3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

東国2。

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「ふーん、おまえああいうのが好きなんだ」

夕食までの間、守ノ内は病床の司教の元へと招き入れられた。その間に暇だしとパキラに声をかけられ夕暮れの街並みへと出ていた。
花屋の前でびたりと足を止める雪妃に眉を寄せ、店じまいに表へと男が顔を出すや否や引き摺られるように脇道へと押し込まれて、パキラは憮然と窺う背を見下ろした。

「弱そうな男だな、意外」
「そうですよ、昔はそりゃあ好きだったんですよ」
「ふーん、昔なのか」
「だって、二十年近く一緒でもさ、もう互いに干渉なしだったんだよ。好きも嫌いもないでしょ」
「ふーん、そんなもんなのか」

こそこそと様子を窺う顔に緊張の色があった。つまらなそうに見遣った亜麻色の頭を小突いて、パキラは溜息を漏らす。

「そんなら行くぞ」
「え、待ってよ。もうちょっと」
「煩えな、なら話してくりゃいいだろ」
「馬鹿者、何を話すんじゃ、夫にクリソツでえ~とか言うの?不審者じゃん」
「知らねえよ、もう既に不審者だよ」

どかりと肩を押されて出ると、おやと花屋の店員は目を瞬かせた。
バツが悪そうに曖昧に笑んで、雪妃はどうもと頭を下げた。

「さっきの中枢さん、もう大丈夫?」
「へ、へへい。この度はご迷惑を」
「ううん、びっくりしたけどね」

優しく笑う顔に言葉を失くしてしまう。
爪先で革靴を蹴られ、雪妃はマゴマゴと居心地悪そうに花屋の側まで歩み寄った。
ウルノと名乗った男は、沢山の花に囲まれた中で申し訳なさそうに頭に手をやった。

「泣かせちゃったのかと焦ったよ、ごめんね、何か僕悪かったかな?」
「いえ、いえいえ違うんです。わたしが勝手に、色々とその」
「そう?お詫びに好きな花持って帰ってよ。彼氏に選んでもらう?」
「は、ははあ。ありがとうございます」
「彼氏じゃねえし、花も要らねえだろ」
「あら、そうだよね。守ノ内中佐と確か…」
「おぶ…良いんです、お花、お花ください。お勧めのやつを」
「お勧めね、今だとこれかな」

渋い顔のパキラに微笑んで、ウルノは大輪の白い花を一輪差し出した。

「初夏の雪、綺麗だよね。僕もこれが好きなんだ」
「あ、ありがとう、ございます」
「どういたしまして。可愛い子にはやっぱりお花が似合うね」
「は、はひ?それはまた、どうも」
「おい、お世辞だ、照れんな」
「あはは、可愛らしくて良いね。雪妃ちゃん、また来てね」

ぽんと頭を叩かれて、雪妃は赤く染まる自分に震えた。じわりと滲むような想いに、手の花をきゅっと握りしめてしまう。

(いやいや…違う、ときめいてはないぞ)

行くぞと腕を引っ張られて、手を振る夫に似た姿を放心状態で見遣った。

(呼び方まで同じか…何か、何かおかしい)

何やらぶつくさ言うパキラの声も耳に届かなかった。
世界を茜色に染め上げて太陽が沈んでいく。いつまでも手を振ってくれるウルノの姿が、その先に滲んで見えた。


***


ライトアップされた温水プールに浮かんで、雪妃は深く溜息を吐いた。
珍しく夕食も進まなかった。胸がいっぱいでどうにも息苦しい。
艶かしい肢体を紺の水着に包んだヴィラルートが華麗にも泳ぐ様を眼福と拝みつつも、気は遠くに馳せられてしまう。

「サービス精神旺盛な聖女様で有難いですねえ」
「うむ…目に焼き付けて帰ろう」

隣で鼻の下を伸ばすアンシェスに、雪妃もニヤけた顔を聖女へと向けた。
渡された白い水着は胸元にフリルをあしらった可愛らしいデザインで、そういやまだ子どもだもんな、と色気のかけらもない己の身と比べてもそう思い込む事とした。

