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第一章 定食屋で育って
新メニュー 2
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日葵さんは私を見て軽く微笑むと、「隣、良いですか?」と控え目に聞いて来る。私が座っているのはカウンター席。ナツさんの仕事が目の前で見られる席だ。
「勿論です! どうぞどうぞ」
日葵さんは最初会った時のような、都会で働くビジネスウーマンという風貌だ。控え目なシルバーのピアスにネックレス、化粧はナチュラルに見えるけど控え目なシャドウがわざとらしくなくて隙が無い。
コツコツとヒールを可愛らしく鳴らして、私の隣に腰かける。椅子に座る瞬間までの流れがとても綺麗で、なんて完璧なんだろうと思う。
「今日は?」
ナツさんは他のお客さんとは明らかに違う様子で日葵さんを見る。
その眼差しが、ただ親しい人を見ているのか恋人を見るような目なのか私には分からない。
「コーヒーを飲みに来たの。実はこのちょっと先で打ち合わせがあってね」
「仕事?」
「に、なればいいんだけど、どうだろ」
メニュー表を睨みながらナツさんと会話を交わす日葵さんは、唇が動く度にその紅が柔らかくて瑞々しい印象を与える。こんなに赤い口紅が強く見えない人っているんだなと見惚れた。
2人の間には入る隙など無く、私は目の前に置かれたパンケーキにメイプルシロップをかける。黄色い断面をしているスフレパンケーキに、きつね色のとろりとした装飾が化粧のように加わった。
「利津さんのそれ、新メニュー?」
私の方を見て、日葵さんは興味津々に身を乗り出している。
「試作品。利津さんの意見でこれをメニュー化するのは無理だなって結論に至ったけど」
ナツさんから丁寧語が消えていて、なんだか別の人みたい。
「ははっ。ナツらしー。どうせ予算とか計画とか度外視して試作したんでしょ??」
「……どうかな」
「ね? 利津さんどこがダメだったの?」
日葵さんは楽しそうにパンケーキの悪かったところを聞きたがる。
私は、さっき直接ナツさんに意見を言ったばかりだ。
「駄目なところなんてなかったですよ」
「え?」
「これがパンケーキ単体であれば、ただ美味しいパンケーキです。欠点はないと思います。このお店との相性はあんまり良くないというだけで」
日葵さんとナツさんが驚いた顔でこちらを見ている。まさか私がこのメニューを擁護するとは思わなかったという顔だ。
「このパンケーキは紅茶やハーブティを出すようなお店のメニューです。コーヒーを美味しくするメニューではありませんでした。私が言いたかったのは、そういうことで……」
「そっかあ」
日葵さんは納得したように頷いていて、ナツさんに「ブレンドコーヒー」と注文を済ませた。
「このブレンドコーヒー、利津さんが監修してくれたんですよ。利津さんには味見の才能があって、いつも助けられてて」
「いえいえ、ただの定食屋です」
「なにかそういう仕事をされてたんですか? 利津さんて」
日葵さんに尋ねられて、私の身体がドキリと音を立てた。
「いえ、ただ定食屋の味見を担当しているだけです……」
「そっかあ、毎日味見を担当しているとそういうことが分かるんですね」
悪気が無いのは分かっている。日葵さんの言っていることは事実で、ただ毎日味見をしているだけの私は特別何かができるわけでもないのだ。
久しく忘れていた。悪気のない人の言葉が、一番刺さることだってある。
日葵さんとナツさんは、仕事や職場の話をしていた。
その間、私はずっとパンケーキをつついている。
甘いとろりとしたメイプルシロップと、柔らかいパンケーキが徐々にお皿から無くなって行く。その間、2人は親しそうに私の知らない人の話で盛り上がっていた。
空気みたい、というけれど、私はまさにそれだ。
同じ空間にいるのに、まるでいないような存在で、ただただひとりで食事をしているだけ。
「ああ、もうこんな時間だ。行かなきゃ」
日葵さんは細い皮で出来たバングルの腕時計を見て、慌てて荷物を持って席を立って会計をした。
「ありがとうございました」
ナツさんは他のお客さんと同じように日葵さんを見送る。
「バタバタしちゃってゴメン、また連絡する」
日葵さんは帰りがけにひとこと、ナツさんに言って店を出て行った。
コツコツとした足音が細かい音を立てて遠ざかっていく。
また連絡する、かあーー。
私は皿に乗ったひとつ分のパンケーキを食べ終えて、ふたつめに入っていた。
