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第一章 暗闇は深く
第3話 すべての崩壊
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ずっと綱渡りのように立っていた私が、限界を迎えたのはその日だった。
新システム導入に関する検討会。
私は、運用体制についての説明を終え、スライドの前に立っていた。
プロジェクターの微かな音が、やけに大きく響いている。
机の上に並んだ資料をめくる音もなく、誰もがスクリーンに映るスライドを黙って見つめていた。
「……以上が、運用面の説明資料です」
再度つけ加えた言葉も空気に吸い込まれて消える。
指し示したスライドには、自分でも詰めきれていない部分が目につく内容が映っていた。
腕を組んで難しい顔をする上司の姿が視界に入るたび、胸の奥が締めつけられる。
この空気に陥ることは、正直予想はできていた。
_/_/_/_/_/_/
「あ、木崎さん。今度、新システムの導入検討会があるから。運用の説明、お願いね」
遡ること4日前。
残業中の私にそう告げたのは、上司の村上さんだった。
「導入検討会、ですか?」
思わず聞き返すと、村上さんは書類から目を離さないまま、淡々と続ける。
「そう。坂本さんの案件。運用部分だけやったらいいって聞いてるし、そんなに難しくないでしょう?」
それ以上の説明はなかった。
導入の目的も、全体の方向性も曖昧なまま、ただ「期限はたしか一週間後」とだけ告げられる。
「どういった内容を求められているんでしょうか?」
そう質問してみても「そんなの自分で考えて」と軽く流されてしまって私は困り果てていた。
正直に言ってしまえば、ほかの業務だけでも手いっぱいな現状。
けれど、断るなんて選択肢は最初から用意されていない。
私は結局、何をどこまで求められているのか分からないまま、手探りで準備を進めることになった。
_/_/_/_/_/_/
「すみません……この導入検討会の件で、少しお時間いただけませんか?」
エンジニアである坂本さんに声をかけたのは、翌日の昼休みだった。
忙しそうにしている背中に、恐る恐る言葉をかける。
「運用説明を担当することになったと聞いたんですが……。期限が来週までだと伺っていて。正直、何をどこまで求められているのか分からなくて……」
私の要領を得ない説明を聞いた坂本さんは、一瞬だけ動きを止め、静かに眉を上げた。
「……来週?」
短く聞き返したあと、少し考えるようにして続ける。
「それ違うよ。検討会は、三日後」
その一言が、心臓を鷲掴みにするように大きく響いた。
言葉を失ったまま立ち尽くす私に、坂本さんは困ったように首をかしげて、社内のカレンダーを見せてくれた。
「……まさか、まだ手をつけてない?」
責めるような口調ではなかったけれど、私は申し訳なさに肩を縮こませる。
何も答えられない私に、坂本さんは小さく息を吐いてから画面に視線を戻した。
「担当を変えるのはアシスタントの勝手だけど、仕事はちゃんとやってくれないと困るよ。期限は動かないからね」
淡々とした声だった。
その言葉の奥に、わずかな苛立ちが滲んでいるのが分かる。
「とりあえず、椅子持ってきて。手伝う時間はないけど、一旦一から説明するから」
厳しくも、手を差し伸べてくれた坂本さんの優しさに救われる思いだった。
その日から私は、寝る間を惜しんで作業に没頭した。
完成とは名ばかりの未熟なものだったかもしれないけれど、それでも限られた時間の中で、手を尽くしたのは確かだった。
_/_/_/_/_/_/
そして今、説明を終えた私は、社内レビューを受けている。
隣に立つ坂本さんが的確に質問に答えていく中、私の視線は足元に落ちたまま動かせない。
坂本さんが説明した新システムの構成や導入の流れについては、部長からも役員からも、確認程度の質問がいくつか出ただけで、大きな指摘はなく進んでいく。
「じゃあ……導入後の運用についてだけど」
部長が発した言葉がやけに冷たく聞こえる。
明らかに重たくなった部屋の空気に、息苦しさが強まった。
「木崎さん。この運用フローだけど、障害が起きた場合、最初に誰が判断する想定?」
こちらに向いた鋭い視線に、頭の中が真っ白になった。