「結局は中佐ですよね、羨ましいなあ」
「うむ…狡いですなあ」
「おい、勝永さんから聞いたろ。ふやけてないで警戒してろよ」

幼い顔には不釣り合いな逞しい上半身を晒して、パキラは遠方へと視線を飛ばす。
病床の司教はまだ若いながらも衰弱した様子で、お気を付けをとだけ告げたらしい。何をと聞くまでもなく、溌剌とした美貌を見せつけてくれるヴィラルートは御歳八十路との事で、それだけでも十分だった。

「大陸の秘術ですかねえ、高く見ても三十路なのになあ」
「うむう…」
「全然いけますよね、女性は凄いなあ」

プールサイドで寄り添うふたつを見遣って、それよりも脳裏に浮かぶ姿に雪妃は辟易と顎まで水面に浸かった。

「まずいなあ…」
「録事殿は旦那さんの方ですか?気になるものなんですねえ」
「いやあ…正直よう分からんよ。分からん」
「あはは。長年連れ添ってたんですもんね、また好きになっちゃうんですか?」
「やめたまえよ、そんなんじゃないよ」

ぱしゃと水面を叩いてアンシェスに渋面を向ける。見た目が似てるからといって今更どうこうなるはずもなく、そもそももうそんな感情もないはずだった。

「懐かしい顔だからね、それだけだよ」
「そうしてもらいたいなあ、軍曹に当たられるのは僕なんだから」
「おい、くっちゃべってないで上がれ。遊びじゃねえぞ」

ピリピリとした雰囲気のパキラへとふたりは肩を竦める。夜空には満天の星と、歓迎の証にと華やかな花火も打ち上げられていた。

「中佐も、折角良い雰囲気なのに結局はあれなの、どうなんですかねえ」
「ホホ…御歳を知れども、あれは離れられないでしょうよ」
「まあそうですけど、録事殿も大変ですねえ」

名残惜しげにプールから上がるアンシェスは、苦笑しながら手を差し伸べてくれる。礼を言って雪妃も温い水面から上がり出た。

「綺麗な夜空に花火に水着ですよ。録事殿、僕らも寄り添いますか」
「ほへえ?アンちゃん…虚しいもの同士で慰め合うかい」
「あはは、その前にぶん殴られそうですねえ」

肩に触れた手にトンと押されて、のわと雪妃はパキラにぶつかる。ギョッとしながらも渋い顔は両手を上げて低く吐き捨てた。

「寄るなよ変態」
「おう、すまんな少年」
「はあ、アンシェスは入り口側立ってろよ」
「はいはい、軍曹も今のうちですよ」
「何がだよ、早く行け」

のろのろと移動するアンシェスに細い眉は持ち上がった。綺麗だねと花火を見上げる雪妃に舌打ちして、パキラは思い切り視線を逸らした。
打ち上げられる花火は橙色。見慣れたものとよく似ていた。

「警戒って、何を警戒するの?」
「分かんねえから警戒すんだよ、ここの監視の目もあったろ」
「そうなのか、平和そうなのにね」
「平和だろうよ、こんだけ警備されてちゃな」

巡回する紺のスーツを苦くも見下ろす。
堅固な結界もあり獣の気配もない。それなのにあまりにも警備の数は多いように見えた。

「ここに何かあるんだろな」
「そうかあ、困ったもんだねえ」
「そうだよ、勝手に彷徨くなよ」
「へいへい、大人しくしときまさあ」

ペトペトとプールサイドを歩く後を追いながら、パキラはくしゃりとアイスブルーの頭をかいた。

「…なあユキ、花屋の奴さ」
「おん?」
「もう行くなよ、関係ねえんだろ」
「む、行かねえですよ。参っちゃうし」
「そうかよ、なら良い」
「似てるけど違う人だもんね、あっちも困っちゃうだろうし」

