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第4章 来客
第3話
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その来客は唐突だった。
フリージアがグレイと森の散策に出かけようと玄関ホールにいたまさにその時、いきなりドバンッと扉が開け放たれた。
「やあやあやあ、元気かね諸君。ジェームズおじさんが来たよ、歓迎してくれたまえ」
そう言ってつかつかと邸に踏み入ったのは、燕尾服を着た男で、シルクハットに装飾のごてごてとついたステッキを手に持っていた。
長い黒髪の先を緩く束ね、切れ長の赤い瞳にモノクルといった、一度見たらしばらくは忘れられない強烈な印象を持った男だった。
その上たった数秒で押しも強そうだと誰にもわかる。
男は口元に笑みをたたえたまま、出かける間際だったグレイとフリージアに目を留める。
「おお、これは……、あー、我が兄弟の孫だか玄孫だかその孫だかわからんがとにかく遠い親戚の青年よ。久方ぶりだな」
「申し訳ありませんが私はあなたを存じません」
訝しげに眉を寄せたグレイに、男は気を悪くした風もなく「そうか」とあっさり頷いた。
「何年振りにここを訪れたのだったかも覚えていないからな。私が会ったのは青年の父か、祖父だったのかもしれん」
青年というには貫禄があり、壮年というにはまだ早いような若さに見える。
戸惑うグレイとフリージアに、男は名乗った。
「私はジェームズ。人間の社会には属していないから姓はない。だがこの家の先祖が私の兄弟でね、時折こうして懐かしく思い出して訪ねさせてもらっている」
「グレイ=リークハルトです。父と祖父以外の血族に初めてお会いしました。あなたは違う国からいらしたのですか?」
「ああ、そうだよ。この国では飛ぶとまずいからね。地道に陸路を進むのもなかなか風流でよいが、辿り着くのに一か月かかった。途中で飽きるかと思ったが、まあ、着いたな」
一人満足げに語り、ジェームズは「そういうわけで」とフリージアに目を移した。
「長旅で疲れた。ぜひ私をもてなしてくれたまえ」
そう言って、にっこりと笑みを向けた。
「あっ、あの、私はフリージアです。では、私が――」
言いかけたフリージアの前にさりげなくグレイが立つ。
「それはお疲れでしょう。当主である父に代わりまして、私がもてなさせていただきます。どうぞ、こちらへ」
「私は男にもてなしてもらう趣味はない。フリージアがいい」
「お断りします」
「なぜお前が断る」
「フリージアは私の妻ですから」
にべもなく答えれば、ジェームズは言葉を失い、ずしゃあっ――と、くずおれるように膝をついた。
「なん……だと? 青年よ……、お前はいくつになる?」
何の衝撃なのか。
なぜ歳を訊ねたのか。
「十八ですが……?」
「嘘だろう……。たった、たった十八年生きただけの小童が、番を得られて、何故私はいまだ一人なのだ……おかしい。この世の中はおかしい……腐っている!!」
寂しかった、のだろうか。
確かに長年生きていれば独り身はこたえるのかもしれない。
いや、長年生きていればそんなものはどうでもよくなりそうでもあるのだが。
「失礼ですが、おいくつなのですか?」
「五十をこえてから数えるのはやめた」
それは諦めるのが早くないだろうか。
「私だって妻が欲しい! 人でも魔物でも混血でもなんでもいい! 一人はもう嫌なのだ!」
そう叫ぶと、ジェームズは顔を両手で覆ってさめざめと泣き始めた。
邸内にはただ戸惑いだけが広がっていく。
誰もどうしたらいいのかわからない。
「はっ……! お前は本来の姿を隠しているのだな? だから受け入れられたのだ。だったら、私が教えてやろう。その男は」
「存じております。竜の混血であることは」
「な……に……? 竜だぞ? あの、牙が長く、鋭い爪の、恐ろしい姿の竜だぞ。本物の竜には、露店の土産物屋に並んでいる人形のようなかわいらしさなどないのだぞ!」
「はい、グレイ様のもう一つのお姿も見せていただきました」
「――それでも、この邸を去らないのか? 逃げようとは思わないのか」
