鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

文字の大きさ
104 / 187
第三章

花森、花嫁修業 1

しおりを挟む
 花森は、まな板の上にあるキャベツをどう左手で支えればいいのかよく分からず首を傾げる。とりあえず、右手に握った包丁をそのままキャベツの上に振り下ろしてみた。

「わあっ」

 キャベツの繊維に当たった包丁が滑り、包丁を握った右手がずるりとまな板からはみ出る。声を上げたせいで周りにいた同年代の女性たちに注目されてしまった。
 大きなテーブルに、中心を囲むようにしてまな板を並べる8人の女性。花森は、一人だけ包丁の使い方もままならない。

「あ、す、すいません」

 慌てて謝ると、隣の女性が左手で丸めたキャベツを切っているのを見つける。

「はあー……そうやって切るんですね」

 思わず感心すると、隣の女性に鼻で笑われた。花森はなんだか不可解だ。
 料理が全く分からないから初めての人向けの料理教室に来たのに、周りはある程度料理のことを知っている人ばかりだ。
 一から丁寧に教えてくれるような料理教室というのは存在しないのだろうか。

 *

「ただいまー……」

 肩を落として帰って来た花森を、東御が玄関まで迎えに来る。
 明らかに落ち込んでいる様子が分かって、東御は無言で花森を抱きしめた。

「思ったのと違ったんだな?」
「……はい」
「無理して料理を覚えなくてもいいんだぞ」
「……だって」

 トマトすら切れない花森は、料理教室に行く以前の段階だったのだと思い知っていた。

 東御は毎日帰りが遅い。いくら東御が料理をしてくれるからといっても、花森は自分が料理を覚えればどれだけ生活が充実するかは分かっているつもりだ。

「料理は女性の仕事って決まっているわけじゃないって思って、覚えようともしなかったんです。本当は、自分のためにもそんな意地を張らなければよかった」

 花森は仕事帰りに寄った料理教室で、自分の作った回鍋肉ホイコーローを食べて帰ってきていた。
 調味料や材料は教室で軽量されたものが用意されていたのに美味しくなかった。余計にテンションが下がっている。

「週末、家で少しずつやっていこう。確かに沙穂が一人で何か用意できた方がいいだろうし、簡単なもの位は作れるようになっておいて損はない」
「はい。八雲さんのお花もですけど、専業主婦にならなくても知っておいた方が良いことってあるんですね」
「知識を要する習い事は、知れば何かの役に立つ。だから習い事だと思った方が良い」

 東御はそんなことを言いながら花森をリビングに連れた。
 花森にとってみれば、東御は教える側の人間だ。教わるレベルに及ばない生徒のことなんか分からないに違いないと思う。

「八雲さん、お花の教室に全然向いていない生徒さんが来たらどうするんですか?」
「本人にやる気があるなら、別にそのままだが?」
「そのくせ、私には無理に花をやらなくてもいいって言ったんですね……」

 相当自信を失っているんだなと、東御は花森の頭を撫でながら一緒にソファに座る。

「沙穂の場合は、最初から興味がありそうな気がしなかった……俺のためだろうと思って無理をさせなかっただけだ」
「もっとこう、自然にやる気を引き出したりしてくれないんですか?」
「そもそもやりたいと思うことでなければ、時間とお金が勿体ない」

 東御が持論を展開すると、花森は面白くなさそうに息を吐いた。

「世の中のあらゆることに向いていなくて、嫌になります」
「今日の料理教室では何が起きたんだ?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...