伯爵令嬢は身代わりに婚約者を奪われた、はずでした

佐崎咲

文字の大きさ
17 / 53
第2章 再会

第8話

しおりを挟む
 それからグレイとリディを中庭で見かけることはなかった。
 何の情報も入らないから、グレイが訪ねてきているのか、リディと会っているのかもわからなかった。

 カーティスを説得することは今はほとんど諦めていた。
 それでもフリージアは毎日閉ざされた部屋の中で必死に文献を読み漁っていた。

 力のことは一生つきまとう。
 フリージアのわがままで周りの人に迷惑をかけるようなことはしてはならない。
 だからどこで生きるにしても、力のことは把握しておかねばならなかった。

 どんな力なのか。どんな影響があるのか。どう制御したらいいのか。過去に聖女と呼ばれた乙女はどのようにしていたのか。
 それがわかったら、家を出るつもりだった。
 どうせ結婚もせず家の役にも立たないのだから、ここにいてもいなくても同じだから。

 時折気まぐれに鷹のような大型の鳥が窓をつつき、かまってほしそうにしていたが、窓を開けることはしなかった。
 リーンはカーティスに捕まってしまったのかもしれない。そう思っていたから。

 寿命だったのかもしれない。他の理由の可能性だってある。
 けれど、今のカーティスならやりかねないと思ってしまった。
 その可能性がある以上、フリージアに巻き込んでしまうわけにはいかない。
 フリージアになついてくれたようなのは嬉しかったが、これほど大型の鳥では、窓を開けて戯れていたら嫌でも目についてしまう。
 だからただの一度でも、窓を開けるわけにはいかなかった。

 そうして力についてはっきりしたことは一つもわからぬまま、ただいたずらに日々は過ぎた。
 カーティスを納得させられるだけの代替案も言葉も浮かばない。
 そして今日という日がやってきてしまった。

 一か月の謹慎が解かれた侍女たちも二日前に帰ってきて、せわしなく『フリージア』の支度を進めている。
 会場である新郎の家へと向かうために。

 今日は『フリージア』の結婚式。

 戻って来た侍女たちは今朝、フリージアの部屋へとやってきて「何もできず申し訳ありません」と目を潤ませた。

「謝ることはないわ。何も悪いことなんてしていないのだから」

 しかしそう言ったフリージアの笑みに力はない。
 白かったフリージアの肌はいまや青白いと言えるほどで。

 食事はきちんと摂っている。睡眠もとっている。そうでなければ何もいい考えなど浮かばないから。
 なのに、きちんと日の光を浴びていないせいなのか、フリージアは目に見えてやつれていた。

 邸の者たち総動員でリデイの支度を進める中、不意にドアをノックする者があった。

「フリージア。入るよ」

 カーティスだった。だがノックはいつものように荒々しくない。
 その声もどこか穏やかだった。
 答えを待たずにドアが開き、笑みを浮かべたカーティスがつかつかと部屋に踏み入った。

「リディの支度ができたよ。花嫁の姿をフリージアも見ておくといい」

 機嫌のよさそうな声だった。
 だがそれは、終わりを告げる声。

 これでグレイはリディのもの。
 二度とフリージアの手には入らない。
 そう告げたのだ。

 もはやフリージアはカーティスに対して何の感情も見せたくはなかった。
 悲しむ姿も、悔しがる姿も。意地で隠し通し、無表情を貫いた。

 それでもカーティスはご機嫌な笑みを崩さなかった。
 これですべて片が付くからだろうか。
 もう外に出たがるフリージアと言い争いをしなくて済むからだろうか。

 フリージアの中に自分でも知らぬ怒りのようなものが沸きあがってくるのがわかった。

「やっとだな……」

 それを知らぬカーティスは、笑みをたたえたままそっとフリージアの頬に手を伸ばした。
 触れる寸前、思わずフリージアはその手を強く払っていた。

 初めてのことだった。
 だがどうしてもカーティスには触れられたくなかった。

 カーティスは払われた手をそのままに呆然とフリージアを見ていた。
 それから少しだけ瞳がかげる。

 カーティスのそんな反応は意外だった。
 何故あれほどまでに冷たくしておきながら、自分が冷たくされれば傷ついたような顔をするのか。
 勝手だ。勝手すぎる。
 怒り、虚しさ、疑問、様々なものがもやもやと胸に沸いた。

