冗談めかしてそう言った彼は、何を思ったか突然その場にひざまづいた。それから私の手を宝物みたいにそっと優しく持ち上げ指先に唇を寄せた。
「ノア・ロサ子爵令嬢、僕と結婚して頂けませんか?・・・こうやって僕から君の気持ちを聞くのは卒業まで待つつもりだったけど、こんな横取りが計画されちゃうなら今しといた方がいいかなと。」
周囲に声にならない悲鳴が満ちる。
こ、こんな場所で結婚の申し込み?!それにしてもクラウスのこの余裕そうな笑み、やはり私の気持ちはバレバレになっていたのか。いや、でも、とにかく返事、早く返事をしなくては!
飛び跳ねる心臓と一緒にパニックに陥った脳で私はとにかく諾と言わなければと思い、口を開いた。
「は・・・」
「ちょっとお待ちになって!ノア様、早まってはいけませんわ。」
「まあ、ペトロネラ様?!ものすっごく良いところなのにいかがなさったの?」
私の返事はいきなりペトロネラにぶった切られ、令嬢達は頬を膨らませ、クラウスは目を細くして彼女を見た。
ペトロネラは必死の形相で私へ訴える。
「だって、クラウス殿下の初恋の方が現れたらノア様はどうなさるの?」
確かに今回の海の向こうの国の相手はデマだとしても、何処かにクラウスの初恋の人は存在しているわけだ。
その人が現れたからといって、まさかにポイ捨てはされまいが初恋の人へ愛が移り、私の存在は無となる可能性は否定できない。
その想像で私の脳は急速に落ち着き、同時にある事実に気付いた。
私は何か言いたそうなクラウスの手を離し、ペトロネラの前へ行く。手を取ってぎゅっと握れば彼女の顔が真っ赤になった。
私はしばし目を閉じてから彼女の顔をしっかり見上げて告げた。
「ペトロネラ嬢。海の向こうの国でクラウス殿下の初恋相手が見つかったという噂をベティーナ嬢にばら撒かせ、私の初恋相手としてディーノ先生を仕込んだのは貴方だろう?」
さっと青ざめたペトロネラは私に手を握られたまま項垂れた。
「なんで分かりましたの?」
「私に特に執着しているのはベティーナ嬢と貴方だけだった。で、ベティーナ嬢はクラウスの初恋相手の噂を『さっき知って』私に告げにきたのだから、彼女は使われている側だなと思ったんだ。そして先程貴方は『殿下の初恋の方が現れたら』と言った。まるで『海の向こうの国の』に居ないと知っている口ぶりだった。」
「そんなことでバレるなんて・・・」
打ちひしがれたペトロネラの様子に周囲は真実と悟って静まり返った。
「じゃあ、あの靴箱に入っていた手紙はペトロネラ様が?嘘だったなんて、私を利用するなんて酷い・・・!」
その場に混ざっていたベティーナが傷ついた声を出す。
「ベティーナ嬢、差出人が分からない手紙の内容を真に受けて、誰彼構わず言って回るのはどうかと思う。」
ついぼやいたら涙目でギッと睨みつけられた。
「ノア様も酷い!私のこと使われているだなんて貶めて!」
それを聞いて、いつの間にか立ち上がって私の後ろに来ていたクラウスが呆れたように言った。
「ナーエ子爵令嬢、君は真偽の定かでないことをさも本当のように言いふらしたことで、被害者じゃなくて加害者になったんだよ。」
「クラウス王子殿下、私はそんなつもりなかったんです!」
「では、どういうつもりだったのかな?」
「・・・どういうつもりって、そう、ノア様に教えてあげなくちゃっていう親切心です。」
「ふうん。ナーエ子爵令嬢、知ってる?君の婚約者は他に好きな人がいるよ。」
「えっ?!そんなはず無いです!先週も一緒にお茶しましたけどいつも通りで・・・」
あっさりと罠に掛かり慌てるベティーナにクラウスは冷たい視線を向けている。
「うん、嘘。でもドキッとしたよね?嬉しくはなかったでしょ?君が同じことをノアに言った時、彼女は僕に確認することもできず、随分と辛かったんじゃないかな。嘘か真かわからない状態でそんな思いをさせることが親切かな?」
ベティーナは何も言い返せず、悔しそうに私を睨みつけてきた。でも、クラウスが側にいて私の味方をしてくれている、それが私を強くしていた。
それに詳しい状況を知らないクラウスが、あの時の私の心境をこんなに思いやってくれている。私はそのことが涙が溢れそうなほど嬉しかった。
「ノア様・・・ごめんなさい。私、本当は貴方が手の届かない所に行ってしまうのが嫌だったの。それで、お父様に頼んでクラウス王子との婚約を破棄してもらって、ずっと私の側にいてもらえるようにしたかっただけなの!だって私はノア様が好きなんですもの!」
突然、ペトロネラが私の手を振りほどいて抱きついてきた。思わず投げ飛ばしそうになるも、相手は暴漢ではなくてたおやかな公爵令嬢だと踏みとどまる。
身体を強張らせて受け止めたが、彼女は私を傷付けるつもりはなさそうだったのでホッと息を吐く。そしてペトロネラの柔らかい身体を押し付けられながら考える。
全く気が付かなかったのだが、彼女の私への感情はちょっと度が過ぎる友情ではなくて愛情だったというのか?じゃあ、私は彼女になんと返せばいいのだろうか?
そのまま沈思する私の耳にカッカッと苛立ったような靴音が聞こえ、身体がグイッと引っ張られた。
「残念だったね、オーデル公爵令嬢。僕は何があっても絶対にノアを離さないよ。たとえ彼女が他の男を好きになっても、一生かけて彼女の気持ちを僕に向け直す。」
令嬢達のヒャーッという掠れた叫びに包まれつつ、今度はクラウスの腕の中に囲いこまれた私は頭をひねっていた。
ペトロネラの告白も衝撃だったけれど、クラウスの様子も変だ。
今までの彼にはここまで何がなんでも絶対にという感じは無かったはずだ。この婚約だって正式に認可されてはいるが、まだ公表はされていないし、私が卒業するまでに彼を好きになったらという逃げ道があったはずなのだが。
もはや逃げるつもりはないが、先程の言だと、既に退路がないように聞こえたのだが・・・?
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