伯爵令嬢は身代わりに婚約者を奪われた、はずでした

佐崎咲

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第3章 リークハルト侯爵家の秘密

第7話

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 リークハルト侯爵家にフリージアが嫁いできてから二週間になる。
 毎日が幸せなのに、フリージアは日を追うごとに不安になっていった。

 二人はまだ、夫婦として貴族の義務を果たしていなかったからだ。
 それどころか、まだ同じ部屋で夜を過ごしたことがない。
 結婚式の夜は、疲れているだろうからと部屋の前で別れた。
 だがその次の日も、またその次の日も、グレイはフリージアの額に優しくキスを落とすだけで、別の部屋へと行ってしまうのだ。

 最初は、やつれて見えたフリージアを気づかってくれているのだろうと思った。
 しかし、三日も経てばフリージアはすっかり回復していたし、今は毎日外に出ているおかげか、以前より体調がいいくらいだ。

 いつまでこのままなのだろうか。
 もしかしてグレイにその気はないのだろうか。……フリージアにがっかりしてしまったのだろうか?
 次第にそんな不安がおそってくるようになった。

「フリージア様、大丈夫ですか……? このところ、時折そんな風にぼんやりとしていらっしゃいますよね」

 廊下を歩いていたフリージアに、気づかわしげにそう声をかけてくれたのは、リッカだった。

「私、力になれるかどうかわかりませんけれど、お話を聞くことはできると思うんです。ですから、何かあればおっしゃってください!」

「ありがとう」

 勢いこんで拳を握り締めるリッカに、自然と笑みが浮かぶ。
 リッカはそんなフリージアに一瞬ほっとした顔をしたものの、はっとしたように慌てた。

「で、でも、何でも経験豊富そうなジュナさんの方がいいかもしれません! いえ、年をとってるとかそういうことじゃなくてええと、あ、三人三様な意見を持ってる三つ子の方が話しやすいかも――いやブライアンさんも時々鋭いことを」

 どこで息継ぎをしているのかというほど怒涛の勢いでまくしたてるリッカに、フリージアは思わず小さく笑いをもらした。

「リッカ。それなら、リッカに訊きたいことがあるのだけど。いいかしら?」

 止めるようにそう問えば、リッカは「は、はい!」とぱっと嬉しそうに笑んだ。
 二人はお茶の用意をしてフリージアの部屋へと向かった。
 リッカにお茶を付き合ってもらいながら、フリージアは意を決して口を開いた。

「それでね。あの。リッカに聞きたいんだけれど」

「はい! なんでしょう!」

 きらきらとした目がフリージアを見つめる。
 しかし――

「あの……、グレイ様って、その……ええと。これまで好きな方っていらしたのかしら?」

 やはり聞けなかった。
 未婚のリッカに夫婦のことなど聞けるわけもない。
 だからせめてグレイのことを知りたいと思ったのだが、問いかけられたリッカは、はっきりとわかるくらいに眉を下げた。

「好きな方……ですか。これまで聞いたことはありません。が、私にそういった方面を察する力がないだけかもしれません。すみません。お二人は仲睦まじくていらっしゃるから、恋愛事のお悩みとは思いもせず。でしゃばってしまいました」

 見るからにしゅんとうなだれてしまったリッカに、フリージアは慌てた。

「ううん、あの、私、グレイ様のことをまだ何も知らないからいろいろと知りたいなと思って。手紙のやり取りばかりだったでしょう? だから、リッカが知っているグレイ様のことを教えてくれる?」

「……! それなら、いくらでもお話しできます!」

 一転してぱっと明るい顔を上げたリッカに、フリージアはほっとして笑み、次から次へと出てくる話を相槌を打ちながら聞いた。

「グレイ様は使用人にもお優しくて、私が失敗ばかりしても追い出したりしないんです。前にリンゴをお持ちしようとしたら、うっかり握りつぶしてしまったときも」

「あ! その話は知っているわ。ジュースにして飲んだのでしょう?」

「そうなんです! グレイ様ったら、味は変わらないし、噛まなくて済むから楽だっておっしゃって」

 二人で笑って、リッカはティーカップをそっとそっと指でつまむようにして持ち上げた。
 ライカンスロープの血が入っているから、リッカは力が強いのかもしれない。

「本当にグレイ様は優しいのね。お邸の人たちがみんなグレイ様を慕っているのがよくわかるわ。いろいろと話してくれてありがとう。直接話すのとはまた違ったグレイ様を知ることができて嬉しい」