「……えっと……」
障害対応については坂本さんに聞いていたから答えられるはずだったのに、重圧のせいか言葉がうまく出てこない。
「一次対応はアシスタントが受けて、内容によってエンジニアにお願いする、という認識で……」
なんとか言葉を出すけれど、言い終わる前に、部長の声が重なる。
「随分抽象的だけど、内容によってって、具体的には想像できている?」
「……それは……」
言葉に詰まった私の代わりに、坂本さんが口を開いた。
「その部分については、障害レベルを三段階に分けて判断する想定です。例えば——」
具体的で分かりやすい説明を受け、視線が私から坂本さんへと移っていく。
部長は一度頷いてから、再びこちらを見た。
「木崎さん。資料を作るだけ、みたいな仕事をしてるわけじゃないよね?」
言葉が、鋭く突き刺さる。
「今回は社内の検討会だから良いけれど、普段の資料は顧客に見せるものだろう?アシスタントだから分からない、は通用しないよ」
部長の言葉はごもっともで、返す言葉が見つからない。
集まる視線が突き刺さり、指先が小さく震えた。
「……今日はここまででいい。導入説明自体は問題ないから、運用面だけ補足資料を追加して進めてください」
「はい、申し訳ございませんでした」
情けない謝罪の声を最後に、レビューは終わった。
「お時間いただきありがとうございました」
坂本さんの声が聞こえる中、私は隣で小さく頭を下げることしかできなかった。
_/_/_/_/_/_/
参加者が足早に去っていく中、少し遅れて廊下に出た私は前方に坂本さんの背中を見つけた。
準備期間中も、今日のレビューでも、何度も助けてもらった。
迷惑をかけてしまったけれど、せめて、きちんとお礼だけは伝えたい。
距離を詰めようとしたとき、先輩と同僚が話す声が耳に入る。
「木崎さん災難だよな。あんなに詰められるとしんどいでしょ」
自分の名前が話題に出たことに驚き、私は声をかけるタイミングを完全に失った。
「まあな。でも正直さ、あれは木崎さんの自業自得だと思うんだよ。だって3日前に助けてくださいってどういうことだよ」
同僚に対して出た坂本さんの口調は軽かったが、その言葉は鋭く胸に刺さった。
「でも、お前結構フォローしてたじゃん」
「そりゃするだろ。アシスタントのせいで落としたら笑えない」
まるで殴られたような衝撃が全身を襲った。
胸の奥が冷たく、硬くなっていく。
――そりゃそうだ。
先輩はアシスタントに仕事を依頼したのに、私はその期待に応えるだけの準備も理解も、足りていなかったのだ。
「あ、おい坂本」
そのとき、同僚の男性が私に気づき、小声で坂本さんを呼んだ。
振り返った坂本さんは、私の存在に気づくと、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……聞いてた?」
何も言えずにいると、坂本さんは苦笑いを浮かべながら続けた。
「ごめん。全部が木崎さんのせいだなんて俺も思ってないよ。村上さんとの引き継ぎも上手くいってなかったみたいだし、時間のない中で頑張ってくれたとは思ってる」
それでも、と前置きして、彼は私に視線を合わせた。
「仕事として取り組む以上、誰もそんな裏事情なんて見てくれない。結果として今日の資料は君の評価を下げたと思う」
表面上は柔らかい口調だったが、やっぱり目の奥には苛立ちが隠れている。
「……はい、ありがとうございます」
そう、絞り出すのが精一杯だった。
「部署での人間関係も大切だと思うよ。木崎さんあんまり上手くいってないって聞くし」
横から同僚の男性が追い打ちをかけるように言った。
その言葉は、正直、とどめの一撃だった。
「……すみません。気をつけます」
視線を床に落とし、かろうじて答えた。
言葉を並べれば並べるほど、自分が無力で惨めに思えてくる。
「じゃあ、お疲れ様」
背を向けて歩き出した二人の後ろ姿から、再び声が漏れた。
「なんか俺らが悪者みたいだな」
「確かに。まぁ、そういうとこなんじゃねーの?評価されてない理由って」
その言葉に、私の中で何かが完全に凍りついた。
_/_/_/_/_/_/
第三話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!
