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第一章
鬼上司、部下の自信をへし折る 2
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再び花森沙穂、配属32日目ーー。
無事に新幹線のチケットを発行できた花森は、会社の休憩スペースでため息を吐いた。
花森は時々自分が嫌になる。いつも東御の手を煩わせてばかりだ。
どうせなら、無能よりも有能になりたい。
社会に出た以上は会社のためになって活躍したいし、評価だってされたい。
が、上司が東御である以上は絶望的に違いない。
どんなことでも器用にこなす東御と違い、花森はどんな些細なことに向き合っても盛大にやらかす。
学生時代なら「ごめーん」で済んだことが、社会では取り返しのつかないことになるケースは多い。
「仕事、向いてないなあ……」
誰もいない休憩スペースで花森は呟いた。
社会に向いていない。圧倒的に能力がない。出張で展示会の手伝いをするというのも、なんとなく気が引けて来た。
そこに東御が現れ、自動販売機に向かおうとして花森を視界に入れた。
ちょうど会いたくなかった相手の登場に、花森はおもむろに顔を強張らせる。
「そういえば、お前、リクルートスーツ以外のスーツはないのか?」
「そうですね、そろそろスーツくらいは買い足します」
花森は早々に席に戻ろうと休憩室の出口に向かうことにした。
また何か言われそうで悪い予感がする。
「ドレスを買う金がなかったやつが、スーツは買えるのか?」
そこで花森の表情は一転、険しくなった。
「東御さんは分からないと思いますけどっ……! そうやって聞かれると惨めになる人間だっているんですよっ!」
スーツを買うお金なんて、今はない。
が、必要だと言われたらクレジットカードを使えば買えるだろう。
まだ初任給しか受け取ったことのない花森は、このままずっと給与を受け取り続けることができるのかすら分からない。そんな中でスーツを買うお金を捻出するのはそれなりに負担が大きい。
「何を怒っているんだ。昨日お前に出資した上司にする態度に見えないぞ」
「だって、私、無能ですし、新幹線の座席すらなかなか取れないですし……」
「首を切られる心配でもしてるのか?」
「東御さんの評価が低いことくらい、分かってますから」
拗ねたような顔をして、花森はその場を去ろうとした。が、東御が目の前に立ちはだかると思い切り東御の身体に顔面をぶつける。
「恐ろしく鈍臭いな」
咄嗟に止まる、ということができないのだと東御は新しい発見をした。そうか、反射神経……つまり運動神経も悪いのか、と新事実を掴む。
東御は花森がいつものように反論してくるだろうと待っていたが、何も言わずに東御の身体にぶつかったまま固まっていた。
様子をうかがおうとすると、頑なに避けるように花森は顔を逸らす。
小さく震えて意地で立っている。人の心がないと言われ続けていた東御にも分かった。
「花森……泣いているのか?」
泣かせるつもりはなかった、と言っても言い訳にしかならない。
花森は、身体を細かく震わせながら声を殺して泣いている。
「泣くな、花森」
顔を覗き込もうとすると、必死にそれを防いでは意地を張ってみせた。
「俺の花森への評価が低いわけがないだろう」
説得力はないが、偽りのない事実だ。評価が低かったら惹かれるはずもない。
「花森はやらかすところは多いし無能な面は確かに多い。が、考えていることは概ね鋭くて賢い。俺は花森以外のサポート要員はいらない」
「泣いたから優しくしようったって騙されませんからぁああ!」
ここまで花森が怒っている様子に、東御はこのままの関係で出張に行くというのは不味いと気付く。
「泣いたから優しくするような上司じゃないことくらい知っているだろうが」
不本意だったが、挽回させなければならない。東御は方針を変えることにした。
「確かに、東御さんはそんな人じゃありませんでしたね……」
泣きながら大いに納得している花森を見ると、東御は決意を新たにする。
「言っておくが、人の心はある」
「ご無理なさらないでください」
好きな相手に人の心がないと思われている。もはや恋愛対象外以前の問題だ。昨日のパーティは一体何だったのか。
二人で過ごした時間は花森にとって何の価値もなかったのかもしれない。
東御八雲の恋は前途多難だ。
花森は涙を拭って東御を睨む。
スーツを買うこともままならない新入社員の気持ちなど分かるはずもないのだろうと、諦めに似た感情が湧く。
「言い訳に聞こえるかもしれないが、リクルートスーツで展示会に立つと軽くみられることがあるんだ」
「……どういうことですか」
「半人前だと思われてコンパニオンのような扱いを受けるかもしれない」
「……」
花森は想像もつかなかったが、東御が言うことは要するにリクルートスーツ姿を展示会で見せるのは逆効果になるということが言いたいらしい。
「俺は、余計なことで花森に嫌な気持ちをさせたくない。だから、他のスーツを持っていないのか尋ねただけだ」
「でも、持っていないということは買わなければ東御さんの懸念通りになるってことですよね?」
「花森は……偏見の目で見られるのが嫌いだろ? そういうのが苦手なタイプだろうと思ったんだ」
東御の言うことには一理あった。花森は第一印象だけで決めつけられたりするのが特に苦手だ。
「お気遣いありがとうございます……。では、出張までに用意しますので」
そう言って花森は東御の脇を抜けてその場から離れる。
その横顔は普段よりも険しく、もう話しかけないでくださいという緊張感がある。花森は東御を明確に拒絶した。
傷付けてしまったのは間違いない。きっと花森は悔しかったのだろう。
