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本編
第二十四話 退厩
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旗指物工房を見学した一週間後の土曜日。
「グフフ、グフフ・・・・・」
真っ黒くて巨大な顔が、わたしの胸に擦り付けられる。
「もう、コクオーってば、押さないでよ・・・・・」
わたしはそう言うと、キタノコクオーの巨大な顔をなでた。
「随分と大人しいんだね」
「サラブレッドに比べたら、どんな馬でも温厚ですよ」
わたしが言うと、体の横でたてがみを切り揃えていた栞奈ちゃんが笑う。
チョキンッ!
栞奈ちゃんが額をこする。
「よしっ!できた!」
「いい感じじゃん!」
コクオーのたてがみはしっかりと毛先が揃えられ、たてがみのうなじの部分にはピンク色のリボンが結ばれていた。
「これで最後ですからね・・・・・」
栞奈ちゃんがコクオーの鼻筋をなでる。
「そうだね。短い間だったけど、栞奈ちゃんの初めての担当馬でしょ?」
「そうですね・・・・」
そう。今日はキタノコクオーの退厩の日。狼森先輩が用意してくれた馬運車にコクオーを乗せて、三春の新しいお家まで連れて行くのが今日の仕事。
「あさひ!栞奈ちゃん!」
狼森先輩が引手を持って厩舎に入ってくる。
「馬運車着いたぞ」
「分かりました」
栞奈ちゃんが引手を受け取ると、コクオーの無口につけた。
「じゃあ、行こうか・・・・・」
わたしが声をかけると、栞奈ちゃんは大きくうなずく。
「行こう、コクオー」
引手を引くと、コクオーはゆっくりとその身を震わせて歩き出した。
ドスッ、ドスッ・・・・
いつものように重々しい足音が響く。
ピタッ
その足音が止まった。
「コクオー?」
栞奈ちゃんが振り向くと、コクオーは立ち止まり、パドックでこちらを見ている天照や鬼鹿毛、ルルたちを見ている。
「ヴヒヒヒ~ン!」
「ヒヒヒ~ン!」
コクオーが一声いななくと、野馬追部の馬たちもいななき返す。それを聞き、コクオーは再び歩き出した。
ドスッ・・・・
坂路をゆっくりと上り、駐車場に出る。
「あさひ、お疲れ~」
「栞奈ちゃんもね」
馬運車の前では、結那と友里恵が待っていた。
「はい、これ」
結那が差し出したのは、レジ袋にぎっしり詰まったニンジン。
「あっちでもいっぱい食べて、かわいがってもらうんだよ・・・・・」
友里恵がコクオーの顔をなでた。
「あさひ、栞奈ちゃん。コクオーの馬具は積み込んだよ」
光太が馬運車の前方から歩いてくる。
「ありがと」
「ありがとうございます!」
わたしたちは光太に感謝を伝えると、コクオーの引手を握りしめた。
「じゃあ、行こうか」
栞奈ちゃんが優しく促す。
「・・・・・」
コクオーは再び厩舎の方向に振り返った。
「ヒヒ~ン!」
何か月か暮らした厩舎に別れを告げるようにいななき、一歩を踏み出す。
ドン!ドン!
馬運車の渡り板を踏みしめ、コクオーは栞奈ちゃんに引かれて荷台の中に入った。
パタッ・・・・
わたしはそっと、馬運車の扉を閉める。
「お願いします」
そういうと、ウィンチの音とともに渡り板がたたまれ、馬運車の後部をふさいだ。
カチャカチャッ!
しっかりと金具をかけて緊締すると、わたしは馬運車の前の方に向かう。
「ふぅ・・・・」
馬運車というのはかなり特殊な構造で、見た目だけで言うとトラックの下回りに観光バスの車体を乗っけたように見える。
プシュー・・・・
その車体のスイングドアが開くと、わたしはそのステップに足をかけた。
トン、トン・・・・
観光バスと違ってエンジンが前にあるから、車内への階段は狭い。その狭い階段を上ると、リクライニングシートが並ぶ客室に着く。
「ふぅ・・・」
椅子に腰かけて足元に荷物を置くと、一番後ろの壁が開いて、栞奈ちゃんが顔を出した。
「コクオー、収まりました」
「お疲れさま、暴れたりしなかった?」
わたしが訊くと、栞奈ちゃんは首を横に振る。
「そんなことなかったです。むしろ自分から入ってくれましたよ」
「そう。結構従順な馬なんだね」
わたしがそこまで言ったところで、狼森先輩がコクオー関連の書類を持って入ってきた。
「あさひ、栞奈ちゃん。必要書類確認するぞ」
「わかりました」
栞奈ちゃんがうなずくと、狼森先輩はトートバッグから手のひらサイズの冊子を取り出す。
「まずはこれ、馬の健康手帳」
馬に関わってでもいない限り知らないと思うけど、馬には一頭ごとに健康手帳がある。
「まずは特徴を確認。青毛大流星。性別は牡馬」
「はい。特徴は一致してます」
栞奈ちゃんが言うのを確認すると、先輩は荷台につながる扉を開けた。
「で、これで・・・・」
犬猫用のマイクロチップリーダーを取り出すと、コクオーの鼻をなでる。
ピッ!
