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終章 人生の酸いも苦いも
美味しいコーヒーの愉しみ方 2
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「無理です。そんなの」
「利津さんは、この短期間に日葵や真樹さんとも打ち解けました。アルバイトの茜さんに仕事を依頼したりもできます」
「それは、みんなが優しいから……」
この町に来てくれる、縁のある人たちは付き合いやすい。
でも、自分から知らないところに入って行くのは怖い。
ナツさんに邪魔だと言われれば諦めがつくけれど、外の世界に行った方が良いと言われても困る。
「私は、この町を出ていかなければいけないんですか?」
「いや、別にそういう意味ではないんですが……」
祥太みたいに最初からこの町にいたくているわけではないけれど。
もう、お父さんも定食屋をやめてしまったけれど。
「ナツさんのお役には、立てないんですか……」
「充分すぎるくらいに、お力になっていただきました。利津さんに甘え切ってしまいそうだから、僕はそろそろ利津さんの人生を自由にしなければ」
私の人生を自由に……。
それは、ナツさんなりに私のことを想って言ってくれているのだろう。
もっと広い世界に出て行って、私の能力を試せということなのかもしれない。
優しさは、時に人を傷つける。
ナツさんの優しさは、いつだって私を突き放す。
「私がお店から抜けたら、アルバイトを雇うんですか? 誰かアテがあるんですか? 日葵さんとか……」
「いや、アテなんてないですけど。そろそろアルバイトを雇うことも考えないとなりませんね」
私がこのお店を辞めたら、ナツさんはアルバイトを雇う。
今はナツさんがうちに下宿してくれているけれど、きっとそのうち出ていくのだろう。
どんどん、ナツさんと会える時間は減っていくんだ。
「やっぱり、そんなの嫌です」
私はぐるぐると考えて、結果的に感情論しか出なかった。
別に、自分の実力を試したりなんかしたくない。今いる場所を失って、得るものなんて欲しくない。
確かに大手のコーヒーショップで焙煎士やブレンダーになれば、それだけ多くの人に自分のコーヒーを飲んでもらえるのかもしれない。
それが、そんなに大事なことだろうか。
私は、目の前の人のためにコーヒーを提供できればそれでいい。
ナツさんのためにブレンドコーヒーを作ったように。
「もったいないですよ。才能があるのに」
「才能のもったいなさで言ったら、ナツさんこそ」
ナツさんは、多くのクリエイターのトップを走る才能を持っている。
「僕はクリエイティブの仕事もやり始めましたよ。コーヒーショップの合間に」
「だから、私がサポートするんじゃないですか。コーヒーショップの」
私が他に行ってしまったらナツさんはクリエイティブの仕事を減らさなければならないだろう。その方がずっと、失うものが大きい。
「僕が仕事をしなくても、この世界には優秀な若手クリエイターがどんどん生まれています」
「でも、私も祥太もナツさんの仕事が見たいんです。日葵さんだって、ナツさんの仕事をもっともっと世に出したいって言ってました」
私は日葵さんと仲良くなった。ナツさんの周りをウロウロしているのが復縁のためだと勘違いしていたけれど、日葵さんはナツさんの仕事を世に出したいと必死にナツさんの様子を探っていただけだと知った。
それなのに、ナツさんはやっぱりどこか消極的だ。
「僕は、酸味と苦味を味わいすぎてしまったんでしょうね」
「?」
「どんなコーヒーも美味しく飲めるようになったけれど」
ナツさんは空になったカップをテーブルに置いた。
コトン、と音が響く。
「もう誰にも傷ついて欲しくない。祥太くんは真樹さんという存在ができたから大丈夫だけれど、利津さんと富雄さんに迷惑をかけないように……」
お父さんは、もう寝たのだろうか。我が家はすっかり静かになって、ナツさんの淡々とした声が家中に響きそうだ。
「どうして? ナツさんは、迷惑をかけてくれないんですか?」
「いや、どうしてって、当たり前じゃないですか……」
「祥太と私は、ずっと迷惑をかけあって生きてきました。喧嘩もいっぱいしたし、ぶつかることも多かった」
ナツさんは何も言わない。表情が固まっていて、何を考えているかも分からない。
「酸味と苦味に慣れていたら、その中にある甘味が分かるようになっているはずなのに」
「……うまいこと言いますね」
「この町で一緒に生活しているのに、どうして距離を取ろうとするんですか? ナツさんは、下町の雰囲気が気に入ってここに来たんじゃないんですか?」
人と関わるのが嫌な人が、どうしてこんな昔ながらの商店街を選んだのか。
お節介な人たちばかりが生活していて、すぐに家族のように接してくれるような町の雰囲気を、どうして気に入ったのだろうか。
「この町は好きです。確かに人と人の距離は近いけれど、みんな商売という共通項で話ができる。だけど他人の人生を背負うなんて、一番向いていない」
「背負えなんて言ってないじゃないですか。私、ナツさんにそこまで依存しているつもりはないです」
「僕が、あと2年で店をやめると言っても?」
「……どうしてですか?」
「3年やって結果が出なければ、実家を継ぐ約束なんです」
私は、初めてナツさんの計画を聞いた。実家の話なんて聞いたことがない。
「僕の実家は、漁師で」
「えっ。全然向いてなさそう」
「……ですよねー……」
そこで初めて事情を知った。ナツさんは今のお店を始める際に実家からお金を借りたらしい。
漁師というのがどんな仕事をしているか想像もつかないけれど、お金が身内から借りられたので利息も取られなくて済んで、なんて自虐気味に笑っていた。
会社で起きたことを正直に告げたナツさんに、ご両親はこれまでナツさんの才能に免じて実家を継げと言わなかったのだと語った。