東御は花森が休憩室を出ていくのを苦々しい気持ちで見送るしかなかった。
無事に新幹線のチケットを発行できた花森は、会社の休憩スペースでため息を吐いた。
花森は時々自分が嫌になる。いつも東御の手を煩わせてばかりだ。
どうせなら、無能よりも有能になりたい。
社会に出た以上は会社のためになって活躍したいし、評価だってされたい。
が、上司が東御である以上は絶望的に違いない。
どんなことでも器用にこなす東御と違い、花森はどんな些細なことに向き合っても盛大にやらかす。
学生時代なら「ごめーん」で済んだことが、社会では取り返しのつかないことになるケースは多い。
「仕事、向いてないなあ……」
誰もいない休憩スペースで花森は呟いた。
社会に向いていない。圧倒的に能力がない。出張で展示会の手伝いをするというのも、なんとなく気が引けて来た。
そこに東御が現れ、自動販売機に向かおうとして花森を視界に入れた。
ちょうど会いたくなかった相手の登場に、花森はおもむろに顔を強張らせる。
「そういえば、お前、リクルートスーツ以外のスーツはないのか?」
「そうですね、そろそろスーツくらいは買い足します」
花森は早々に席に戻ろうと休憩室の出口に向かうことにした。
また何か言われそうで悪い予感がする。
「ドレスを買う金がなかったやつが、スーツは買えるのか?」
そこで花森の表情は一転、険しくなった。
「東御さんは分からないと思いますけどっ……! そうやって聞かれると惨めになる人間だっているんですよっ!」
スーツを買うお金なんて、今はない。
が、必要だと言われたらクレジットカードを使えば買えるだろう。
まだ初任給しか受け取ったことのない花森は、このままずっと給与を受け取り続けることができるのかすら分からない。そんな中でスーツを買うお金を捻出するのはそれなりに負担が大きい。
「何を怒っているんだ。昨日お前に出資した上司にする態度に見えないぞ」
「だって、私、無能ですし、新幹線の座席すらなかなか取れないですし……」
「首を切られる心配でもしてるのか?」
「東御さんの評価が低いことくらい、分かってますから」
拗ねたような顔をして、花森はその場を去ろうとした。が、東御が目の前に立ちはだかると思い切り東御の身体に顔面をぶつける。
「恐ろしく鈍臭いな」
咄嗟に止まる、ということができないのだと東御は新しい発見をした。そうか、反射神経……つまり運動神経も悪いのか、と新事実を掴む。
東御は花森がいつものように反論してくるだろうと待っていたが、何も言わずに東御の身体にぶつかったまま固まっていた。
様子をうかがおうとすると、頑なに避けるように花森は顔を逸らす。
小さく震えて意地で立っている。人の心がないと言われ続けていた東御にも分かった。
「花森……泣いているのか?」
泣かせるつもりはなかった、と言っても言い訳にしかならない。
花森は、身体を細かく震わせながら声を殺して泣いている。
「泣くな、花森」
顔を覗き込もうとすると、必死にそれを防いでは意地を張ってみせた。
「俺の花森への評価が低いわけがないだろう」
説得力はないが、偽りのない事実だ。評価が低かったら惹かれるはずもない。
「花森はやらかすところは多いし無能な面は確かに多い。が、考えていることは概ね鋭くて賢い。俺は花森以外のサポート要員はいらない」
「泣いたから優しくしようったって騙されませんからぁああ!」
ここまで花森が怒っている様子に、東御はこのままの関係で出張に行くというのは不味いと気付く。
「泣いたから優しくするような上司じゃないことくらい知っているだろうが」
不本意だったが、挽回させなければならない。東御は方針を変えることにした。
「確かに、東御さんはそんな人じゃありませんでしたね……」
泣きながら大いに納得している花森を見ると、東御は決意を新たにする。
「言っておくが、人の心はある」
「ご無理なさらないでください」
好きな相手に人の心がないと思われている。もはや恋愛対象外以前の問題だ。昨日のパーティは一体何だったのか。
二人で過ごした時間は花森にとって何の価値もなかったのかもしれない。
東御八雲の恋は前途多難だ。
花森は涙を拭って東御を睨む。
スーツを買うこともままならない新入社員の気持ちなど分かるはずもないのだろうと、諦めに似た感情が湧く。
「言い訳に聞こえるかもしれないが、リクルートスーツで展示会に立つと軽くみられることがあるんだ」
「……どういうことですか」
「半人前だと思われてコンパニオンのような扱いを受けるかもしれない」
「……」
花森は想像もつかなかったが、東御が言うことは要するにリクルートスーツ姿を展示会で見せるのは逆効果になるということが言いたいらしい。
「俺は、余計なことで花森に嫌な気持ちをさせたくない。だから、他のスーツを持っていないのか尋ねただけだ」
「でも、持っていないということは買わなければ東御さんの懸念通りになるってことですよね?」
「花森は……偏見の目で見られるのが嫌いだろ? そういうのが苦手なタイプだろうと思ったんだ」
東御の言うことには一理あった。花森は第一印象だけで決めつけられたりするのが特に苦手だ。
「お気遣いありがとうございます……。では、出張までに用意しますので」
そう言って花森は東御の脇を抜けてその場から離れる。
その横顔は普段よりも険しく、もう話しかけないでくださいという緊張感がある。花森は東御を明確に拒絶した。
傷付けてしまったのは間違いない。きっと花森は悔しかったのだろう。
東御は花森が休憩室を出ていくのを苦々しい気持ちで見送るしかなかった。
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