首筋にリーダーを近づけると、電子音とともにマイクロチップの情報が読み取られた。
「品種は日本輓系。マイクロチップ登録番号は・・・・」
手元にある登録情報と照らし合わせ、違いのないことを確認。
「はい、全部異常なし」
狼森先輩がコクオーの鼻をなでて踵を返した。
「じゃ、行きましょうか・・・・・」
皆で客室に戻ると、それぞれの席に座ってシートベルトを締める。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!留守番は任せて!」
「結那だけだと不安かもしれないけど、わたしがいるから安心してね!」
「追い切りしてくる・・・・」
窓を開けて言うと、皆が口々に言った。
「じゃ、お願いします!」
狼森先輩が運転手さんに言うと、馬運車はゆっくりと、無衝動で動き出す。
「・・・・」
馬運車は校門をくぐって坂を下り、南相馬高校の校舎がどんどん遠ざかっていった。
馬運車は常磐道を南下し、いわきジャンクションから磐越道に入る。
太平洋はここで別れを告げ、阿武隈山地の内陸に向かって進路をとった。
「なんか、山って感じですね~」
「いや、南相馬も結構山はあるぞ」
外の景色を眺めながら話していると、栞奈ちゃんがスッと立ち上がる。
「コクオーの様子を見てきます」
「了解」
栞奈ちゃんは荷台への扉を開けると、コクオーのいる荷台に入っていった。
「次の休憩はどこでしたっけ?」
今回、コクオーの健康状態の確認や糞尿の処理のため、途中途中でパーキングエリアで馬運車を止めて休憩時間をとっている。
「阿武隈高原サービスエリアだな。そこが最後の休憩ポイントで、その先の船引三春インターチェンジで下道に降りることになってる」
狼森先輩はそう言うと、持っている荷物からコクオーの健康手帳を取り出してわたしに差し出した。
「健康手帳の移動欄、書いといた方がいい」
「いえ」
わたしは首を横に振ると、受け取ったそれを膝の上に置く。
「これは、これまでコクオーをお世話してきた栞奈ちゃんに書いてもらった方がいいでしょう」
「そうか」
そんなことを話していると、グッグッっと二回、ブレーキが軽く踏まれた。
「そろそろだな」
狼森先輩が言う。この軽いブレーキ二回は馬への合図。この後、もう少し強いブレーキが来る。馬運車輸送に慣れている馬は、この合図で踏ん張るらしい。
グゥッ・・・・
ブレーキが踏まれ、馬運車は減速車線からサービスエリアに向かって進路をとった。
「最後の休憩ポイントですね」
馬運車は本線から離れ、サービスエリアの駐車場に入る。
キィー・・・・
馬にも優しい無衝動で馬運車が止まると、狼森先輩が座席から立ち上がった。
「飲み物買ってくるけど、何がいい?」
「紅茶があったらお願いします。冷たいので」
「栞奈ちゃんは?」
「そうですね。緑茶でお願いします」
全員の注文を聞くと、狼森先輩は建物の方に歩いて行った。
ガチャッ
わたしが荷台に入ると、栞奈ちゃんはそっとコクオーの首筋をなでて言う。
「ここを出発したら、あとはコクオーの新しいお家ですよね」
「そうだね」
わたしが糞掃除用の箒と塵取りを出しながら言うと、栞奈ちゃんはコクオーのたてがみを弄びながら言った。
「お別れって、案外寂しいものですね・・・・」
「そうだね・・・」
わたしはそう言うと、栞奈ちゃんの頭をポンポンとなでる。
「きっと、コクオーが南相馬に戻ってくることはないですよね」
「たぶんね」
わたしが言うと、栞奈ちゃんはコクオーのたてがみに顔をうずめながら言った。
「わたし、コクオーとお別れできる自信ないです・・・・」
「グフフ、グフフ・・・・・」
真っ黒くて巨大な顔が、わたしの胸に擦り付けられる。
「もう、コクオーってば、押さないでよ・・・・・」
わたしはそう言うと、キタノコクオーの巨大な顔をなでた。
「随分と大人しいんだね」
「サラブレッドに比べたら、どんな馬でも温厚ですよ」
わたしが言うと、体の横でたてがみを切り揃えていた栞奈ちゃんが笑う。
チョキンッ!
