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覚悟―英文視点―
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「千蘭、今日お前によく似た娘が入宮した。いや……私が入宮させた」
大星殿の地下の御堂で、英文は一人座り込んでいた。
金細工に彩られたかつての愛妻の位牌の前で一人言を言っている時が、人生でもっとも穏やかな時間なのだ。
昼食後の一、二時間は暇な時が多いため、即位してからも毎日欠かさずに千蘭との対話の時間を取っている。
「お前の身代わりを、傾きつつある名家の娘にさせようとしている。まったく、とんでもないクズだな、私という男は。私が皇帝である以上、彼女は私の求めるままにしなければならないのに」
即位してからおよそ二ヶ月。
千蘭との思い出に浸り、また罪悪感に苛まれながら、ただ追憶と共に過ごした。
しかし皇帝となった以上、もうそんな自由な生活は許されない。
「千蘭、すまない。私が皇帝である限り、誰か一人だけを愛することは出来ても、その愛する人を唯一の妻とすることは出来ない。地位を投げ捨て、唯人になろうかと何度も考えたが……父上の遺言を、血統を裏切るような真似は出来ない」
ツーッと涙が両目からこぼれ落ち、英文の握りしめた拳に振りかかる。
皇帝としての責務を果たす覚悟を決めた今日は、胸が痛むがただそれだけである。
苦悩も迷いも無い。
懐から小刀を取り出し髪を一房切り、それを同心結びにする。
千蘭の位牌の前にそれを供え、英文は手を合わせた。
「人間だった私は死んだ。これより私は、舜の皇帝として良き為政者に、そして良質な種馬になろう」
ピシッとヒビが入る音が聞こえた気がした。
今まで心を支えていたものを自分自身で封じたことにより、何かが崩れていく。
覚束ない足取りで地下室から出てきた英文を見て、王苒が慌てて駆け寄った。
「お顔が真っ青です!今、太医をお呼びいたします」
「太医だけではなく皇后も呼んでくれ」
「皇后娘娘も?」
普段とは様子の違う英文に怪訝な顔をした王苒だが、略礼をすると大星殿を飛び出していった。
ほどなくして、英文付きの太医がやってくる。
さらに少し遅れて皇后がやってきたところで、英文は三人に椅子をすすめた。
「劉太医、私の体について二人に話してくれ。今後のことを話し合うため、情報は共有しておいたほうが良い」
体について、の一言で何かを予想したのか、皇后と王苒は顔色を悪くした。
「しかし……」
「この二人は信頼出来る。話せ」
「……御意。今まで隠しておりましたが……陛下は機能不全です。原因は心理的なものであり、回復の見込みはありますが、それがいつかはわかりません」
「だそうだ。私が夜伽を避けていたのは、千蘭への未練だけが原因ではない。夜伽をしようにも、出来なかった」
したいとも思っていなかった、という一言は飲み込む。
個人的な感情は封印すると決めた以上、余計なことは言わないように気をつけなければならない。
全員が衝撃と気まずさに口をパクパクとしている中、構わず英文は続けて言った。
「新しい小主を迎えた以上、夜伽を避けるのは不可能になった。そこで劉太医に頼みがある」
「何なりとお申し付けください」
「媚薬を作ってくれ」
その場の三人とも衝撃に目を見開くが、英文は気にすることなく返事を待つ。
「陛下、媚薬は禁制の品!事が露見した暁にはとんでもない醜聞となります!」
「劉太医、重々承知している。すべての小主との夜伽が済めば処分する」
「媚薬を用いた情交で妊娠した場合、胎児に影響が出る可能性があります。病気がちだったり、手足が欠損した御子が生まれるやもしれません」
「今必要なのは世継ぎではない。世継ぎを作ろうとしていると、内外に知らしめることが大事だ」
自分の声はこんなに無機質で冷ややかだっただろうか、とぼんやり考えていると、千李が複雑そうな表情で言った。
「覇道を歩まれるご決断をされたのですね」
「父上との約束だからな。千李……すまない。誓いを破ることになる」
英文が何に謝っているのか千李はすぐに気づき、おもむろに首を横に振った。
「こうなっては致し方ないでしょう」
感情の読めない声に、英文の胸がチクリと痛む。
千蘭亡き後、いつも千李との間に見えない壁を感じているが、今日は特に壁が厚い。
しかしそれについては考えないようにする。
「劉太医、命令だ。秘密裏に媚薬を作れ」
「……三日ほどお時間を」
「わかった。王苒、大星殿の備蓄庫から米を出し宴を開け。しばらくは粗食になるから、私からの労いという名目でだ。新しい小主と、妃嬪、それから皇太后も呼べ」
「御意。場所はどこにいたしましょう?」
「承福宮をお使いください。まずは小主達に後宮の雰囲気を掴んでもらわねば」
「皇后のお言葉に甘えよう。十九時には宴が始まるよう、二人で手配をしてくれ」