「私はグレイ様をお慕いしておりますから。どのような姿でもその想いは変わりませんし、よりグレイ様を知れて私は嬉しいと――」
「じゃあ私と結婚してくれ!!」
ものすごい勢いのジェームズに、フリージアは思わずびくりとして口早に答えた。
「無理です申し訳ありません」
「なぜ一秒すら考えてくれないのだ! 竜の混血であることはそこの青年も私も同じだろう? だったら私でもいいではないか!」
「私はグレイ様がいいのです。グレイ様以外、考えられません」
「往生際が悪いですよ。他人の妻に手を出してはならないという人の世の理はご存じでしょう」
言いながら、にやけそうになる顔を必死にこらえているのが誰の目にも明らかなグレイに、ジェームズはぐぬぬぬぬぬっと歯噛みした。
「知るか!! なぜ私がこの国の法に従わねばならん? 老体に冷たいぞ、若人よ。竜の混血を受け入れてくれる者などそうはいないのだぞ!? 貴重な資源を独り占めする気か……! 幸せを分け合おうとは思わないのか!」
「フリージアは資源ではありませんし、この邸の者たちはフリージアと結婚していなくても幸せを分け合っておりますよ」
「ではそこに私も入れてくれ。ちょっと最近一人が寂しい」
「フリージアに何かするつもりが満々な方の滞在を許すわけにはいきません」
「いいだろう?! 一晩くらい人肌で温めてくれたって罰はあたるまい!」
「私が裁きを下しますし、そもそもそんなことはさせません。命を賭しても」
グレイの後ろでフリージアが顔を真っ赤にしているのがジェームズにも見えてしまったらしい。
その嘆きはいっそう激しくなった。
「ぐおおおおおおお!! なぜ私がお前たちのイチャイチャを見せつけられねばならん! 返り討ちか! 先祖の兄弟であり遠い親戚である私にそんな無体を働くのか!」
「遠すぎて親戚であるという感覚すらわきません」
「冷たい! もういい、帰る!」
うわああー、と涙の流れるままに泣き叫びながら、ジェームズは嵐のように去っていった。
「なんか……また来そうだな。邸の周りに見張りを置いてくれ」
執事が黙って腰を折り、拝承の意を示した。
もちろん、グレイの読みは正しかった。
フリージアがグレイと森の散策に出かけようと玄関ホールにいたまさにその時、いきなりドバンッと扉が開け放たれた。
「やあやあやあ、元気かね諸君。ジェームズおじさんが来たよ、歓迎してくれたまえ」
そう言ってつかつかと邸に踏み入ったのは、燕尾服を着た男で、シルクハットに装飾のごてごてとついたステッキを手に持っていた。
長い黒髪の先を緩く束ね、切れ長の赤い瞳にモノクルといった、一度見たらしばらくは忘れられない強烈な印象を持った男だった。
その上たった数秒で押しも強そうだと誰にもわかる。
男は口元に笑みをたたえたまま、出かける間際だったグレイとフリージアに目を留める。
「おお、これは……、あー、我が兄弟の孫だか玄孫だかその孫だかわからんがとにかく遠い親戚の青年よ。久方ぶりだな」
「申し訳ありませんが私はあなたを存じません」
訝しげに眉を寄せたグレイに、男は気を悪くした風もなく「そうか」とあっさり頷いた。
「何年振りにここを訪れたのだったかも覚えていないからな。私が会ったのは青年の父か、祖父だったのかもしれん」
青年というには貫禄があり、壮年というにはまだ早いような若さに見える。
戸惑うグレイとフリージアに、男は名乗った。
「私はジェームズ。人間の社会には属していないから姓はない。だがこの家の先祖が私の兄弟でね、時折こうして懐かしく思い出して訪ねさせてもらっている」
「グレイ=リークハルトです。父と祖父以外の血族に初めてお会いしました。あなたは違う国からいらしたのですか?」
「ああ、そうだよ。この国では飛ぶとまずいからね。地道に陸路を進むのもなかなか風流でよいが、辿り着くのに一か月かかった。途中で飽きるかと思ったが、まあ、着いたな」
一人満足げに語り、ジェームズは「そういうわけで」とフリージアに目を移した。
「長旅で疲れた。ぜひ私をもてなしてくれたまえ」
そう言って、にっこりと笑みを向けた。
「あっ、あの、私はフリージアです。では、私が――」
