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第1章:忘れられる子ども
第2話『忘れられた声』
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教室の中は、雨が止んだあとみたいに湿っていた。
でも、外はまだ灰色の空で、窓を打つ小さな雨粒の音がときどき聞こえた。カーテンが揺れて、そのすき間から見える空は、重くて低くて、息をするのも苦しくなるような色だった。
「ねえねえ、昨日のテレビ見た?」
「見た見た! あれめっちゃ面白かったよね!」
「ねえ、あとで鬼ごっこしようよ!」
教室の中はいつもどおりの声であふれていた。
でも、その声の中にわたしの名前はなかった。
わたしはランドセルを机の横にかけて、席についた。背中のランドセルの跡が重く残っていて、肩が少し痛んだ。でも、それを誰かに言うことはなかった。わたしがここにいることは、誰にも関係のないことのようだった。
黒板の前で先生が話しているときも、わたしのノートだけが静かだった。鉛筆を持つ手がカタカタと震えていたのは、寒いせいじゃない。隣の席の子が、わたしの方をちらっと見てから、すぐに目をそらした。
「ななちゃん、質問ある?」
先生が黒板にチョークで丸を書きながら言った。けれど、それはわたしに向けられた言葉じゃなかった。クラスの誰かの名前を呼んでいるときも、わたしは手をあげることができなかった。胸の奥で何かがきゅっと小さく縮むような痛みがあって、声が出せなかった。
わたしの席の周りには、見えない壁があるみたいだった。
昼休みになっても、誰もわたしに声をかけてくれなかった。
りおちゃんが「一緒に食べよう」と言ってくれる日もあったけど、今日はどこかへ行ってしまったのか、姿が見えなかった。わたしは給食当番からトレイを受け取ると、そのまま自分の席へ戻った。
机の中から給食袋を取り出そうとしたとき、指先が冷たい水に触れた。
「……」
給食袋が濡れていた。触ったところだけが暗く色を変えて、水が滴って机の中に落ちていた。
いつから濡れていたのか、わからなかった。
誰かが水をこぼしたのかもしれない。でも、それを言うことはできなかった。言ったところで、誰も聞いてくれない気がした。
「ごめんね、ななちゃん、机の中濡れちゃった?」
そんな言葉を待っている自分がいることが、少し恥ずかしかった。
わたしは何も言わずに、濡れた給食袋をそっと机の上に置いた。トレイの上に置いたパンが少しだけ揺れて、小さな音を立てた。
教室の中は賑やかで、笑い声が飛び交っていた。
「わたしのプリン、あげようか?」
「ほんと!? ありがとー!」
「昨日のゲームの続き、放課後しようよ!」
わたしはパンをちぎって口に入れた。
パンは少し乾いていて、口の中の水分を全部吸い取ってしまった。牛乳を飲もうとしたけれど、ストローがうまくささらなくて、手元が震えた。ストローの先が牛乳パックの口を突き破って、少しだけ牛乳がこぼれた。
「あっ……」
小さな声が口から漏れたけれど、すぐにかき消された。
誰もわたしの方を見なかった。
わたしは机の上にこぼれた牛乳を、自分のハンカチで拭いた。水玉模様のハンカチは、白い牛乳で滲んで色が変わった。
ハンカチの端っこに刺繍された「なな」という文字が、少しだけぼやけて見えた。
窓の外を見ると、空は相変わらず灰色で、黒い雲が動いていた。遠くの電柱に止まったカラスが、じっとこちらを見ていた。
わたしはそのカラスに向かって、小さく笑いかけた。
「……」
何も聞こえなかったけれど、カラスは首をかしげただけで、また前を向いた。
昼休みが終わるチャイムが鳴ったとき、「あれ? なな今日いた?」と誰かが言った。
わたしの背中の奥がひやりと冷たくなった。
声をかけられたわけじゃない。
ただ、名前が口にされた、それだけだった。