苦くも笑う顔は電飾の影に揺れる。
白い太ももから目を逸らしつつ、パキラはうぐと正面からの高い背の気配に息を詰まらせた。

「色良い情報は聞けなそうです、戻りましょうか」

ぱさりとタオルをかけてやりながら、守ノ内はにこりとする。

「おうおう、役得ご苦労さん」
「ええ。その花屋とやらの話、詳しく聞きましょうかね」
「何もねえですよ、お風呂いってもう寝るんだい」
「そうですか、ご一緒しましょう」

肩を抱く手をぺしんと払って雪妃はタオルをかき寄せた。良い体してやがる、と白い上半身を横目にペタペタと足音も高く足早にプールサイドを抜けていった。

「もう聖女さまはいいの?」
「ええ。口の硬いお方のようです」
「ホホ、守ノ内様の口説きにも答えないなんて、そりゃあ硬いですな」
「口説きませんよ、私はもうお嬢さんでいっぱいです」
「まあ嬉しい」
「もう、忘れないでくださいよ。私はお嬢さんを愛してるんですからね」
「ええ、ええ。存じております。光栄に存じます」

大判のタオルに包まって恭しくも振る舞う雪妃に、守ノ内は深く、息を吐いた。

「本当に、お嬢さんには参ってしまいます」
「はん?」
「ねえ…雪妃」
「は、はんじゃらほ?」
「愛してるんです、本当に」

背をきゅっと抱きしめる温もりに、ギョピと雪妃は跳ね上がった。案外筋肉質な体はいつも以上に強く脈動していて、久しぶりにごくりと息を飲んでしまった。

「は、はのね、勝永さん」
「流さないでくださいよ、ちゃんと受け止めてください」
「う、うむ。止めた、止めたよ」
「本当に?少しも手応えがありませんよ」
「そりゃあ、お互いね、色々とさ」
「その色々ごと愛してるんです、お嬢さん。そろそろ私も我慢してられませんよ」
「ぬ、ぬう。そうか」

長い事のらりくらりと躱しているだけだもんな、と雪妃は恐縮しながら歩き出す守ノ内に従った。

「お嬢さん、お風呂入ったらすぐ寝ちゃいますし、一緒に入って少しお話しましょうか」
「はへ?いえ、それはちょっと」
「大丈夫です、やらしい気持ちは少しだけですから」
「いやいや、お兄さん、お待ちなされ」

唖然とするパキラを残して、抱えるように守ノ内は微笑み行く。濡れたままの足で離れへと進み、そのまま客間の浴室へと押し込まれていった。


***


「そうですか、花屋が」
「うん…声も仕草も似てたから、それでびっくりしちゃって」
「成る程、理解しました」

雪妃は浴槽の縁に顎を乗せてふうと息を吐く。柑橘系の香りのする入浴剤が溶け込んだ黄緑の湯はほかほかと湯気を上げていた。
浴室の扉の磨りガラスの向こう、胡座をかいて寄りかかっているのだろう守ノ内の影が映る。

「お嬢さんが悲しんでいるの、初めて見ました」
「おお、そうだっけ…?」
「ええ。お嬢さんに涙を溢させるなんて、問答無用で斬る所でしたよ」
「物騒だね、やめてよね」

ざばりと湯から上がって雪妃はむうと唸る。

「あのう…そろそろ交代する?」
「おや、もう良いんです?」
「勝永、風邪ひいちゃうじゃないの?」
「私は平気なんですが、ご一緒しても良いんですか」
「い、いえ。交代でごわすよ」

タオルタオルと手だけを磨りガラスから出して催促する。
フッと小さく笑う声と共に腕を引かれて、タオルと、守ノ内の腕にふわりと包まれた。

「君、君ね。すっぽんぽんだから」
「どうせ夫婦になるんです、遅かれ早かれです」
「あのね、そうは言ってもだね」
「ふふ。温かいですね、お嬢さん」

亜麻色の髪から滴る雫がマットに滲んだ。
恥じらいなんてどこかへ置いてきてしまった雪妃も流石に気恥ずかしく、静かに抱きしめる腕の中で身動いだ。

(こやつも男なんだなあ…)