政務に戻ろうと椅子から立ち上がり、英文はもう一つ大事なことを思い出した。
「それから、木蓮も宴に呼んでくれ」
大星殿の地下の御堂で、英文は一人座り込んでいた。
金細工に彩られたかつての愛妻の位牌の前で一人言を言っている時が、人生でもっとも穏やかな時間なのだ。
昼食後の一、二時間は暇な時が多いため、即位してからも毎日欠かさずに千蘭との対話の時間を取っている。
「お前の身代わりを、傾きつつある名家の娘にさせようとしている。まったく、とんでもないクズだな、私という男は。私が皇帝である以上、彼女は私の求めるままにしなければならないのに」
即位してからおよそ二ヶ月。
千蘭との思い出に浸り、また罪悪感に苛まれながら、ただ追憶と共に過ごした。
しかし皇帝となった以上、もうそんな自由な生活は許されない。
「千蘭、すまない。私が皇帝である限り、誰か一人だけを愛することは出来ても、その愛する人を唯一の妻とすることは出来ない。地位を投げ捨て、唯人になろうかと何度も考えたが……父上の遺言を、血統を裏切るような真似は出来ない」
ツーッと涙が両目からこぼれ落ち、英文の握りしめた拳に振りかかる。
皇帝としての責務を果たす覚悟を決めた今日は、胸が痛むがただそれだけである。
苦悩も迷いも無い。
懐から小刀を取り出し髪を一房切り、それを同心結びにする。
千蘭の位牌の前にそれを供え、英文は手を合わせた。
「人間だった私は死んだ。これより私は、舜の皇帝として良き為政者に、そして良質な種馬になろう」
ピシッとヒビが入る音が聞こえた気がした。
今まで心を支えていたものを自分自身で封じたことにより、何かが崩れていく。
覚束ない足取りで地下室から出てきた英文を見て、王苒が慌てて駆け寄った。
「お顔が真っ青です!今、太医をお呼びいたします」
「太医だけではなく皇后も呼んでくれ」
「皇后娘娘も?」
普段とは様子の違う英文に怪訝な顔をした王苒だが、略礼をすると大星殿を飛び出していった。
ほどなくして、英文付きの太医がやってくる。
さらに少し遅れて皇后がやってきたところで、英文は三人に椅子をすすめた。
「劉太医、私の体について二人に話してくれ。今後のことを話し合うため、情報は共有しておいたほうが良い」
体について、の一言で何かを予想したのか、皇后と王苒は顔色を悪くした。
「しかし……」
「この二人は信頼出来る。話せ」
「……御意。今まで隠しておりましたが……陛下は機能不全です。原因は心理的なものであり、回復の見込みはありますが、それがいつかはわかりません」
「だそうだ。私が夜伽を避けていたのは、千蘭への未練だけが原因ではない。夜伽をしようにも、出来なかった」
したいとも思っていなかった、という一言は飲み込む。
個人的な感情は封印すると決めた以上、余計なことは言わないように気をつけなければならない。
全員が衝撃と気まずさに口をパクパクとしている中、構わず英文は続けて言った。
「新しい小主を迎えた以上、夜伽を避けるのは不可能になった。そこで劉太医に頼みがある」
「何なりとお申し付けください」
「媚薬を作ってくれ」
その場の三人とも衝撃に目を見開くが、英文は気にすることなく返事を待つ。
「陛下、媚薬は禁制の品!事が露見した暁にはとんでもない醜聞となります!」
「劉太医、重々承知している。すべての小主との夜伽が済めば処分する」
「媚薬を用いた情交で妊娠した場合、胎児に影響が出る可能性があります。病気がちだったり、手足が欠損した御子が生まれるやもしれません」
「今必要なのは世継ぎではない。世継ぎを作ろうとしていると、内外に知らしめることが大事だ」
自分の声はこんなに無機質で冷ややかだっただろうか、とぼんやり考えていると、千李が複雑そうな表情で言った。
「覇道を歩まれるご決断をされたのですね」
「父上との約束だからな。千李……すまない。誓いを破ることになる」
英文が何に謝っているのか千李はすぐに気づき、おもむろに首を横に振った。
「こうなっては致し方ないでしょう」
感情の読めない声に、英文の胸がチクリと痛む。
千蘭亡き後、いつも千李との間に見えない壁を感じているが、今日は特に壁が厚い。
しかしそれについては考えないようにする。
「劉太医、命令だ。秘密裏に媚薬を作れ」
「……三日ほどお時間を」
「わかった。王苒、大星殿の備蓄庫から米を出し宴を開け。しばらくは粗食になるから、私からの労いという名目でだ。新しい小主と、妃嬪、それから皇太后も呼べ」
「御意。場所はどこにいたしましょう?」
「承福宮をお使いください。まずは小主達に後宮の雰囲気を掴んでもらわねば」
「皇后のお言葉に甘えよう。十九時には宴が始まるよう、二人で手配をしてくれ」
政務に戻ろうと椅子から立ち上がり、英文はもう一つ大事なことを思い出した。
「それから、木蓮も宴に呼んでくれ」
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