次回もぜひよろしくお願いいたします。
新システム導入に関する検討会。
私は、運用体制についての説明を終え、スライドの前に立っていた。
プロジェクターの微かな音が、やけに大きく響いている。
机の上に並んだ資料をめくる音もなく、誰もがスクリーンに映るスライドを黙って見つめていた。
「……以上が、運用面の説明資料です」
再度つけ加えた言葉も空気に吸い込まれて消える。
指し示したスライドには、自分でも詰めきれていない部分が目につく内容が映っていた。
腕を組んで難しい顔をする上司の姿が視界に入るたび、胸の奥が締めつけられる。
この空気に陥ることは、正直予想はできていた。
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「あ、木崎さん。今度、新システムの導入検討会があるから。運用の説明、お願いね」
遡ること4日前。
残業中の私にそう告げたのは、上司の村上さんだった。
「導入検討会、ですか?」
思わず聞き返すと、村上さんは書類から目を離さないまま、淡々と続ける。
「そう。坂本さんの案件。運用部分だけやったらいいって聞いてるし、そんなに難しくないでしょう?」
それ以上の説明はなかった。
導入の目的も、全体の方向性も曖昧なまま、ただ「期限はたしか一週間後」とだけ告げられる。
「どういった内容を求められているんでしょうか?」
そう質問してみても「そんなの自分で考えて」と軽く流されてしまって私は困り果てていた。
正直に言ってしまえば、ほかの業務だけでも手いっぱいな現状。
けれど、断るなんて選択肢は最初から用意されていない。
私は結局、何をどこまで求められているのか分からないまま、手探りで準備を進めることになった。
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「すみません……この導入検討会の件で、少しお時間いただけませんか?」
エンジニアである坂本さんに声をかけたのは、翌日の昼休みだった。
忙しそうにしている背中に、恐る恐る言葉をかける。
「運用説明を担当することになったと聞いたんですが……。期限が来週までだと伺っていて。正直、何をどこまで求められているのか分からなくて……」
私の要領を得ない説明を聞いた坂本さんは、一瞬だけ動きを止め、静かに眉を上げた。
「……来週?」
短く聞き返したあと、少し考えるようにして続ける。
「それ違うよ。検討会は、三日後」
その一言が、心臓を鷲掴みにするように大きく響いた。
言葉を失ったまま立ち尽くす私に、坂本さんは困ったように首をかしげて、社内のカレンダーを見せてくれた。
「……まさか、まだ手をつけてない?」
責めるような口調ではなかったけれど、私は申し訳なさに肩を縮こませる。
何も答えられない私に、坂本さんは小さく息を吐いてから画面に視線を戻した。
「担当を変えるのはアシスタントの勝手だけど、仕事はちゃんとやってくれないと困るよ。期限は動かないからね」
淡々とした声だった。
その言葉の奥に、わずかな苛立ちが滲んでいるのが分かる。
「とりあえず、椅子持ってきて。手伝う時間はないけど、一旦一から説明するから」
厳しくも、手を差し伸べてくれた坂本さんの優しさに救われる思いだった。
その日から私は、寝る間を惜しんで作業に没頭した。
完成とは名ばかりの未熟なものだったかもしれないけれど、それでも限られた時間の中で、手を尽くしたのは確かだった。
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そして今、説明を終えた私は、社内レビューを受けている。
隣に立つ坂本さんが的確に質問に答えていく中、私の視線は足元に落ちたまま動かせない。
坂本さんが説明した新システムの構成や導入の流れについては、部長からも役員からも、確認程度の質問がいくつか出ただけで、大きな指摘はなく進んでいく。
「じゃあ……導入後の運用についてだけど」
部長が発した言葉がやけに冷たく聞こえる。
明らかに重たくなった部屋の空気に、息苦しさが強まった。
「木崎さん。この運用フローだけど、障害が起きた場合、最初に誰が判断する想定?」
こちらに向いた鋭い視線に、頭の中が真っ白になった。
「……えっと……」
