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ギルド祭の準備をしよう! ④
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「なんでこんな時間に?」
エルフ族の書記官、トリエラが首をかしげる。
今年三浪の末にようやく統括ギルドの三級書記官として働き始めたばかりの新人だ。サラサラで緑色の髪と青い瞳が特徴でどことなく子犬のような雰囲気を持つ可愛い系男子、そのためか先輩書記官の……特に女性に大人気の書記官だ。
仕事ぶりもまじめではあるが、まだ慣れないためか良くミスをする。それでも周りに聞いたりメモを取ったりと地味ではあるがコツコツと経験を重ねていた。
そんな彼が今、同期の最上級書記官として新設された秘書官の個人執務室に呼び出されている。
「すっかり陽が落ちるのが早くなったなぁ」
早めに店を閉める露店も多くなり、酒場や宿の食堂がにぎわう季節になって来た。
本当であればトリエラも同僚のドワーフとお酒を飲む予定だったのだが……同僚のドワーフも何か仕事が入ったらしい。
「廊下も歩きやすくなって来たし……ギルド祭が終われば収穫祭、今年は何を植えるかドルトムンドと話しておきたかったんだけど」
独り言が止まらないトリエラだが、それだけ一般の書記官からすれば弥生の存在はオルトリンデより不安を煽るのだ。在任期間が一年未満なのでさすがに全員と顔を合わせるわけでもなく、目立ちはするが話しかけたりすることは中々無い。
優しい子だと聞くが……噂の中にはベテラン書記官の弱みを握っているという内容や、その蜘蛛のペットを使ってオルトリンデ監理官を天井から吊るしあげたとか……
トリエラもそんな弥生の噂は当然耳に入っていて、両肩を手で抱いてぶるり。と身を震わせながら秘書官の執務室に歩みを進める。
「いくら新設で作ったからって……何も監理官室の奥部屋にすることないよ。暗いんだよあそこのドア……なぜか廊下側から開かないし」
ペタンペタン、と自分の足音だけが響く夕暮れ時。
いつもは騒がしさが目立つだけに……ただただ定時を過ぎて職員が帰宅すると冷たく見える廊下。
もう少しすれば不死族の統括ギルド職員や王城の不死族メイドが清掃するために集まってくる……それはそれでにぎやかなんだけどなぁ……そんなトリエラのつぶやきが聞こえたのか、視界の端に白い物が映った……気がした。
「この奥って……書記官室だけだよな?」
先ほど言ったように、秘書官の執務室は廊下からは開かないので……自然と監理官室の中を通っていくというなんだか良くわからない構造になっている。
実質……監理官室から先の廊下は行き止まりで不死族でもなければ通路としても使えない。
「……気のせい、だよね」
さっさと用事は済ませて今日は帰ろう。なんか足元が冷たい気がする。
言い知れぬ悪寒が彼を臆病にしたが、幸いもう監理官室の目の前。数回ノックすると奥から何度か聞き覚えのある弥生の声が聞こえた。
「……どうぞ」
エルフであるトリエラが何とか耳にできる程度の声量……耳が良い事をトリエラはこんなに恨めしく思う日が来るとは思わなかった。聞こえないふりをして帰ってしまおうか? そんな気持ちがトリエラの脳裏をよぎる。
「は……入ります」
しかし、根が真面目な彼は監理官室のドアノブを握り扉を開く。
手入れが行き届いているはずの樫の木のドアは蝶番がきしみ、いつもよりも手ごたえがあった。
「……暗い。あの、三級書記官のトリエラです。弥生書記官の要請でこちらに」
――ぽたっ
トリエラがドアの隙間から首を入れるとその頬に何かが垂れる。
「ん? なんだ、これ」
ほのかに暖かいようなその液体をトリエラは手で触れて、眼前へ持ってきた。
かすかに鉄錆のような鼻につく匂い……色が暗くてよくわからない。それに妙に暗くて見通せない室内、いつもならこの時間になればランプや魔法の明かりをつけてオルトリンデ監理官は仕事をしていたはずだ。
「灯り……つけますよ?」
まずは視界を確保しないと、トリエラは入り口の脇に掛けられているランプに火を灯す。