硬く締まった体に今更ながら実感させられる。冷えているだろうに温かな身が押し付けられて、雪妃は言葉を探すも中々出てこなくて、諦めて押し黙る事にした。

「…ねえ、雪妃」

耳元で囁くように守ノ内は小さく呟く。
雪妃は返事の代わりに低く唸って、こそばゆい吐息から逃れるように薄く筋肉の乗る胸板を押しやった。

「もう、我慢はなしでも良いですか」
「な、何の話よ」
「何って、色々です」
「色々ね、うむ…取り敢えずお風呂入ってきなよ」

頬から鎖骨へと滑ってくる唇に思わず震えてしまう。こんな時にポンと脳裏を過ぎる顔が忌々しくも雪妃は目を伏せて、肩を掴む腕をぎりと握りしめた。

「あのう、後が詰まってるので、続きはお部屋で願えませんかねえ」

小さく開かれる浴室への扉からの声に雪妃はひょえと後退る。苦笑する山吹色の頭の後ろに渋面も覗く。

「すみません、すぐ出ますよ」
「はいはい、まだあとふたり入りますからね、程々に」

アンシェスの呑気な声に、タオルを寄せてあげながら守ノ内も苦笑する。

「続き、お部屋でして良いんですって、お嬢さん」
「馬鹿者、はよ行きんさい」
「ええ、寝ないで待っててくださいよ」

徐に脱ぎだす守ノ内から慌てて目を逸らして、雪妃は溜息混じりに髪を拭いた。
曇った鏡を睨みながら熱風で髪を乾かしている間に磨りガラスはストンと閉まる。

(全く…気まま過ぎるんだから)

ちらと窺いながら手早く体も拭いて下着を身につける。前合わせの浴衣のような寝衣の帯を適当に巻いて、逃げるように浴室から飛び出した。

「邪魔して悪いですね、録事殿」
「いえいえ、良いタイミングよ」
「僕らには刺激が強いので困ってしまいますねえ、壁が厚いと良いなあ」
「おおい、やめたまえよ。何もないから」

揶揄ってきそうな空気を察して、早々に寝室の方へと逃げ込んだ。しんと静まった暗闇に差し込むのは、仄かに運河を照らす明かりだった。

(おや、あれは…)

暗がりに認めたのは帽子を被った姿。
嶺岸だったか、身軽にも塀を乗り越えるふたつの迷彩柄が、すぐに紺色のスーツ姿に囲まれる様子をありゃまあと眺めた。

「果敢な記者さんですね」
「うおう、うむ…正面突破とは中々」

いつの間にか背後で窓を覗く守ノ内にびくりと肩が上がった。

「どう思います?中に入れてやって、騒いでもらった方が良いですかね」
「むむ、入れてもらえるのかなあ…」
「後ろめたい事でもありますかね、ここは」

何やら抗議しているような嶺岸の反対側を静々と歩くヴィラルートを見ながら、守ノ内は顎に手を当て首を傾げる。

「また屋根にでも登ります?」
「おお、情報収集ね、行くかね」
「私は続きをしたいんですが、仕方がありませんね。行きますか」
「うむうむ、続きなんていつでも出来るしね」

嬉々として窓を開ける雪妃に守ノ内は苦笑を浮かべる。枠に足をかけ辺りを窺いながら上へと仰いだ身を掬い上げて、守ノ内はカタンと跳ねた。

「ぬおお、危ないよ。一声、先の一声」
「ふふ。お嬢さん、言ってくれますね」
「はん?」
「いつでも出来ますか、嬉しいですね」

満天の星の下、楽しそうに笑う声がした。つるつるとした壁面を蹴って、長い脚は容易くも屋根へと降り立った。

「さて、どう行きましょうか、隊長」
「う、うむ。取り敢えず、目があっちに向いてるうちに聖女さまでも探すかね」
「ええ。心得ました」

ひょいと屋根を越えて、繋がる廊下の上を走る。生温い風に空色の髪は長く後ろへと流れていった。











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