障害対応については坂本さんに聞いていたから答えられるはずだったのに、重圧のせいか言葉がうまく出てこない。
「一次対応はアシスタントが受けて、内容によってエンジニアにお願いする、という認識で……」
なんとか言葉を出すけれど、言い終わる前に、部長の声が重なる。
「随分抽象的だけど、内容によってって、具体的には想像できている?」
「……それは……」
言葉に詰まった私の代わりに、坂本さんが口を開いた。
「その部分については、障害レベルを三段階に分けて判断する想定です。例えば——」
具体的で分かりやすい説明を受け、視線が私から坂本さんへと移っていく。
部長は一度頷いてから、再びこちらを見た。
「木崎さん。資料を作るだけ、みたいな仕事をしてるわけじゃないよね?」
言葉が、鋭く突き刺さる。
「今回は社内の検討会だから良いけれど、普段の資料は顧客に見せるものだろう?アシスタントだから分からない、は通用しないよ」
部長の言葉はごもっともで、返す言葉が見つからない。
集まる視線が突き刺さり、指先が小さく震えた。
「……今日はここまででいい。導入説明自体は問題ないから、運用面だけ補足資料を追加して進めてください」
「はい、申し訳ございませんでした」
情けない謝罪の声を最後に、レビューは終わった。
「お時間いただきありがとうございました」
坂本さんの声が聞こえる中、私は隣で小さく頭を下げることしかできなかった。
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参加者が足早に去っていく中、少し遅れて廊下に出た私は前方に坂本さんの背中を見つけた。
準備期間中も、今日のレビューでも、何度も助けてもらった。
迷惑をかけてしまったけれど、せめて、きちんとお礼だけは伝えたい。
距離を詰めようとしたとき、先輩と同僚が話す声が耳に入る。
「木崎さん災難だよな。あんなに詰められるとしんどいでしょ」
自分の名前が話題に出たことに驚き、私は声をかけるタイミングを完全に失った。
「まあな。でも正直さ、あれは木崎さんの自業自得だと思うんだよ。だって3日前に助けてくださいってどういうことだよ」
同僚に対して出た坂本さんの口調は軽かったが、その言葉は鋭く胸に刺さった。
「でも、お前結構フォローしてたじゃん」
「そりゃするだろ。アシスタントのせいで落としたら笑えない」
まるで殴られたような衝撃が全身を襲った。
胸の奥が冷たく、硬くなっていく。
――そりゃそうだ。
先輩はアシスタントに仕事を依頼したのに、私はその期待に応えるだけの準備も理解も、足りていなかったのだ。
「あ、おい坂本」
そのとき、同僚の男性が私に気づき、小声で坂本さんを呼んだ。
振り返った坂本さんは、私の存在に気づくと、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……聞いてた?」
何も言えずにいると、坂本さんは苦笑いを浮かべながら続けた。
「ごめん。全部が木崎さんのせいだなんて俺も思ってないよ。村上さんとの引き継ぎも上手くいってなかったみたいだし、時間のない中で頑張ってくれたとは思ってる」
それでも、と前置きして、彼は私に視線を合わせた。
「仕事として取り組む以上、誰もそんな裏事情なんて見てくれない。結果として今日の資料は君の評価を下げたと思う」
表面上は柔らかい口調だったが、やっぱり目の奥には苛立ちが隠れている。
「……はい、ありがとうございます」
そう、絞り出すのが精一杯だった。
「部署での人間関係も大切だと思うよ。木崎さんあんまり上手くいってないって聞くし」
横から同僚の男性が追い打ちをかけるように言った。
その言葉は、正直、とどめの一撃だった。
「……すみません。気をつけます」
視線を床に落とし、かろうじて答えた。
言葉を並べれば並べるほど、自分が無力で惨めに思えてくる。
「じゃあ、お疲れ様」
背を向けて歩き出した二人の後ろ姿から、再び声が漏れた。
「なんか俺らが悪者みたいだな」
「確かに。まぁ、そういうとこなんじゃねーの?評価されてない理由って」
その言葉に、私の中で何かが完全に凍りついた。
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