わたしは自分の胸の奥に、小さな何かがポトリと落ちる音を感じた。
それが悲しいのか、嬉しいのか、わからなかった。
でも、外はまだ灰色の空で、窓を打つ小さな雨粒の音がときどき聞こえた。カーテンが揺れて、そのすき間から見える空は、重くて低くて、息をするのも苦しくなるような色だった。
「ねえねえ、昨日のテレビ見た?」
「見た見た! あれめっちゃ面白かったよね!」
「ねえ、あとで鬼ごっこしようよ!」
教室の中はいつもどおりの声であふれていた。
でも、その声の中にわたしの名前はなかった。
わたしはランドセルを机の横にかけて、席についた。背中のランドセルの跡が重く残っていて、肩が少し痛んだ。でも、それを誰かに言うことはなかった。わたしがここにいることは、誰にも関係のないことのようだった。
黒板の前で先生が話しているときも、わたしのノートだけが静かだった。鉛筆を持つ手がカタカタと震えていたのは、寒いせいじゃない。隣の席の子が、わたしの方をちらっと見てから、すぐに目をそらした。
「ななちゃん、質問ある?」
先生が黒板にチョークで丸を書きながら言った。けれど、それはわたしに向けられた言葉じゃなかった。クラスの誰かの名前を呼んでいるときも、わたしは手をあげることができなかった。胸の奥で何かがきゅっと小さく縮むような痛みがあって、声が出せなかった。
わたしの席の周りには、見えない壁があるみたいだった。
昼休みになっても、誰もわたしに声をかけてくれなかった。
りおちゃんが「一緒に食べよう」と言ってくれる日もあったけど、今日はどこかへ行ってしまったのか、姿が見えなかった。わたしは給食当番からトレイを受け取ると、そのまま自分の席へ戻った。
机の中から給食袋を取り出そうとしたとき、指先が冷たい水に触れた。
「……」
給食袋が濡れていた。触ったところだけが暗く色を変えて、水が滴って机の中に落ちていた。
いつから濡れていたのか、わからなかった。
誰かが水をこぼしたのかもしれない。でも、それを言うことはできなかった。言ったところで、誰も聞いてくれない気がした。
「ごめんね、ななちゃん、机の中濡れちゃった?」
そんな言葉を待っている自分がいることが、少し恥ずかしかった。
わたしは何も言わずに、濡れた給食袋をそっと机の上に置いた。トレイの上に置いたパンが少しだけ揺れて、小さな音を立てた。
教室の中は賑やかで、笑い声が飛び交っていた。
「わたしのプリン、あげようか?」
「ほんと!? ありがとー!」
「昨日のゲームの続き、放課後しようよ!」
わたしはパンをちぎって口に入れた。
パンは少し乾いていて、口の中の水分を全部吸い取ってしまった。牛乳を飲もうとしたけれど、ストローがうまくささらなくて、手元が震えた。ストローの先が牛乳パックの口を突き破って、少しだけ牛乳がこぼれた。
「あっ……」
小さな声が口から漏れたけれど、すぐにかき消された。
誰もわたしの方を見なかった。
わたしは机の上にこぼれた牛乳を、自分のハンカチで拭いた。水玉模様のハンカチは、白い牛乳で滲んで色が変わった。
ハンカチの端っこに刺繍された「なな」という文字が、少しだけぼやけて見えた。
窓の外を見ると、空は相変わらず灰色で、黒い雲が動いていた。遠くの電柱に止まったカラスが、じっとこちらを見ていた。
わたしはそのカラスに向かって、小さく笑いかけた。
「……」
何も聞こえなかったけれど、カラスは首をかしげただけで、また前を向いた。
昼休みが終わるチャイムが鳴ったとき、「あれ? なな今日いた?」と誰かが言った。
わたしの背中の奥がひやりと冷たくなった。
声をかけられたわけじゃない。
ただ、名前が口にされた、それだけだった。
わたしは自分の胸の奥に、小さな何かがポトリと落ちる音を感じた。
それが悲しいのか、嬉しいのか、わからなかった。
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