言いかけたフリージアの前にさりげなくグレイが立つ。
「それはお疲れでしょう。当主である父に代わりまして、私がもてなさせていただきます。どうぞ、こちらへ」
「私は男にもてなしてもらう趣味はない。フリージアがいい」
「お断りします」
「なぜお前が断る」
「フリージアは私の妻ですから」
にべもなく答えれば、ジェームズは言葉を失い、ずしゃあっ――と、くずおれるように膝をついた。
「なん……だと? 青年よ……、お前はいくつになる?」
何の衝撃なのか。
なぜ歳を訊ねたのか。
「十八ですが……?」
「嘘だろう……。たった、たった十八年生きただけの小童が、番を得られて、何故私はいまだ一人なのだ……おかしい。この世の中はおかしい……腐っている!!」
寂しかった、のだろうか。
確かに長年生きていれば独り身はこたえるのかもしれない。
いや、長年生きていればそんなものはどうでもよくなりそうでもあるのだが。
「失礼ですが、おいくつなのですか?」
「五十をこえてから数えるのはやめた」
それは諦めるのが早くないだろうか。
「私だって妻が欲しい! 人でも魔物でも混血でもなんでもいい! 一人はもう嫌なのだ!」
そう叫ぶと、ジェームズは顔を両手で覆ってさめざめと泣き始めた。
邸内にはただ戸惑いだけが広がっていく。
誰もどうしたらいいのかわからない。
「はっ……! お前は本来の姿を隠しているのだな? だから受け入れられたのだ。だったら、私が教えてやろう。その男は」
「存じております。竜の混血であることは」
「な……に……? 竜だぞ? あの、牙が長く、鋭い爪の、恐ろしい姿の竜だぞ。本物の竜には、露店の土産物屋に並んでいる人形のようなかわいらしさなどないのだぞ!」
「はい、グレイ様のもう一つのお姿も見せていただきました」
「――それでも、この邸を去らないのか? 逃げようとは思わないのか」
「私はグレイ様をお慕いしておりますから。どのような姿でもその想いは変わりませんし、よりグレイ様を知れて私は嬉しいと――」
「じゃあ私と結婚してくれ!!」
ものすごい勢いのジェームズに、フリージアは思わずびくりとして口早に答えた。
「無理です申し訳ありません」
「なぜ一秒すら考えてくれないのだ! 竜の混血であることはそこの青年も私も同じだろう? だったら私でもいいではないか!」
「私はグレイ様がいいのです。グレイ様以外、考えられません」
「往生際が悪いですよ。他人の妻に手を出してはならないという人の世の理はご存じでしょう」
言いながら、にやけそうになる顔を必死にこらえているのが誰の目にも明らかなグレイに、ジェームズはぐぬぬぬぬぬっと歯噛みした。
「知るか!! なぜ私がこの国の法に従わねばならん? 老体に冷たいぞ、若人よ。竜の混血を受け入れてくれる者などそうはいないのだぞ!? 貴重な資源を独り占めする気か……! 幸せを分け合おうとは思わないのか!」
「フリージアは資源ではありませんし、この邸の者たちはフリージアと結婚していなくても幸せを分け合っておりますよ」
「ではそこに私も入れてくれ。ちょっと最近一人が寂しい」
「フリージアに何かするつもりが満々な方の滞在を許すわけにはいきません」
「いいだろう?! 一晩くらい人肌で温めてくれたって罰はあたるまい!」
「私が裁きを下しますし、そもそもそんなことはさせません。命を賭しても」
グレイの後ろでフリージアが顔を真っ赤にしているのがジェームズにも見えてしまったらしい。
その嘆きはいっそう激しくなった。
「ぐおおおおおおお!! なぜ私がお前たちのイチャイチャを見せつけられねばならん! 返り討ちか! 先祖の兄弟であり遠い親戚である私にそんな無体を働くのか!」
「遠すぎて親戚であるという感覚すらわきません」
「冷たい! もういい、帰る!」
うわああー、と涙の流れるままに泣き叫びながら、ジェームズは嵐のように去っていった。
「なんか……また来そうだな。邸の周りに見張りを置いてくれ」
執事が黙って腰を折り、拝承の意を示した。
もちろん、グレイの読みは正しかった。
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