鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

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第二章

間抜けの夕食どき

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 仕事が終わって東御のマンションに着いた花森は、今日の夕食はどうしようかと部屋着に着替えて冷蔵庫を開ける。

 昨日は日曜日で、買い物もしていた。
 東御は花森が料理をしなくても食べられるようにと冷凍食品やサラダになる野菜を買っていたようだ。

 花森は何があるかをひと通り確認する。買い物の最中は那由多に会った衝撃で上の空だったため、何を買っていたのかさっぱり覚えていない。

「チャーハン、グラタン、ドリア、パスタ……トマトを切って並べれば野菜はオッケーでしょ」

 花森は冷蔵室からトマトを、冷凍庫からドリアを取り出した。
 今夜はスライストマトと冷凍ドリアを温めて食べることにする。

 近頃の東御は家に帰るのも遅くなっているし、平日に夕食を共にすることもなくなった。
 支社のフォローが大変らしいというのは何となく漏れ聞こえる会話で分かっているが、部長が東御を支社に送るためだろうかと花森は不安になる。

 東御が社会人として優れているのは疑いようのない事実だが、会社の人事というのは個人の生活などお構いなしに動く。支社に勤めることになれば引っ越しが伴う。
 転勤は持ち家を買ったタイミングで訪れると言われているが、理由はそのタイミングであれば住宅ローンのために転勤になっても仕事を辞めにくいからだと聞く。人事とは恐ろしい。

 東御が転勤になっても、花森は東御のいない会社で別の上司の下について仕事をするのだろう。

 電子レンジをセットしてスタートボタンを押す。ブーンという音が響き始め、花森はトマトを切ることにした。
 包丁を持ってトマトに刃を立てようとするが、表面の皮につるんと滑って右手で持っていた包丁がトマトを握っていた左手に向かう。

 かるくぶつけただけだったが、左手の親指付け根に傷を作った。

「あ……」

 じわ……と左手から血が滲む。傷は3㎝程度で深さは浅い。
 最初は痛みよりも、赤い血の視覚的な衝撃に慌てた。

「ど、どうしよ。絆創膏ってどこなんだろ……」

 キョロキョロとキッチンを見回してみるが薬箱のようなものは見当たらない。
 花森は寝室に入ってクローゼットを開けた。中にキャビネットがあったのを思い出し、そのどこかに入ってるかもしれないと漁る。

 だが、絆創膏らしきものは見つからなかった。花森は東御にメッセージを送ってみる。

『すいません、絆創膏ってどこにありますか? できれば、大きめのやつが良いです』

 仕事中の東御に手間をかけさせてしまうのも悪いな、と思いながら花森はレンジの終わったドリアのところに向かった。トマトを切る気力は残っていない。

「今日は、ドリアだけにしよ……」

 そこで携帯電話が鳴る。東御からの着信だ。

「はい。ごめんなさい、お仕事中に」
『どうした!? 怪我か?』
「あ、はい。包丁を左手に刺しちゃいまして」
『そうか、包丁……そんなものを触るんじゃない。すぐ帰るようにする。怪我の程度は?』
「あ、かすり傷とそんなに変わらないです。3㎝くらい……」
『ざっくりいったな……。絆創膏は家に無いんだ。買って帰るからそれまで凌げそうか?』
「凌げます。全然凌げます」

 電話口の東御が深刻すぎて花森は気まずい。包丁で軽く手を切っただけなのに、東御は一大事のような調子だ。

『いいか、包丁はそのままでいいから危ないことをしようとするなよ』
「はい。お手数をお掛けしてすいませんでした」
『それはいい。じゃあ、暫く待っててくれ』

 電話が切れる。東御は仕事を放って絆創膏を買って急いで帰ってくるらしい。
 花森はたかが包丁の怪我で大袈裟になってしまったのが申し訳なかった。
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