まだ少ししかフォークを通していない十三夜のお月様みたいなパンケーキを眺めながら、フォークを握ったまま頭の中で最後の言葉を繰り返す。
私は、2日に1回ナツさんと会っている。
こうして、ナツさんのメニュー相談を受けている。
日葵さんは前職の同僚だったはずで、定期的に連絡をする用事などないはずなのに。
ナツさんは日葵さんの席を片付け、テーブルを拭いていた。
「あ、パンケーキ多かったですよね。残していただいて大丈夫ですよ」
「いえ、重くないので全部いただきます」
このメニューはお店で提供されることはないだろう。
だから、この店でこのパンケーキを食べられるのは私しかいない。試作品としてだけど、私が唯一ナツさんに任された仕事。
「ナツさんも、味見します? コーヒーとの相性とか」
「……じゃあ、ひと口」
ナツさんはお店の小皿を私の席の前に置いた。そこに一切れ入れてくれという意味らしい。あまり沢山載せるとやっぱり要らなかったのだと思われてしまいそうで、残っていたパンケーキの三分の一分を載せた。
「こちら、どうぞ」
ナツさんに小皿を差し出すと、「ありがとうございます」とナツさんは受け取ってフォークで口に入れる。もぐもぐと食べながら、うーんと何かを考えていたようで、お店の保温ポットからホットコーヒーを注いで相性を確かめている。
「ああ、なるほど。確かに……コーヒーより紅茶の方が合いそうですね」
ナツさんは納得しているようで、何度も頷いている。
「なんか、すいません。部外者なのに余計なアドバイスだったかも……」
「いや、僕が本質を忘れるところでした。必要なのは、コーヒーが美味しく飲めるメニューですもんね」
ナツさんの言葉に救われたような気がしつつも、私はさっきよりパンケーキを味わう余裕がなくなっていた。
お皿に残った残りのパンケーキを一気に平らげて、逃げるように席を立つ。
「ありがとうございました、利津さん、またリベンジさせてください」
笑顔で送り出してくれたナツさんに、一生懸命作った笑顔で「ご馳走様でした」を言って店を出る。
外に出た途端、びゅうっと湿気を帯びた風が吹いた。
私は自分の髪を抑える。伸び放題になってしまった髪がボサボサになった。
日葵さんのような美人にはなれないけれど、自分から目を背けていたままで良いのか、と風に向かって目を開ける。
ポケットから携帯電話を出した。祥太に髪を切りたいとメッセージを打つ。
私、迷っている場合じゃなかった。
「勿論です! どうぞどうぞ」
日葵さんは最初会った時のような、都会で働くビジネスウーマンという風貌だ。控え目なシルバーのピアスにネックレス、化粧はナチュラルに見えるけど控え目なシャドウがわざとらしくなくて隙が無い。
コツコツとヒールを可愛らしく鳴らして、私の隣に腰かける。椅子に座る瞬間までの流れがとても綺麗で、なんて完璧なんだろうと思う。
「今日は?」
ナツさんは他のお客さんとは明らかに違う様子で日葵さんを見る。
その眼差しが、ただ親しい人を見ているのか恋人を見るような目なのか私には分からない。
「コーヒーを飲みに来たの。実はこのちょっと先で打ち合わせがあってね」
「仕事?」
「に、なればいいんだけど、どうだろ」
メニュー表を睨みながらナツさんと会話を交わす日葵さんは、唇が動く度にその紅が柔らかくて瑞々しい印象を与える。こんなに赤い口紅が強く見えない人っているんだなと見惚れた。
2人の間には入る隙など無く、私は目の前に置かれたパンケーキにメイプルシロップをかける。黄色い断面をしているスフレパンケーキに、きつね色のとろりとした装飾が化粧のように加わった。
「利津さんのそれ、新メニュー?」
私の方を見て、日葵さんは興味津々に身を乗り出している。
「試作品。利津さんの意見でこれをメニュー化するのは無理だなって結論に至ったけど」
ナツさんから丁寧語が消えていて、なんだか別の人みたい。
「ははっ。ナツらしー。どうせ予算とか計画とか度外視して試作したんでしょ??」
「……どうかな」
「ね? 利津さんどこがダメだったの?」
日葵さんは楽しそうにパンケーキの悪かったところを聞きたがる。
私は、さっき直接ナツさんに意見を言ったばかりだ。
「駄目なところなんてなかったですよ」
「え?」
「これがパンケーキ単体であれば、ただ美味しいパンケーキです。欠点はないと思います。このお店との相性はあんまり良くないというだけで」
日葵さんとナツさんが驚いた顔でこちらを見ている。まさか私がこのメニューを擁護するとは思わなかったという顔だ。