この設備はどの部屋も共通だから迷わず、手探りでもできた。マッチぐらいは書記官全員がポケットに入れている。手慣れた様子でマッチを擦り、ほどなくして……紅い手元が目に映った。
「え? これ……さっきの」
トリエラの脳裏に数か月前の王城空挺騎士団へ襲撃をかけた青年の事件がよぎる。
「弥生秘書官!! オルトリンデ監理官!!」
もう怖いだなんて言っていられない。使命感がトリエラを前へ突き動かす……のだが。
――ねえ
かすれた声をトリエラの耳は正確にとらえてしまった。
真後ろからするその女の声を。
「ッ!!」
勢いよく振り返りながらトリエラは監理官の執務室に飛び込む。
いつの間に、それ以前に自分は何かに巻き込まれている事を自覚して。トリエラはとっさにランプを手に取り自分が居た場所を照らす……そこには。
「たす……けて」
ドアの上から覗く逆さまの顔……それは見慣れた秘書官の顔では無かった。
口の端から赤い筋が伸び……髪の毛が乱れて白目をむいた状態で……。
「ひぃっ!!」
トリエラが後ずさる。
――ごつっ
今度はかかとに何か当たった。
ゆっくりと、ランプを足元に向けると……目が合った。
いや、正確には目が合った痕跡と視線が交わる。
「!?!!!???!?!?」
漆黒の闇を讃えた金髪の少女の眼球は……無かった。
トリエラは今度こそ声にならない悲鳴を上げてその場にへたり込んでしまう。どう考えても異常だ……状況的にはあり得ない。
「げ、幻覚の魔法!?」
魔法と言う理由をでっちあげて気持ちを落ち着かせようとするが……そもそも魔法を使われればそれに敏感なエルフは気が付かないわけがなかった。
「いた、い……みえ、な……」
その時、眼球を失った金髪の少女はゆっくりとトリエラに向けて手を伸ばす。
その手から逃れる様にしりもちをついたまま移動すると、椅子か何かに背中をぶつけてしまう。
「いたっ!」
――どすん! ごろん
「え?」
ぶつかった衝撃で何かがトリエラの脇に落ちてきた、
それは……
「からだ……どこにいったのぉぉお」
しゃがれた童女の生首がぎょろりと目玉を忙しなく動かしてトリエラに問いかける。
そこまでがトリエラの限界だった。
「あ、あは。あははは!!」
もう感情がめちゃくちゃになって焦点が合わない視線をふらふら動かして笑い始める。
そこでようやく。
「……おーい、トリエラ。気持ちはわかるがかえってこーい」
ぽむ、と彼の肩にゴツイ手のひらが置かれた。
「ひ、ひぃ!? あ? え?」
びっくぅ! とその場でわかりやすくはねたトリエラに同僚の声がかかる。
「おい、これで4人全員アウトだ……弥生秘書官殿の勝ちだな」
パァッ! と壺の中に隠したランプを取り出して監理官執務室の全貌があらわになった。瞳の所に黒い布を張った金髪で八重歯が特徴の弥生の護衛が嗤っている。ご丁寧に目の辺りから赤いインクか何かで線を引いてあったのか血が流れているように見えた。
「ごめんね? トリエラさん、体験してもらうのが一番早いかと思って!」
ドアから逆さまになった弥生が蜘蛛の糸に吊るされてするすると降りてきた。顔の血は……おそらくキズナと同じようにメイクだろう。
「意外と私の造形力も錆びついてないわね」
にしし、とトリエラの頭上から笑い声が聞こえる。その正体は粘土細工と化粧道具で作ったリアルな生首人形を作った造型師となった座敷童の家鳴夜音。
「……おーい、エルフくん。大丈夫?」
夜音が天井を見上げたまま固まっているトリエラを心配して声をかけるが……反応がない。
「……おい、弥生。やりすぎたんじゃねぇのか? これで気絶者5人目だぜ?」
「えええ……かなり手抜きだよこれ」
「まあ、確かに適当感はあるけどよ……実際オルトリンデやこいつら全員気を失っちまってるじゃねぇか」
明るくなった監理官の執務室、その中央にある豪華なソファーには……すでに先客が4人。
仲良く半分人間、半分蜘蛛の妖怪である南雲糸子に介抱されているのだった。
「じゃあ次はキズナが凍死バージョンだったら……あんまり怖くない?」
「じゃあ弥生は焼死な。夜音……良い感じでよろしく」
「はいはいー。じゃあ一回メイク落とすわよ」
