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第一章 領主の屋敷と青嵐の導き

9 俺にも魔力が使えた!

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 次の日の朝。クロノスさんとメイヴィルさんは、用事があるからと外に出かけてしまった。

 俺は家から出られないし、何もしないのも気が引けるので二階をひたすら掃除していた。が、それもやがて終わって手持ち無沙汰となる。

 なんとなく突っ立っていると、トントントンと包丁を規則的に下ろす音が階下から聞こえてくる。
 ヘルムートさんが調理の下ごしらえをしている音だ。

「……お手伝い、した方がいいかな?」

 正直ヘルムートさんと二人でキッチンにいるのは緊張しそうだけど、居候させてもらっている身としてはぐうたら休んでいるわけにもいかないだろうし……ここは勇気を出して手伝いを申し出てみよう。

 そろりと階下へ降りていって、長めのウルフカットのような銀髪がかかる背中に声をかける。

「あのー」
「うお!? って、なんだお前か、気配なく現れんじゃねーよ」
「ご、ごめんなさい」

 ビクッと肩を跳ねさせて振り向いたヘルムートさんは、慌てた様子で手を振った。
 だから、包丁! 振り回さないで、怖いから!

「べ、別に謝る必要なんかねーだろ! ……で、何の用だ」
「えっと、その、お手伝いすることないかなあって、思ってですね」
「手伝い?」

 怪訝な顔で眉根を寄せられて、引きつった笑いを返す。

「や、ヘルムートさんいつも一人で全部やってるんですもんね! 俺の手伝いなんていらなかったですね! では!!」
「ちょ、待てよ! いらねぇなんて誰も言ってねーだろ!」
「ひいぃ!」

 ガッと手首を掴まれて思わず情けない悲鳴が上がる。

 ああっ、ヘルムートさんの服の端にまた血がついてる! なんか肉とか切ってたんですかね!?
 怖さに拍車がかかる実に効果抜群な演出ですね! 離してえぇ!

 ヘルムートさんは俺の悲鳴を聞いてパッと手を解放した。

「わ、悪い。驚かせるつもりじゃなくてだな、とにかく、これ切ってくれ! わかったな!?」
「は、はいぃ!」

 新しいナイフを渡されて野菜を切るように指示される。
 俺は飛びつくようにまな板の前まで移動して、黙々と野菜を切り始めた。

 ざく、ざく、トントントン。しばらくの間、会話はなかった。
 手を切らないように気をつけながら切り終えて、次はどうすればいいかと顔を上げるとヘルムートさんと目があった。

 途端に弾かれたように視線を逸らされる。その横顔は少し赤みを帯びていた。

「あー、次はこれな。手切るなよ」
「はい、気をつけます」

 ヘルムートさんは野菜を差し出し手渡した。さっきより固い、かぼちゃみたいに皮がある。
 ふんばって切っていると視線を感じたので振り返ると、彼はズサっと後ずさる。

「ばっ、勘違いすんなよ、これはお前が怪我しないか心配してたんじゃなくて、野菜に血がつかないか気になってただけだからな!」
「はあ…」

 聞いてもいないことをペラペラと捲くし当てた後、下ごしらえに戻るヘルムートさん。

 あれ、この下手な言い訳みたいな照れ隠しって……もしかしてヘルムートさんって、ツンデレ?
 俺のことを心配してくれたんだ、思ったより怖い人じゃないのかも。

 それからは時々ポツポツ話をしながら野菜を切り、俺の手伝いは終了した。

「後は俺がやる。お前は上に戻っとけ」
「は、はい。手伝わせてもらって、ありがとうございました!」
「馬鹿お前、礼を言うのは俺の方だろ、なんでお前が言ってんだよ」
「そ、そうですね変ですね、すみません」
「チッ、そうじゃねーよ!」

 大きな声で怒鳴られてビクリと身体が後ずさる。ヘルムートさんはあーとかうーとか唸りながら、決まり悪そうに頭を掻いた。

「ちげーよ、そうじゃなくて……あ、ありがとう、な」
「え、な、何ですか?」

 最後の方の声が小さすぎて聞き取れず聞き返すと、ヘルムートさんは真っ赤になって怒った。

「何でもねーよ! もう戻れ!」
「はいいぃ! 失礼しました!」

 やっぱり気難しい人だな、上手くいかないや。
 ……一昨日は好きとかなんとか言われたように思ったけれど、やっぱり気のせいだったのかな?

