神殿育ちの嫌われΩは、隣国の伯爵αに蕩ける愛を刻まれる

甘梨鈴

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第90話 ルシアンが欲しい

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 その夜、エマはナタリナに促されて、早々にベッドに入った。
「エマ様。明日も早いですから、しっかり寝て下さいね」
「うん。あ、明日も、その……変装するんだよね?」
「おそらくそうだと思います。ローズ様も、とても可愛らしかったですよ」
 ナタリナが微笑むと、エマは頬を赤くした。
「に、似合ってたかな?」
「ええ。それはもう。あのように美しい令嬢は、他におりませんわ」
 笑顔で褒めてくれるけど、ナタリナの場合は、ちょっと大げさなくらいに思ってた方がいい。
「……ルシアン様に、恥を掻かせたりしなかったよね?」
「もちろんです。デイモンド伯は、とても自慢気なご様子でしたわ」
 にっこりと微笑まれて、エマはますます頬が赤くなる。
 シーツをばさっと被って、顔を隠した。
 ナタリナのひいき目もあると思うけど……たしかにルシアンは、嬉しそうな顔で褒めてくれた。
「エマ様。恥ずかしがるところではありませんよ?」
「だって……僕、ちょっと浮かれてたもん」
 エマは小さく呟いた。
 ルシアンが甘い言葉を囁くたびに、すごくドキドキした。
 でも。
(美しいって、言ってもらえても……僕じゃ、ルシアン様の婚約者にはなれない)
 結局、エマはルシアンの恋人になりたかったのだと、心の内を思い知らされた。
 決して叶わない夢を、ひとときだけ叶える魔法。
 それが、今日の変装だったのだ。
(ルシアン様は、僕の立場を気遣って用意してくれたのに)
 ルシアンへの恋心を募らせるだけで、エマばかりが浮かれて楽しんでしまった。
 王立美術館の休憩室で、ルシアンに触れられたことも、甘い思い出だ。
(ルシアン様……)
 もっと、近づきたいと思っていた。
 それなのに、近づいたら、もっとルシアンが欲しくなった。
(僕って、すごくワガママだよね)
 今でも十分に幸せなのに、欲望には限りがない。
 許されぬ恋に身を焦がしながら、叶わぬ夢を見てしまう。
(僕は……ルシアン様が欲しい)
 一回きりで構わないから……ルシアンの腕に抱かれたら、どんなに幸せだろう。
 そんな甘い夢を見ながら、エマはルシアンを想って目を閉じた。
   


 + + +



 ルシアンが天耀宮の自室に戻ると、一足先に帰っていたティエリーがやってきた。
 護衛もつけず、ルシアンの了承を得ることなく椅子に腰掛ける。
 ティエリーは柔らかな生成りのシャツを着ているだけで、ベストもジャケットも羽織っていない。シャツの襟元を少し開け、貴族らしからぬ緩い服装で寛いでいる。
 その軽装を見て、ルシアンは眉をひそめた。
(まったく、だらしない)
 他国に来ているというのに、気を緩めすぎだ。
「ルシアン、聖樹との逢瀬はもう終わりか?」
「見ての通りだ」
 からかう声に、素っ気なく答えた。
 テーブルに用意された二つのグラスに、赤ワインを注ぐ。
 ティエリーは片方を手に取って、口を付けた。
 皇太子が、毒味もせずワインを口にするなど、本来あってはならない。
 だが、昔からいくら注意しても聞かないのだ。ルシアンの部屋にある物を信用している証だと思い、この件に関しては放っておいている。
「うむ。よく冷えているな」
 ティエリーは満足気に頷き、ルシアンに笑いかける。
「それで、聖樹とのデートはどうだった?」
「滞りなく終了した」
 ルシアンは表情を変えず、淡々と答えた。
 ティエリーに、エマとの甘い時間を話す義理はない。
「それだけか? つまらん奴だ」
「そっちこそ、王太子はどうだったんだ?」
「取引成立だ。政敵を片付ける証拠を手に入れる代わりに、俺の要求を呑んでもらった」
「こちらの事情は?」
「伏せている。まあ、勘づいているかもしれんが、何も尋ねてこなかった」
「そうか。王太子は賢いな」
「ああ」
 献上品のサファイア原石にまがい物が混じっていたことは、帝国の軍事情勢を鑑みて、重要機密として処理されている。
 皇太子のティエリーが自ら調査に乗り出したことも、ごく一部の者しか知らない。
 ダリウは、ティエリーの提案を不審に感じたかもしれない。だが同時に、願ってもない助けだったはずだ。余計な質問をせず、ティエリーとの取引をその場で成立させたダリウは、なかなか聡明と言える。
 こちら側の要求は、サファイア原石を、帝国ではなくティエリー個人に融通することだった。良質な原石を十分に所有できれば、財力と軍事力を上げることができる。
 そうすれば、ティエリーは皇太子の地位を固めることができ、煩わしい反皇太子派の勢力をそぎ落とせるのだ。ティエリーの部下であるルシアンも、色々と仕事が楽になる。
「では、私が動いても良いのだろう?」
「ああ。お前が指揮を執れ」
「帰国の日まで、あと四日か。王宮での情報は一通り集めたが、大した証拠は出てこなかった。第二王子から攻める手もあるが……面倒だ」






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