「お役に立てたなら嬉しいです! では私はお仕事に戻ります。私までお茶をいただいてしまって、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げたリッカはそうっとそうっとティーカップを持ち上げ、壊さなかったことに「よし!」と喜んだ。
 が、しかし、お盆へとそっと載せたところで取っ手がパリンと砕けてしまった。

「あ……」

「大丈夫? 怪我をしなかった?」

「は、はい。でも、ごめんなさい。やっぱり私はフリージア様付きの侍女だなんて、向いていません。繊細さがないんです。いつかフリージア様に怪我をさせてしまいそうで……」

 しょんぼりとうなだれるリッカの頭の上には、しおしおとへたれたもふもふの耳。
 実は先程取っ手が割れたときにぴょいんと出てきてしまったのだ。
 リッカはそのことに気付いていない。

「いいえ。グレイ様はきちんとわかっていたのよ。私がリッカを大好きになることも、リッカが私を明るい気持ちにさせてくれる、もっとも適任の侍女だということも」

「フリージア様……」

 目をうるませたリッカに、フリージアは微笑んだ。

「力のコントロールは、練習すればきっとできるようになるわ。でも人を明るい気持ちにさせられるのは、しようと思ってできることではないもの。私はいつもリッカに助けられているわ。楽しい毎日をありがとう」

「フリージア様……、私、フリージア様のこと、大好きです。精一杯お世話させていただきます!」

「ありがとう。私もリッカのこと、大好きよ。そのもふもふのお耳も」

「あ。出てた」

 言われて気が付き、慌てて耳を抑えるその手をフリージアが優しくとった。

「いいのよ。それがリッカの自然な姿なのだから。無理に隠すことはないわ」

「で、でも、気持ち悪いですよね、こんな耳……」

「いいえ? とってもかわいいわ。すごく触りたいくらい」

「え。ええ! いや、だめですだめです、耳は急所なので触られるとくすぐったいのです!」

「そうだったのね。気軽にそんなことを言って、ごめんなさい。でも……じゃあ、尻尾は?」

 諦めきれずに言えば、リッカははっとして背後を振り返った。

「で……出てる!」

 そこにはもふもふの尻尾があった。
 驚きにぴんと毛を逆立てる灰色の尻尾に、フリージアは興味津々だった。

「尻尾は……だめ、じゃ、ないですけど……」

「いいの? ありがとう、嬉しい!」

 ずっと動物たちとも触れ合えていなかったから、このもふもふに飢えていたのだ。
 こんなものでよろしければ、と尻尾を差し出したリッカに甘え、フリージアは、存分にもふもふを堪能した。

「奥様とは、違うのですね」

 ぽつりとした呟きにフリージアが顔を上げると、リッカは涙を必死にこらえて笑っていた。
 奥様、とはグレイの母親のことだろう。
 確かグレイが幼い頃に亡くなっていると聞いたが、リッカも知っているのだろうか。

「グレイ様が結婚したのがフリージア様で本当によかったです。家のためにと決まった結婚なのに、そんな風に言ってくれる方が来てくれるなんて、こんな幸運なことはありません。みんな……、みんな喜んでいます」

「私も、こんな私を受け入れてくれて嬉しい。お互い様なのよ」

 フリージアはリークハルト侯爵家に来て救われた。
 だからリッカも、使用人のみんなも安心してありのままで過ごせるようにしてあげたかった。
 そのためにフリージアも、みんなに信じてもらえるようにならなければ。
 そう強く思った。

   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 リッカと仲を深められ、もふもふも堪能し、満足して部屋を出たフリージアだったが、歩いているうちにまた歩みは速度を落とした。
 結局、あの悩みはまったく解決していないままなのだ。

 どうしよう、と暗澹たる気持ちで廊下をさまよい歩き、気付けば庭園へと来ていた。
 そこには、初めて見る男がいた。
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