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第3章 リークハルト侯爵家の秘密
第8話
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リークハルト侯爵家の庭園は、とても独特だった。
三つに分かれた花壇それぞれに趣向が違うのだ。
東には紫の花が敷き詰められるように咲いた花壇。
中央の大きな円形の花壇は、四つ葉のような形に花が配置されている。
西の花壇には、外周を白い花がぐるりと囲み、その中の様々な花や緑の葉は不規則でありながら実に調和のとれた絶妙な配置だった。
いつも人は見かけないのだが、その庭園に今日は先客がいた。
花壇の淵に腰を下ろし、火のついていない葉巻をくわえた大柄な男が長い足を投げ出して座っている。
長い前髪を無造作に分けているだけのどこかぼさっとした髪なのに、それが妙に似合う。
初めて見る顔だった。
「こんにちは」
男は、「おお」と無造作に手をあげてこたえた。
「で、誰だ?」
「フリージアです。先日この家に嫁いできました」
慌てて答えたフリージアに、男は口にくわえていた葉巻をはずした。
「あー、どうりで見ない顔だと思ったわ。俺はワッシュだ。庭師な」
「ワッシュ……、って、ドワーフの?」
思わず訊き返してしまった。
ドワーフと言えばフリージアが知っている身体的特徴は背丈が低いことくらいだが、ワッシュはどう見ても平均的な成人男性よりも背が高い。
だからここが庭園であっても、彼が庭師だとは思わなかったのだ。
「勉強熱心だねえ。邸の使用人、全員覚えてんのか?」
「はい。今はあまりできることもないので、せめてお邸のことは覚えようと」
「ってことは、俺が最後の一人だったのか。悪かったな、最近は温室にこもってたからよ。ちょいと試しに植えてみたやつが芽を出すか目を離せなかったんだよ」
何の含みもなくそう答えたワッシュに、フリージアはほっとした。
結婚式の日にグレイがワッシュは面倒くさいからと出迎えに来なかったとちらりと言っていたし、ずっと会わなかったので避けられているのかと心配していたのだ。
「温室もあるのですね」
「おお。今度、俺の苦労の結晶も見せてやるよ。で、俺がとてもドワーフには見えないってことが気になってんだろ?」
図星をつかれ、戸惑うフリージアを気にした風もなく、ワッシュは話し出した。
「たぶん、どっかでそういう血が入ってたんだろうな。みんなライカンスロープだとかハーピーだなんだと自称しちゃいるが、長い間に他にもいろんな血が混じってる奴は多い。だが自分の先祖なんぞ、そんなに遡っては知らねえからな。俺は父親がどっからどう見てもドワーフだったから、一応ドワーフなんだろうってだけだ」
そう言われれば、なるほどと思った。
こうしていろんな血を持つ人々が同じ邸の中に集まっていれば、なおさらだろう。
ワッシュのように先祖返りのようなことがあったり、見た目に特徴がなければそうとわからない人もいるのだ。
話が済むと、ワッシュは「おっこらしょっと」とおやじくさい掛け声をかけて立ち上がる。
「ちょいと離れてろよ。濡れるからな」
そう一声かけると、そばに置いてあった水のたまったバケツの中から、取っ手の付いた一回り小さな壺のようなものをひょいっと持ち上げた。
下には小さな穴がいくつもあいているらしく、細い水がさーっと流れ落ちる。
それをすぐさま花の上にぶんぶんと横に振るようにして水をかけた。
「おお、おお、育てよお前ら―」
葉巻をくわえながら、ぞんざいな手振りで水を撒いているように見えるが、ここまできれいに咲き誇っている花々を見れば、どれだけ手がかけられているかはわかる。
「あの。ワッシュはいつもどのように植える花を決めているのですか?」
「ああ?」
「花の匂いが部屋まで届くって手紙に書いてありましたが、今はあまり匂いの強い花はないようだったので」
「くせえってか? 俺がここの庭師である限り、苦情は受け付けねえ。俺は俺の好きなもんを植えたいんだよ」
なるほど。
ワッシュがなんとなくわかってきたような気がする。