 カーティスは何かを一つ諦めたようにゆっくりと瞬きをすると、ただ静かに声をかけた。

「行こう」

 立ち上がろうとして足に力が入らずよろける。
 カーティスがそれを支えようと手を伸ばしたのをかわすように、フリージアは自らの足で歩いた。
 カーティスはいつでも支えられるようにそばを歩いた。
 自分で閉じ込めておきながらこんなときだけ優しさを見せる。
 ちぐはぐで、でもそんなところは以前のカーティスと変わっていなくて、やるせなくなった。

 リディの支度部屋をノックし、「どうぞ」と答えがあるのを待ってから、カーティスが扉を開く。
 鏡台の前には、真っ白な花嫁衣裳を着せられたリディが静かな笑みを湛えて座っていた。

、準備は整いましたわ」

 そう告げたのは、リディだ。
 下町から連れて来られたはずの少女は、今はもうそうとはわからない。

 きっと、フリージアが部屋に閉じ込められている間にリディも今まで以上に厳しく監視され、追い込みとばかりに教育を受けさせられていたのだろう。
 今はどこからどう見てもフリージアにしか見えない。
 仕草も、口調も、その表情すらも。

 愕然とその姿を見るフリージアに、リディの視線がちらりと向いた。
 その目は以前のような溌溂とした目でも、勝ち誇るような目でもなかった。
 ただ静かにフリージアを見ている。

「完璧だな。あの男にはもうお前はフリージアにしか見えまい」

「何を仰っているんですか? 私はこの邸に来たときからずっと『フリージア』です。フリージアではなかったことなんて、片時もありませんでしたわ」

 フリージアに成り代わる。
 それはリディとしての人生を捨てるということだ。

「ほう。それは皮肉か? お前も侯爵夫人になることを望んでいただろう」

「はい。心からの望みです。ですが、すべて一人の男の言いなりなのだと考えたら、時々胸がクソ悪くなるときがありますわ」

 何を言われても今日のカーティスは苛立つことがないようで、怒るどころか、声を上げて笑った。 

「はっはっは! 何とでも言うがいい。今日がすべて。今日が終われば、もうあの男に煩わされることはないのだから」

 カーティスは大きく息を吸い、万感の思いを込めるように、そっと吐き出した。

「この家には前のような平穏な日々が帰ってくる。フリージアとお茶をし、他愛もない話に笑い合う。やっと。やっとだ」

 その言葉にフリージアは眉を顰めた。
 カーティスが変わってしまったのは、フリージアの力が発覚したことがきっかけだった。
 だからリディがグレイの元へ嫁いでしまっても、まだカーティスの態度は変わらないだろうと思っていたのに。
 何故今日が終わればいいのだろうか。

「本当、卑劣で小さい男ね……」

 リディがぽつりと呟いた時だった。
 にわかに廊下が騒がしくなり、それがだんだんとこちらへ近づいてくるのがわかった。

「……なんだ? 何事だ」

 カーティスが確認に向かおうと踵を返したその時。

 コンコン、とためらいのないノックの音が響いた。
 カーティスが「誰だ」と問えば、答えよりも先にドアが開けられた。

「失礼します。花嫁をお迎えにあがりました」

 現れたのは花婿の衣装に身を包んだ、グレイだった。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがない」 そう言われて王太子から婚約破棄された公爵令嬢ノエリア・ヴァンローゼ。 ――ですが本人は、わざとらしい嘘泣きで 「よ、よ、よ、よ……遊びでしたのね!」 と大騒ぎしつつ、内心は完全に平常運転。 むしろ彼女の目的はただ一つ。 面倒な恋愛も政治的干渉も避け、平穏に生きること。 そのために選んだのは、冷徹で有能な公爵ヴァルデリオとの 「白い結婚」という、完璧に合理的な契約でした。 ――のはずが。 純潔アピール(本人は無自覚)、 排他的な“管理”(本人は合理的判断)、 堂々とした立ち振る舞い(本人は通常運転)。 すべてが「戦略」に見えてしまい、 気づけば周囲は完全包囲。 逃げ道は一つずつ消滅していきます。 本人だけが最後まで言い張ります。 「これは恋ではありませんわ。事故ですの!」 理屈で抗い、理屈で自滅し、 最終的に理屈ごと恋に敗北する―― 無自覚戦略無双ヒロインの、 白い結婚(予定)ラブコメディ。 婚約破棄ざまぁ × コメディ強め × 溺愛必至。 最後に負けるのは、世界ではなく――ヒロイン自身です。 -

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします

葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。 しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。 ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。 ユフィリアは決意するのであった。 ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。 だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

処理中です...