栞奈ちゃんが額をこする。
「よしっ!できた!」
「いい感じじゃん!」
コクオーのたてがみはしっかりと毛先が揃えられ、たてがみのうなじの部分にはピンク色のリボンが結ばれていた。
「これで最後ですからね・・・・・」
栞奈ちゃんがコクオーの鼻筋をなでる。
「そうだね。短い間だったけど、栞奈ちゃんの初めての担当馬でしょ?」
「そうですね・・・・」
そう。今日はキタノコクオーの退厩の日。狼森先輩が用意してくれた馬運車にコクオーを乗せて、三春の新しいお家まで連れて行くのが今日の仕事。
「あさひ!栞奈ちゃん!」
狼森先輩が引手を持って厩舎に入ってくる。
「馬運車着いたぞ」
「分かりました」
栞奈ちゃんが引手を受け取ると、コクオーの無口につけた。
「じゃあ、行こうか・・・・・」
わたしが声をかけると、栞奈ちゃんは大きくうなずく。
「行こう、コクオー」
引手を引くと、コクオーはゆっくりとその身を震わせて歩き出した。
ドスッ、ドスッ・・・・
いつものように重々しい足音が響く。
ピタッ
その足音が止まった。
「コクオー?」
栞奈ちゃんが振り向くと、コクオーは立ち止まり、パドックでこちらを見ている天照や鬼鹿毛、ルルたちを見ている。
「ヴヒヒヒ~ン!」
「ヒヒヒ~ン!」
コクオーが一声いななくと、野馬追部の馬たちもいななき返す。それを聞き、コクオーは再び歩き出した。
ドスッ・・・・
坂路をゆっくりと上り、駐車場に出る。
「あさひ、お疲れ~」
「栞奈ちゃんもね」
馬運車の前では、結那と友里恵が待っていた。
「はい、これ」
結那が差し出したのは、レジ袋にぎっしり詰まったニンジン。
「あっちでもいっぱい食べて、かわいがってもらうんだよ・・・・・」
友里恵がコクオーの顔をなでた。
「あさひ、栞奈ちゃん。コクオーの馬具は積み込んだよ」
光太が馬運車の前方から歩いてくる。
「ありがと」
「ありがとうございます!」
わたしたちは光太に感謝を伝えると、コクオーの引手を握りしめた。
「じゃあ、行こうか」
栞奈ちゃんが優しく促す。
「・・・・・」
コクオーは再び厩舎の方向に振り返った。
「ヒヒ~ン!」
何か月か暮らした厩舎に別れを告げるようにいななき、一歩を踏み出す。
ドン!ドン!
馬運車の渡り板を踏みしめ、コクオーは栞奈ちゃんに引かれて荷台の中に入った。
パタッ・・・・
わたしはそっと、馬運車の扉を閉める。
「お願いします」
そういうと、ウィンチの音とともに渡り板がたたまれ、馬運車の後部をふさいだ。
カチャカチャッ!
しっかりと金具をかけて緊締すると、わたしは馬運車の前の方に向かう。
「ふぅ・・・・」
馬運車というのはかなり特殊な構造で、見た目だけで言うとトラックの下回りに観光バスの車体を乗っけたように見える。
プシュー・・・・
その車体のスイングドアが開くと、わたしはそのステップに足をかけた。
トン、トン・・・・
観光バスと違ってエンジンが前にあるから、車内への階段は狭い。その狭い階段を上ると、リクライニングシートが並ぶ客室に着く。
「ふぅ・・・」
椅子に腰かけて足元に荷物を置くと、一番後ろの壁が開いて、栞奈ちゃんが顔を出した。
「コクオー、収まりました」
「お疲れさま、暴れたりしなかった?」
わたしが訊くと、栞奈ちゃんは首を横に振る。
「そんなことなかったです。むしろ自分から入ってくれましたよ」
「そう。結構従順な馬なんだね」
わたしがそこまで言ったところで、狼森先輩がコクオー関連の書類を持って入ってきた。
「あさひ、栞奈ちゃん。必要書類確認するぞ」
「わかりました」
栞奈ちゃんがうなずくと、狼森先輩はトートバッグから手のひらサイズの冊子を取り出す。
「まずはこれ、馬の健康手帳」
馬に関わってでもいない限り知らないと思うけど、馬には一頭ごとに健康手帳がある。
「まずは特徴を確認。青毛大流星。性別は牡馬」
「はい。特徴は一致してます」
栞奈ちゃんが言うのを確認すると、先輩は荷台につながる扉を開けた。
「で、これで・・・・」
犬猫用のマイクロチップリーダーを取り出すと、コクオーの鼻をなでる。
ピッ!
