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第一章
新入社員、出張が決まる
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花森沙穂、配属32日目ーー。
パーティ翌日も仕事は通常運転だ。花森は自席に座っていると隣にやってきた東御に関西出張を言い渡される。
「展示会、ですか……」
「業界のみの展示会だから惰性で出ているようなものなんだが、会場でアンケートを取ったりカタログを配ったりする」
東御が花森に説明していると、部長が横から口を挟んだ。
「惰性って思ってても言わないで、東御くん」
東御はそんな部長を無視している。
誰もが思っていてもやらなければならないのが仕事らしい。
「早朝出発はきついだろうから、前乗りで行こう。経費は俺の営業開発費から出してやるからありがたく思え」
「東御さんの仕事をお手伝いしに行くのに、どうしてそんなに上から目線なんですか?」
「余計な経費をかけても宿泊費を出してやるって言っているんだ。感謝しろ」
東御の理屈がいまいち理解のできない花森は、首を傾げて軽く眉間にしわを寄せた。
部長は東御の「惰性」のダメージから立ち直れていないらしく何かをブツブツ唱えている。
「というわけで、来週火曜、業務終了後の時間帯で新幹線の座席を取っておけ。やり方は経理部のフォルダに入っている」
「あ、はい」
「電子チケットだから間違えるなよ」
「……間違えたらやり直しますね」
「間違える前提で考えるな」
この二人にとってはこれが普通のやり取りだが、この光景に慣れていない社員が初めて遭遇した場合は必ず度肝を抜かれる。
東御は社内でも一目置かれる怖い社員であり、その東御に言い返すことができる花森は特異に見えてしまうのだ。
「当日までの手筈は関西支社が整えてくれている。到着したら関西支社に行ってやることを確認すればいい。展示会とはいえ、大してやることもないはずだ」
「はい」
「お前は物覚えが悪いんだから、自社の社員くらいは覚えるようにしろよ」
「言われなくても分かってます」
花森は納得がいかない。どうしてこんなに馬鹿にされ続けなければいけないのか。自分が女だからだろうか。だとしたらジェンダー論を学んだ身として立ち上がるところだ。
「東御さん、さっき提案書送っておきました」
同じ部署の男性社員が東御に声をかけている。
「没だ。全没だ。やり直せ」
「……はい。具体的にどこが……」
「提案書としての体を全く成していない。提案書の『て』の字からやり直せ」
「……はい」
花森はそのやり取りを見ていて気付いた。
ジェンダーではない。東御はこの世の人類全般に厳しい。
*
花森沙穂、配属4日目のこと——。
お昼を終えて戻って来た花森と女性社員が盛り上がっている。
「ほんともう、アラサーって悩みが増えるわー……」
「でも、彼氏さんも考えてるんじゃないですか?」
世間話なのだろうが、東御は花森の口から「彼氏」というワードが出てきたことに動揺した。
そうか、世間の女には彼氏という存在がいるものなのかと当たり前の事実に衝撃を受ける。
東御は和気あいあいとしている女性社員の3人に、思わず睨みを利かせてしまった。睨むつもりだったのではない、衝撃を受けたまま視線を預けてしまっただけだ。
女性社員たちが急にひそひそと陰口を始める。
「ねえ、トーミーがうるさいって思ってそうな顔してる」
「あの人だってアラサーなのに、浮いた話を聞かないと思いません?」
「人の心が無いからでは……?」
東御の地獄耳には全てが聴こえている。
花森がなぜ東御に対して人の心が無いと言うのか。心を入れ忘れられたブリキ扱いなのか。
東御は納得がいかない。すぐにでもその会話に参加したい。
が、明らかに自分を非難している女性社員の集団を見るとその気は失せた。
全員に理解されなくてもいい。
たったひとりにだけ理解してもらえれば問題ない。
まだ彼女は自分の下に配属されたばかりだ。時間ならある。