三十分後、5人は仲良く再度気絶して朝をここで迎える事になる。
エルフ族の書記官、トリエラが首をかしげる。
今年三浪の末にようやく統括ギルドの三級書記官として働き始めたばかりの新人だ。サラサラで緑色の髪と青い瞳が特徴でどことなく子犬のような雰囲気を持つ可愛い系男子、そのためか先輩書記官の……特に女性に大人気の書記官だ。
仕事ぶりもまじめではあるが、まだ慣れないためか良くミスをする。それでも周りに聞いたりメモを取ったりと地味ではあるがコツコツと経験を重ねていた。
そんな彼が今、同期の最上級書記官として新設された秘書官の個人執務室に呼び出されている。
「すっかり陽が落ちるのが早くなったなぁ」
早めに店を閉める露店も多くなり、酒場や宿の食堂がにぎわう季節になって来た。
本当であればトリエラも同僚のドワーフとお酒を飲む予定だったのだが……同僚のドワーフも何か仕事が入ったらしい。
「廊下も歩きやすくなって来たし……ギルド祭が終われば収穫祭、今年は何を植えるかドルトムンドと話しておきたかったんだけど」
独り言が止まらないトリエラだが、それだけ一般の書記官からすれば弥生の存在はオルトリンデより不安を煽るのだ。在任期間が一年未満なのでさすがに全員と顔を合わせるわけでもなく、目立ちはするが話しかけたりすることは中々無い。
優しい子だと聞くが……噂の中にはベテラン書記官の弱みを握っているという内容や、その蜘蛛のペットを使ってオルトリンデ監理官を天井から吊るしあげたとか……
トリエラもそんな弥生の噂は当然耳に入っていて、両肩を手で抱いてぶるり。と身を震わせながら秘書官の執務室に歩みを進める。
「いくら新設で作ったからって……何も監理官室の奥部屋にすることないよ。暗いんだよあそこのドア……なぜか廊下側から開かないし」
ペタンペタン、と自分の足音だけが響く夕暮れ時。
いつもは騒がしさが目立つだけに……ただただ定時を過ぎて職員が帰宅すると冷たく見える廊下。
もう少しすれば不死族の統括ギルド職員や王城の不死族メイドが清掃するために集まってくる……それはそれでにぎやかなんだけどなぁ……そんなトリエラのつぶやきが聞こえたのか、視界の端に白い物が映った……気がした。
「この奥って……書記官室だけだよな?」
先ほど言ったように、秘書官の執務室は廊下からは開かないので……自然と監理官室の中を通っていくというなんだか良くわからない構造になっている。
実質……監理官室から先の廊下は行き止まりで不死族でもなければ通路としても使えない。
「……気のせい、だよね」
さっさと用事は済ませて今日は帰ろう。なんか足元が冷たい気がする。
言い知れぬ悪寒が彼を臆病にしたが、幸いもう監理官室の目の前。数回ノックすると奥から何度か聞き覚えのある弥生の声が聞こえた。
「……どうぞ」
エルフであるトリエラが何とか耳にできる程度の声量……耳が良い事をトリエラはこんなに恨めしく思う日が来るとは思わなかった。聞こえないふりをして帰ってしまおうか? そんな気持ちがトリエラの脳裏をよぎる。
「は……入ります」
しかし、根が真面目な彼は監理官室のドアノブを握り扉を開く。
手入れが行き届いているはずの樫の木のドアは蝶番がきしみ、いつもよりも手ごたえがあった。
「……暗い。あの、三級書記官のトリエラです。弥生書記官の要請でこちらに」
――ぽたっ
トリエラがドアの隙間から首を入れるとその頬に何かが垂れる。
「ん? なんだ、これ」
ほのかに暖かいようなその液体をトリエラは手で触れて、眼前へ持ってきた。
かすかに鉄錆のような鼻につく匂い……色が暗くてよくわからない。それに妙に暗くて見通せない室内、いつもならこの時間になればランプや魔法の明かりをつけてオルトリンデ監理官は仕事をしていたはずだ。
「灯り……つけますよ?」
まずは視界を確保しないと、トリエラは入り口の脇に掛けられているランプに火を灯す。
この設備はどの部屋も共通だから迷わず、手探りでもできた。マッチぐらいは書記官全員がポケットに入れている。手慣れた様子でマッチを擦り、ほどなくして……紅い手元が目に映った。