 そうだったらいいんだけど……あんまり告白について考えてると、ヘルムートさんに対して挙動不振になっちゃいそうだからね。




 
 二階に上がる時に微かに猫の鳴き声が聞こえた。にゃおん、にゃおうと切羽詰まったような鳴き声が断続的に扉の外からしている。

 なんだろう、外に出たら駄目なのに気にかかってしまって、自然と二階へ上るための足も止まってしまう。

 鳴き声は止まらない。聞いているうちに可哀想になってきて、俺はついに扉を開けてしまった。

 外の光が眩しい。真上に太陽が昇っていた。目を細めながら上を見上げると、二階の小さな出っ張りの上に灰色の猫がいた。

「にゃう、にゃおぉん」

 猫は地面を覗き込みながら何かを訴えかけるように鳴き、前足を出したり引っこめたりしている。ああ、降りられなくなっちゃったんだね。

「おーい! こっちにおいで!」

 真下へ移動して声をかけてみるけど、猫は警戒したまま降りてこない。両手を広げながらもう一度声をかける。

「大丈夫! 俺が受け止めるから! こう見えて動体視力はいい方だよ、山で慣れてるし」
「スバル!?」

 猫に語りかけていると、ローブを着たクロノスさんが焦った様子で、顔を隠しているフードを手で押さえながら駆け寄ってきた。

「外に出てはいけません、追っ手がいます」
「ごめんなさいクロノスさん、でも猫が……」

 二人で上を見上げるが、猫は鳴くばかりで降りてくる様子がない。
 クロノスさんは俺の手をとって建物内へ促した。

「私がなんとかしますから、スバルは中に戻っていて下さい。登ってみます」
「ええっ? この壁を登るの!?」

 そりゃ忍者みたいに動けるクロノスさんならできそうだけど……危なくない?
 大切な作戦前なのに、もしも怪我させちゃったら申し訳なさすぎるよ。

 俺は何か無いかと辺りを見渡し、踏み台一つ見つけられずに途方に暮れてクロノスさんを見上げた。

 クロノスさんの目は星の輝きのようにキラキラと瞬いていた。
 すごく綺麗だ……この光は、一体何の属性を表しているんだろう。
 銀色の、煌めく……風?

 そう知覚した途端、クロノスさんと繋がった手のひらから、銀色の光る輝きが風のように俺の手のひらに吹き込んだ。

 これは、これは……俺はそっと目を閉じて風を感じた。
 読める。俺には、この風がどのようにすれば自在に吹かせられるかが、手に取るように感じ取れた。

 クロノスさんと繋がった手から風の魔力を取り込み、その力を反対側の手のひらから放出する。
 光の粒は真っ直ぐに猫めがけて飛んでいった。

 猫の体を包み込むように空気のゆりかごを作って、クルクル回す。
 フワリと宙に浮いた猫は、柔らかな風の渦に守られてゆっくりと地面に足をつけた。

 猫は風が止むまでピンと尻尾を上げて固まっていたが、銀の風のキラキラが辺りに散ってすっかり空気に溶けてしまうと、サッと背を向けて路地の奥まで走り去って行った。

 俺は無事に助けられたことにほっと胸を撫で下ろしながら、クロノスさんの手を解こうとした。
 すると逆に手を力強く握られ、そのまま建物の中へ連れこまれる。

 クロノスさんは俺に背を向けて階段を早足で登り、俺を椅子に座らせた。

「スバル」
「は、はい」

 怒られるかな? と内心ビクビクしていると、クロノスさんにそっと抱きしめられた。

「心配しました。通りかかったのが私だったから無事でしたが、スバルの手配書は町中に貼られています。誰もが貴方の顔を知っていて、領主の館へ引き渡そうとつけ狙っているんですよ。どうか、軽率な真似はしないで下さい」
「ええっ!? そんなことになってたの??」

 俺は驚きの気持ちで一杯だった。手配書だって!? 悪いことをした訳でもないのに、町中に顔が知られているなんて。

 そこまで真剣に探されてるとは、思いもしなかった。

「そんなことになってたんだね。わかった、俺もっと気をつけるよ」
「そうして下さい。でないと、私の心臓が壊れてしまいます」

 クロノスさんはホッと一息つくと、ゆっくり身を起こした。

「それにしても、スバルは魔法が使えたんですね。あれは風の属性ですか」
「クロノスさんのお陰だよ! 多分だけど、俺一人じゃ使えないんじゃないかな?」

 俺の言葉を受けて、クロノスさんは小首を傾げて目を瞬かせた。

「それは、どういった意味で…」

 問いかけられたタイミングで、空気の読めない俺のお腹がグウゥと音を鳴らした。

 赤面する俺に、クロノスさんは柔らかな微笑を零した。ああ、今日も麗しいです。

「お腹が空いたでしょう、昼食にしましょう」
「うん! 俺も手伝う」
「仕方がないのでヘルムートの分も作りましょうか。さあ、こちらへ」

 その後はクロノスさんと楽しく料理をしていて、さっきの不思議な出来事は頭の隅に追いやられてしまった。
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