別に匂いの強い花ばかりをたくさん植えてグレイにいたずらをしたかったわけでもなく、単にその時植えたい花をたくさん植えた花壇を作っていただけのことだったのだろう。
「今はこの花が一番の楽しみだな」
そう言ってワッシュは、にやにやと笑いながら一面に紫の花の咲き誇る東の花壇へと移動した。
「この花は?」
「おお。もう時期だな。これをいくつか摘んで、旦那のとこにでも持っていってやってくれ」
「私が摘んでいいのですか?」
「おお。ほらよ」
園芸用の刃先の短いはさみを受け取ると、フリージアは茎の長い紫の花を五本選んだ。
「そんなんじゃ足りねえな。もっと持ってけ」
「わかりました」
主人思いなのだろう。
いくつかの花瓶に分けて部屋の何か所かに置くのもいいかもしれない。
「これくらいでしょうか?」
「もっともっと」
言われるままに花を摘み、気付けば両腕で抱えるほどになっていた。
「こんなに……いいのですか?」
「おお。この花はこういうこともあろうかと、一か月前に植えたやつだからな。やっと役に立てて本望だろうよ」
最初は庭師らしくないと思ってしまったし、好きな花を植えているだけなどと言っていたが、ワッシュはいつもこうしてグレイのためにあれこれ考えながら花を選んでいたのかもしれない。
「でもこんなに切ってしまって……」
「いいんだよ。これは花瓶に活けた方が茎から水に液が溶けだして、部屋中に充満するからな」
確かに、あまりこの花は匂いが強くない。鼻先を近づけると甘い匂いがするが、これが水から広がるのだろうか。
想像するだけでも、気持ちが華やぐようだった。
「ありがとうございます。では、ワッシュの育てた大事な花、お預かりしますね」
「おおよ。あ、くれぐれも旦那の寝室に置くんだぞ。ベットの近くは多めに、部屋のあちこちに置けよ。わかったな?」
安眠の効果があるのかもしれない。
少し気分が上向きになったフリージアは、足取り軽く邸へと戻っていった。
途中、視線を感じて振り返ると、何故かワッシュがにやにやと笑っていた。
自分の育てた花が主の元に届けられることが嬉しいのだろうか。
フリージアはまだワッシュのことがよくわかっていなかったから、そうとしか考えなかった。
三つに分かれた花壇それぞれに趣向が違うのだ。
東には紫の花が敷き詰められるように咲いた花壇。
中央の大きな円形の花壇は、四つ葉のような形に花が配置されている。
西の花壇には、外周を白い花がぐるりと囲み、その中の様々な花や緑の葉は不規則でありながら実に調和のとれた絶妙な配置だった。
いつも人は見かけないのだが、その庭園に今日は先客がいた。
花壇の淵に腰を下ろし、火のついていない葉巻をくわえた大柄な男が長い足を投げ出して座っている。
長い前髪を無造作に分けているだけのどこかぼさっとした髪なのに、それが妙に似合う。
初めて見る顔だった。
「こんにちは」
男は、「おお」と無造作に手をあげてこたえた。
「で、誰だ?」
「フリージアです。先日この家に嫁いできました」
慌てて答えたフリージアに、男は口にくわえていた葉巻をはずした。
「あー、どうりで見ない顔だと思ったわ。俺はワッシュだ。庭師な」
「ワッシュ……、って、ドワーフの?」
思わず訊き返してしまった。
ドワーフと言えばフリージアが知っている身体的特徴は背丈が低いことくらいだが、ワッシュはどう見ても平均的な成人男性よりも背が高い。
だからここが庭園であっても、彼が庭師だとは思わなかったのだ。
「勉強熱心だねえ。邸の使用人、全員覚えてんのか?」
「はい。今はあまりできることもないので、せめてお邸のことは覚えようと」
「ってことは、俺が最後の一人だったのか。悪かったな、最近は温室にこもってたからよ。ちょいと試しに植えてみたやつが芽を出すか目を離せなかったんだよ」
何の含みもなくそう答えたワッシュに、フリージアはほっとした。
結婚式の日にグレイがワッシュは面倒くさいからと出迎えに来なかったとちらりと言っていたし、ずっと会わなかったので避けられているのかと心配していたのだ。
「温室もあるのですね」
「おお。今度、俺の苦労の結晶も見せてやるよ。で、俺がとてもドワーフには見えないってことが気になってんだろ?」