「このパンケーキは紅茶やハーブティを出すようなお店のメニューです。コーヒーを美味しくするメニューではありませんでした。私が言いたかったのは、そういうことで……」
「そっかあ」
日葵さんは納得したように頷いていて、ナツさんに「ブレンドコーヒー」と注文を済ませた。
「このブレンドコーヒー、利津さんが監修してくれたんですよ。利津さんには味見の才能があって、いつも助けられてて」
「いえいえ、ただの定食屋です」
「なにかそういう仕事をされてたんですか? 利津さんて」
日葵さんに尋ねられて、私の身体がドキリと音を立てた。
「いえ、ただ定食屋の味見を担当しているだけです……」
「そっかあ、毎日味見を担当しているとそういうことが分かるんですね」
悪気が無いのは分かっている。日葵さんの言っていることは事実で、ただ毎日味見をしているだけの私は特別何かができるわけでもないのだ。
久しく忘れていた。悪気のない人の言葉が、一番刺さることだってある。
日葵さんとナツさんは、仕事や職場の話をしていた。
その間、私はずっとパンケーキをつついている。
甘いとろりとしたメイプルシロップと、柔らかいパンケーキが徐々にお皿から無くなって行く。その間、2人は親しそうに私の知らない人の話で盛り上がっていた。
空気みたい、というけれど、私はまさにそれだ。
同じ空間にいるのに、まるでいないような存在で、ただただひとりで食事をしているだけ。
「ああ、もうこんな時間だ。行かなきゃ」
日葵さんは細い皮で出来たバングルの腕時計を見て、慌てて荷物を持って席を立って会計をした。
「ありがとうございました」
ナツさんは他のお客さんと同じように日葵さんを見送る。
「バタバタしちゃってゴメン、また連絡する」
日葵さんは帰りがけにひとこと、ナツさんに言って店を出て行った。
コツコツとした足音が細かい音を立てて遠ざかっていく。
また連絡する、かあーー。
私は皿に乗ったひとつ分のパンケーキを食べ終えて、ふたつめに入っていた。
まだ少ししかフォークを通していない十三夜のお月様みたいなパンケーキを眺めながら、フォークを握ったまま頭の中で最後の言葉を繰り返す。
私は、2日に1回ナツさんと会っている。
こうして、ナツさんのメニュー相談を受けている。
日葵さんは前職の同僚だったはずで、定期的に連絡をする用事などないはずなのに。
ナツさんは日葵さんの席を片付け、テーブルを拭いていた。
「あ、パンケーキ多かったですよね。残していただいて大丈夫ですよ」
「いえ、重くないので全部いただきます」
このメニューはお店で提供されることはないだろう。
だから、この店でこのパンケーキを食べられるのは私しかいない。試作品としてだけど、私が唯一ナツさんに任された仕事。
「ナツさんも、味見します? コーヒーとの相性とか」
「……じゃあ、ひと口」
ナツさんはお店の小皿を私の席の前に置いた。そこに一切れ入れてくれという意味らしい。あまり沢山載せるとやっぱり要らなかったのだと思われてしまいそうで、残っていたパンケーキの三分の一分を載せた。
「こちら、どうぞ」
ナツさんに小皿を差し出すと、「ありがとうございます」とナツさんは受け取ってフォークで口に入れる。もぐもぐと食べながら、うーんと何かを考えていたようで、お店の保温ポットからホットコーヒーを注いで相性を確かめている。
「ああ、なるほど。確かに……コーヒーより紅茶の方が合いそうですね」
ナツさんは納得しているようで、何度も頷いている。
「なんか、すいません。部外者なのに余計なアドバイスだったかも……」
「いや、僕が本質を忘れるところでした。必要なのは、コーヒーが美味しく飲めるメニューですもんね」
ナツさんの言葉に救われたような気がしつつも、私はさっきよりパンケーキを味わう余裕がなくなっていた。
お皿に残った残りのパンケーキを一気に平らげて、逃げるように席を立つ。
「ありがとうございました、利津さん、またリベンジさせてください」
笑顔で送り出してくれたナツさんに、一生懸命作った笑顔で「ご馳走様でした」を言って店を出る。
外に出た途端、びゅうっと湿気を帯びた風が吹いた。
私は自分の髪を抑える。伸び放題になってしまった髪がボサボサになった。
日葵さんのような美人にはなれないけれど、自分から目を背けていたままで良いのか、と風に向かって目を開ける。
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私、迷っている場合じゃなかった。
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