ナツさんは、せめて事業を一度やりたいとコーヒーショップの店長に3年の猶予をもらったのだと言う。
「どうして、漁師なんですか……」
「そういう家に生まれてしまったので……」
「クリエイティブが活かせないです……」
「ですねえ……」
「利津さんは、この短期間に日葵や真樹さんとも打ち解けました。アルバイトの茜さんに仕事を依頼したりもできます」
「それは、みんなが優しいから……」
この町に来てくれる、縁のある人たちは付き合いやすい。
でも、自分から知らないところに入って行くのは怖い。
ナツさんに邪魔だと言われれば諦めがつくけれど、外の世界に行った方が良いと言われても困る。
「私は、この町を出ていかなければいけないんですか?」
「いや、別にそういう意味ではないんですが……」
祥太みたいに最初からこの町にいたくているわけではないけれど。
もう、お父さんも定食屋をやめてしまったけれど。
「ナツさんのお役には、立てないんですか……」
「充分すぎるくらいに、お力になっていただきました。利津さんに甘え切ってしまいそうだから、僕はそろそろ利津さんの人生を自由にしなければ」
私の人生を自由に……。
それは、ナツさんなりに私のことを想って言ってくれているのだろう。
もっと広い世界に出て行って、私の能力を試せということなのかもしれない。
優しさは、時に人を傷つける。
ナツさんの優しさは、いつだって私を突き放す。
「私がお店から抜けたら、アルバイトを雇うんですか? 誰かアテがあるんですか? 日葵さんとか……」
「いや、アテなんてないですけど。そろそろアルバイトを雇うことも考えないとなりませんね」
私がこのお店を辞めたら、ナツさんはアルバイトを雇う。
今はナツさんがうちに下宿してくれているけれど、きっとそのうち出ていくのだろう。
どんどん、ナツさんと会える時間は減っていくんだ。
「やっぱり、そんなの嫌です」
私はぐるぐると考えて、結果的に感情論しか出なかった。
別に、自分の実力を試したりなんかしたくない。今いる場所を失って、得るものなんて欲しくない。
確かに大手のコーヒーショップで焙煎士やブレンダーになれば、それだけ多くの人に自分のコーヒーを飲んでもらえるのかもしれない。
それが、そんなに大事なことだろうか。
私は、目の前の人のためにコーヒーを提供できればそれでいい。
ナツさんのためにブレンドコーヒーを作ったように。
「もったいないですよ。才能があるのに」
「才能のもったいなさで言ったら、ナツさんこそ」
ナツさんは、多くのクリエイターのトップを走る才能を持っている。
「僕はクリエイティブの仕事もやり始めましたよ。コーヒーショップの合間に」
「だから、私がサポートするんじゃないですか。コーヒーショップの」
私が他に行ってしまったらナツさんはクリエイティブの仕事を減らさなければならないだろう。その方がずっと、失うものが大きい。
「僕が仕事をしなくても、この世界には優秀な若手クリエイターがどんどん生まれています」
「でも、私も祥太もナツさんの仕事が見たいんです。日葵さんだって、ナツさんの仕事をもっともっと世に出したいって言ってました」
私は日葵さんと仲良くなった。ナツさんの周りをウロウロしているのが復縁のためだと勘違いしていたけれど、日葵さんはナツさんの仕事を世に出したいと必死にナツさんの様子を探っていただけだと知った。
それなのに、ナツさんはやっぱりどこか消極的だ。
「僕は、酸味と苦味を味わいすぎてしまったんでしょうね」
「?」
「どんなコーヒーも美味しく飲めるようになったけれど」
ナツさんは空になったカップをテーブルに置いた。
コトン、と音が響く。
「もう誰にも傷ついて欲しくない。祥太くんは真樹さんという存在ができたから大丈夫だけれど、利津さんと富雄さんに迷惑をかけないように……」
お父さんは、もう寝たのだろうか。我が家はすっかり静かになって、ナツさんの淡々とした声が家中に響きそうだ。
「どうして? ナツさんは、迷惑をかけてくれないんですか?」
「いや、どうしてって、当たり前じゃないですか……」
「祥太と私は、ずっと迷惑をかけあって生きてきました。喧嘩もいっぱいしたし、ぶつかることも多かった」
ナツさんは何も言わない。表情が固まっていて、何を考えているかも分からない。
「酸味と苦味に慣れていたら、その中にある甘味が分かるようになっているはずなのに」
「……うまいこと言いますね」
「この町で一緒に生活しているのに、どうして距離を取ろうとするんですか? ナツさんは、下町の雰囲気が気に入ってここに来たんじゃないんですか?」
人と関わるのが嫌な人が、どうしてこんな昔ながらの商店街を選んだのか。
お節介な人たちばかりが生活していて、すぐに家族のように接してくれるような町の雰囲気を、どうして気に入ったのだろうか。
「この町は好きです。確かに人と人の距離は近いけれど、みんな商売という共通項で話ができる。だけど他人の人生を背負うなんて、一番向いていない」
「背負えなんて言ってないじゃないですか。私、ナツさんにそこまで依存しているつもりはないです」
「僕が、あと2年で店をやめると言っても?」
「……どうしてですか?」
「3年やって結果が出なければ、実家を継ぐ約束なんです」
私は、初めてナツさんの計画を聞いた。実家の話なんて聞いたことがない。
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「えっ。全然向いてなさそう」
「……ですよねー……」
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ナツさんは、せめて事業を一度やりたいとコーヒーショップの店長に3年の猶予をもらったのだと言う。
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