図星をつかれ、戸惑うフリージアを気にした風もなく、ワッシュは話し出した。
「たぶん、どっかでそういう血が入ってたんだろうな。みんなライカンスロープだとかハーピーだなんだと自称しちゃいるが、長い間に他にもいろんな血が混じってる奴は多い。だが自分の先祖なんぞ、そんなに遡っては知らねえからな。俺は父親がどっからどう見てもドワーフだったから、一応ドワーフなんだろうってだけだ」
そう言われれば、なるほどと思った。
こうしていろんな血を持つ人々が同じ邸の中に集まっていれば、なおさらだろう。
ワッシュのように先祖返りのようなことがあったり、見た目に特徴がなければそうとわからない人もいるのだ。
話が済むと、ワッシュは「おっこらしょっと」とおやじくさい掛け声をかけて立ち上がる。
「ちょいと離れてろよ。濡れるからな」
そう一声かけると、そばに置いてあった水のたまったバケツの中から、取っ手の付いた一回り小さな壺のようなものをひょいっと持ち上げた。
下には小さな穴がいくつもあいているらしく、細い水がさーっと流れ落ちる。
それをすぐさま花の上にぶんぶんと横に振るようにして水をかけた。
「おお、おお、育てよお前ら―」
葉巻をくわえながら、ぞんざいな手振りで水を撒いているように見えるが、ここまできれいに咲き誇っている花々を見れば、どれだけ手がかけられているかはわかる。
「あの。ワッシュはいつもどのように植える花を決めているのですか?」
「ああ?」
「花の匂いが部屋まで届くって手紙に書いてありましたが、今はあまり匂いの強い花はないようだったので」
「くせえってか? 俺がここの庭師である限り、苦情は受け付けねえ。俺は俺の好きなもんを植えたいんだよ」
なるほど。
ワッシュがなんとなくわかってきたような気がする。
別に匂いの強い花ばかりをたくさん植えてグレイにいたずらをしたかったわけでもなく、単にその時植えたい花をたくさん植えた花壇を作っていただけのことだったのだろう。
「今はこの花が一番の楽しみだな」
そう言ってワッシュは、にやにやと笑いながら一面に紫の花の咲き誇る東の花壇へと移動した。
「この花は?」
「おお。もう時期だな。これをいくつか摘んで、旦那のとこにでも持っていってやってくれ」
「私が摘んでいいのですか?」
「おお。ほらよ」
園芸用の刃先の短いはさみを受け取ると、フリージアは茎の長い紫の花を五本選んだ。
「そんなんじゃ足りねえな。もっと持ってけ」
「わかりました」
主人思いなのだろう。
いくつかの花瓶に分けて部屋の何か所かに置くのもいいかもしれない。
「これくらいでしょうか?」
「もっともっと」
言われるままに花を摘み、気付けば両腕で抱えるほどになっていた。
「こんなに……いいのですか?」
「おお。この花はこういうこともあろうかと、一か月前に植えたやつだからな。やっと役に立てて本望だろうよ」
最初は庭師らしくないと思ってしまったし、好きな花を植えているだけなどと言っていたが、ワッシュはいつもこうしてグレイのためにあれこれ考えながら花を選んでいたのかもしれない。
「でもこんなに切ってしまって……」
「いいんだよ。これは花瓶に活けた方が茎から水に液が溶けだして、部屋中に充満するからな」
確かに、あまりこの花は匂いが強くない。鼻先を近づけると甘い匂いがするが、これが水から広がるのだろうか。
想像するだけでも、気持ちが華やぐようだった。
「ありがとうございます。では、ワッシュの育てた大事な花、お預かりしますね」
「おおよ。あ、くれぐれも旦那の寝室に置くんだぞ。ベットの近くは多めに、部屋のあちこちに置けよ。わかったな?」
安眠の効果があるのかもしれない。
少し気分が上向きになったフリージアは、足取り軽く邸へと戻っていった。
途中、視線を感じて振り返ると、何故かワッシュがにやにやと笑っていた。
自分の育てた花が主の元に届けられることが嬉しいのだろうか。
フリージアはまだワッシュのことがよくわかっていなかったから、そうとしか考えなかった。
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