この後の東御は「花森に彼氏はいるのか・いないのか」「いるのならば別れる可能性はないのか」について暫く頭を悩まし続けることになる。
パーティ翌日も仕事は通常運転だ。花森は自席に座っていると隣にやってきた東御に関西出張を言い渡される。
「展示会、ですか……」
「業界のみの展示会だから惰性で出ているようなものなんだが、会場でアンケートを取ったりカタログを配ったりする」
東御が花森に説明していると、部長が横から口を挟んだ。
「惰性って思ってても言わないで、東御くん」
東御はそんな部長を無視している。
誰もが思っていてもやらなければならないのが仕事らしい。
「早朝出発はきついだろうから、前乗りで行こう。経費は俺の営業開発費から出してやるからありがたく思え」
「東御さんの仕事をお手伝いしに行くのに、どうしてそんなに上から目線なんですか?」
「余計な経費をかけても宿泊費を出してやるって言っているんだ。感謝しろ」
東御の理屈がいまいち理解のできない花森は、首を傾げて軽く眉間にしわを寄せた。
部長は東御の「惰性」のダメージから立ち直れていないらしく何かをブツブツ唱えている。
「というわけで、来週火曜、業務終了後の時間帯で新幹線の座席を取っておけ。やり方は経理部のフォルダに入っている」
「あ、はい」
「電子チケットだから間違えるなよ」
「……間違えたらやり直しますね」
「間違える前提で考えるな」
この二人にとってはこれが普通のやり取りだが、この光景に慣れていない社員が初めて遭遇した場合は必ず度肝を抜かれる。
東御は社内でも一目置かれる怖い社員であり、その東御に言い返すことができる花森は特異に見えてしまうのだ。
「当日までの手筈は関西支社が整えてくれている。到着したら関西支社に行ってやることを確認すればいい。展示会とはいえ、大してやることもないはずだ」
「はい」
「お前は物覚えが悪いんだから、自社の社員くらいは覚えるようにしろよ」
「言われなくても分かってます」
花森は納得がいかない。どうしてこんなに馬鹿にされ続けなければいけないのか。自分が女だからだろうか。だとしたらジェンダー論を学んだ身として立ち上がるところだ。
「東御さん、さっき提案書送っておきました」
同じ部署の男性社員が東御に声をかけている。
「没だ。全没だ。やり直せ」
「……はい。具体的にどこが……」
「提案書としての体を全く成していない。提案書の『て』の字からやり直せ」
「……はい」
花森はそのやり取りを見ていて気付いた。
ジェンダーではない。東御はこの世の人類全般に厳しい。
*
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お昼を終えて戻って来た花森と女性社員が盛り上がっている。
「ほんともう、アラサーって悩みが増えるわー……」
「でも、彼氏さんも考えてるんじゃないですか?」
世間話なのだろうが、東御は花森の口から「彼氏」というワードが出てきたことに動揺した。
そうか、世間の女には彼氏という存在がいるものなのかと当たり前の事実に衝撃を受ける。
東御は和気あいあいとしている女性社員の3人に、思わず睨みを利かせてしまった。睨むつもりだったのではない、衝撃を受けたまま視線を預けてしまっただけだ。
女性社員たちが急にひそひそと陰口を始める。
「ねえ、トーミーがうるさいって思ってそうな顔してる」
「あの人だってアラサーなのに、浮いた話を聞かないと思いません?」
「人の心が無いからでは……?」
東御の地獄耳には全てが聴こえている。
花森がなぜ東御に対して人の心が無いと言うのか。心を入れ忘れられたブリキ扱いなのか。
東御は納得がいかない。すぐにでもその会話に参加したい。
が、明らかに自分を非難している女性社員の集団を見るとその気は失せた。
全員に理解されなくてもいい。
たったひとりにだけ理解してもらえれば問題ない。
まだ彼女は自分の下に配属されたばかりだ。時間ならある。
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