「え? これ……さっきの」
トリエラの脳裏に数か月前の王城空挺騎士団へ襲撃をかけた青年の事件がよぎる。
「弥生秘書官!! オルトリンデ監理官!!」
もう怖いだなんて言っていられない。使命感がトリエラを前へ突き動かす……のだが。
――ねえ
かすれた声をトリエラの耳は正確にとらえてしまった。
真後ろからするその女の声を。
「ッ!!」
勢いよく振り返りながらトリエラは監理官の執務室に飛び込む。
いつの間に、それ以前に自分は何かに巻き込まれている事を自覚して。トリエラはとっさにランプを手に取り自分が居た場所を照らす……そこには。
「たす……けて」
ドアの上から覗く逆さまの顔……それは見慣れた秘書官の顔では無かった。
口の端から赤い筋が伸び……髪の毛が乱れて白目をむいた状態で……。
「ひぃっ!!」
トリエラが後ずさる。
――ごつっ
今度はかかとに何か当たった。
ゆっくりと、ランプを足元に向けると……目が合った。
いや、正確には目が合った痕跡と視線が交わる。
「!?!!!???!?!?」
漆黒の闇を讃えた金髪の少女の眼球は……無かった。
トリエラは今度こそ声にならない悲鳴を上げてその場にへたり込んでしまう。どう考えても異常だ……状況的にはあり得ない。
「げ、幻覚の魔法!?」
魔法と言う理由をでっちあげて気持ちを落ち着かせようとするが……そもそも魔法を使われればそれに敏感なエルフは気が付かないわけがなかった。
「いた、い……みえ、な……」
その時、眼球を失った金髪の少女はゆっくりとトリエラに向けて手を伸ばす。
その手から逃れる様にしりもちをついたまま移動すると、椅子か何かに背中をぶつけてしまう。
「いたっ!」
――どすん! ごろん
「え?」
ぶつかった衝撃で何かがトリエラの脇に落ちてきた、
それは……
「からだ……どこにいったのぉぉお」
しゃがれた童女の生首がぎょろりと目玉を忙しなく動かしてトリエラに問いかける。
そこまでがトリエラの限界だった。
「あ、あは。あははは!!」
もう感情がめちゃくちゃになって焦点が合わない視線をふらふら動かして笑い始める。
そこでようやく。
「……おーい、トリエラ。気持ちはわかるがかえってこーい」
ぽむ、と彼の肩にゴツイ手のひらが置かれた。
「ひ、ひぃ!? あ? え?」
びっくぅ! とその場でわかりやすくはねたトリエラに同僚の声がかかる。
「おい、これで4人全員アウトだ……弥生秘書官殿の勝ちだな」
パァッ! と壺の中に隠したランプを取り出して監理官執務室の全貌があらわになった。瞳の所に黒い布を張った金髪で八重歯が特徴の弥生の護衛が嗤っている。ご丁寧に目の辺りから赤いインクか何かで線を引いてあったのか血が流れているように見えた。
「ごめんね? トリエラさん、体験してもらうのが一番早いかと思って!」
ドアから逆さまになった弥生が蜘蛛の糸に吊るされてするすると降りてきた。顔の血は……おそらくキズナと同じようにメイクだろう。
「意外と私の造形力も錆びついてないわね」
にしし、とトリエラの頭上から笑い声が聞こえる。その正体は粘土細工と化粧道具で作ったリアルな生首人形を作った造型師となった座敷童の家鳴夜音。
「……おーい、エルフくん。大丈夫?」
夜音が天井を見上げたまま固まっているトリエラを心配して声をかけるが……反応がない。
「……おい、弥生。やりすぎたんじゃねぇのか? これで気絶者5人目だぜ?」
「えええ……かなり手抜きだよこれ」
「まあ、確かに適当感はあるけどよ……実際オルトリンデやこいつら全員気を失っちまってるじゃねぇか」
明るくなった監理官の執務室、その中央にある豪華なソファーには……すでに先客が4人。
仲良く半分人間、半分蜘蛛の妖怪である南雲糸子に介抱されているのだった。
「じゃあ次はキズナが凍死バージョンだったら……あんまり怖くない?」
「じゃあ弥生は焼死な。夜音……良い感じでよろしく」
「はいはいー。じゃあ一回メイク落とすわよ」
三十分後、5人は仲良く再度気絶して朝をここで迎える事になる。
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