首筋にリーダーを近づけると、電子音とともにマイクロチップの情報が読み取られた。
「品種は日本輓系。マイクロチップ登録番号は・・・・」
手元にある登録情報と照らし合わせ、違いのないことを確認。
「はい、全部異常なし」
狼森先輩がコクオーの鼻をなでて踵を返した。
「じゃ、行きましょうか・・・・・」
皆で客室に戻ると、それぞれの席に座ってシートベルトを締める。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!留守番は任せて!」
「結那だけだと不安かもしれないけど、わたしがいるから安心してね!」
「追い切りしてくる・・・・」
窓を開けて言うと、皆が口々に言った。
「じゃ、お願いします!」
狼森先輩が運転手さんに言うと、馬運車はゆっくりと、無衝動で動き出す。
「・・・・」
馬運車は校門をくぐって坂を下り、南相馬高校の校舎がどんどん遠ざかっていった。
馬運車は常磐道を南下し、いわきジャンクションから磐越道に入る。
太平洋はここで別れを告げ、阿武隈山地の内陸に向かって進路をとった。
「なんか、山って感じですね~」
「いや、南相馬も結構山はあるぞ」
外の景色を眺めながら話していると、栞奈ちゃんがスッと立ち上がる。
「コクオーの様子を見てきます」
「了解」
栞奈ちゃんは荷台への扉を開けると、コクオーのいる荷台に入っていった。
「次の休憩はどこでしたっけ?」
今回、コクオーの健康状態の確認や糞尿の処理のため、途中途中でパーキングエリアで馬運車を止めて休憩時間をとっている。
「阿武隈高原サービスエリアだな。そこが最後の休憩ポイントで、その先の船引三春インターチェンジで下道に降りることになってる」
狼森先輩はそう言うと、持っている荷物からコクオーの健康手帳を取り出してわたしに差し出した。
「健康手帳の移動欄、書いといた方がいい」
「いえ」
わたしは首を横に振ると、受け取ったそれを膝の上に置く。
「これは、これまでコクオーをお世話してきた栞奈ちゃんに書いてもらった方がいいでしょう」
「そうか」
そんなことを話していると、グッグッっと二回、ブレーキが軽く踏まれた。
「そろそろだな」
狼森先輩が言う。この軽いブレーキ二回は馬への合図。この後、もう少し強いブレーキが来る。馬運車輸送に慣れている馬は、この合図で踏ん張るらしい。
グゥッ・・・・
ブレーキが踏まれ、馬運車は減速車線からサービスエリアに向かって進路をとった。
「最後の休憩ポイントですね」
馬運車は本線から離れ、サービスエリアの駐車場に入る。
キィー・・・・
馬にも優しい無衝動で馬運車が止まると、狼森先輩が座席から立ち上がった。
「飲み物買ってくるけど、何がいい?」
「紅茶があったらお願いします。冷たいので」
「栞奈ちゃんは?」
「そうですね。緑茶でお願いします」
全員の注文を聞くと、狼森先輩は建物の方に歩いて行った。
ガチャッ
わたしが荷台に入ると、栞奈ちゃんはそっとコクオーの首筋をなでて言う。
「ここを出発したら、あとはコクオーの新しいお家ですよね」
「そうだね」
わたしが糞掃除用の箒と塵取りを出しながら言うと、栞奈ちゃんはコクオーのたてがみを弄びながら言った。
「お別れって、案外寂しいものですね・・・・」
「そうだね・・・」
わたしはそう言うと、栞奈ちゃんの頭をポンポンとなでる。
「きっと、コクオーが南相馬に戻ってくることはないですよね」
「たぶんね」
わたしが言うと、栞奈ちゃんはコクオーのたてがみに顔をうずめながら言った。
「わたし、コクオーとお別れできる自信ないです・・・・」
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