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第三章 運命の人

74 廻る記憶

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 ――そろそろお昼ですし。今度は、僕たちだけで散策しましょう。“青の街”アクアジェイルを。面白いところだそうですよ?

 アストラッドが淡く微笑む。自分だけに向けられる笑みに、くらっとする。

 あぁ、ときどきサリィが自分に対して使う『なぜ今、貴女のその顔を見つめているのが私だけなのか』というたぐいの台詞。
 その真意をようやく理解できた気がした。

 あれは、きっと言葉通りではないのだ。
 もっと皆に知ってほしい。他に見るべきかたがいらっしゃるはず。そう頑なに思う反面、『今、』。
 そのことに贅沢ささえ感じる。抑えがたく幸せ。

 喜びと切なさでいっぱいになりそうな胸を押さえて、「はい」と一言。
 か細く返すのが精一杯だった。



   *   *   *



 澄んだ青を帯びる街並みは、装飾的な塔が林立して遺跡のよう。古い建物の間を縫うようにゼローナ風の白っぽい石材や漆喰の家屋が並ぶものの、高架で繋がれていたり三階以上の高さがあるものは、たいていアクア輝石でできていた。

 何よりも王都と違うのは。

「そこの駆け出しっぽいお二人! 初期装備は大事だよぉ。今ならランク“黄銅”までのお客さんは二割引! いいの見繕っちゃうよ。どうだい?」

「綺麗な嬢ちゃん坊っちゃん、ぼったくられんじゃねぇぞ! こっちは正真正銘、冒険者御用達店だ! うちは正規の武器防具ギルドの烙印入り装備しか扱わねぇ。悪いこた言わねぇから、うちにしな! 扱いやすい短剣ダガーもあるぜ」

「……え、ええと……?」

 呼び込みのうたい文句からして、ここが辺境に最も近い都市らしく、冒険者にとっては揺るぎない聖地なのだとわかる。

 峠からの主街道を馬車で駆け抜けただけでは気づけなかったことだ。
 たしかに鎧を着込んだ傭兵っぽいひとや、魔法杖を担いだひとが多いな、とは思っていたけど。

 たまたま、ここがそういう通りストリートなのか、或いはどこもそうなのか。最初にアクアジェイル城の門の内側に“転移”して、徒歩五分。
 整然とした門前街で立ち寄った上流階級向けブティックでお忍び用衣服一式をプレゼントされたヨルナは、外見だけなら間違いなく駆け出しの癒し手ヒーラーに見える。

 白いフード付きケープの背には神殿の印が大きく灰銀に染め抜かれ、ウエストを後ろのリボンで引き絞った白の法衣は、ふわりと裾が広がった毛織りの膝丈。茶色い皮のロングブーツが活動的な印象で歩きやすい。

 なお、荷物になるからと杖は買わなかった。
 だからだろうか。余計に呼び込みに声をかけられる。それに――

 歩きながら、そぅっと右側を見上げる。
 当然のように手を繋がれ、おだやかな表情で隣を歩くアストラッドは一見、少年剣士風。
 黒いフードをすっぽりと被り、マントの上からは剣帯ベルトを斜めがけにして、細身の長剣ロングソードを背負っている。

 濃い青灰色せいかいしょくのチュニックに生成り色のズボン。膝上まで覆う黒っぽいニーハイブーツが軽やかな冒険者っぽい。
 実用的な補助魔法の一つや二つ、さらっと使えてしまいそうだ。(※器用そうなので実際、使えるのかもしれない)

 彼も先々で呼び止められてしまうのは、衣装に汚れ一つないからだろう。
 道行く本業者たちの外套は、たいてい傷や土汚れ、場合によっては返り血めいた染みがついている。

 それでも皆、晴れ晴れと露店や屋根つきの店を覗いては豪快に買い物をしたり、魔獣退治で得られた素材を売っては笑ったり、喧嘩すれすれのどつきあいをしている。(※治安維持のための巡回兵士が何も言わないので、喧嘩ではないのだろう)

 辺りを見渡すとそこそこ女性冒険者も見られたが、ヨルナは自分がものすごく浮いている事実に気づいた。
 悪目立ち……? している。
 やたらと誰とでも目が合う。

 しょうがないかな、と、こっそりため息をついた。
 なにせ魔力に乏しく、魔法は一つも使えないのだ。総じてそういう気配は、目利きにはバレてしまうのかも。

(せっかく、すてきな変装なのに)

 しょぼん、としたヨルナは声をひそめて王子に話しかけた。

「アーシュさ……『アーシュ』。あの、私、とっても場違いじゃありません?」

 愛称を呼ばれたアストラッドは、嬉しそうに微笑み返すだけ。
 まじまじと見つめられたが、やがて、にこっと笑みを深められた。

「どうして? その法衣、とっても似合ってる。可愛いよ。裾の刺繍も同色ですごく緻密。いい手仕事だよね。?」

「好きです」
「…………だよね」

 見つめられ、雑踏の真ん中で立ち止まる。
 周囲を流れる通行人らは親切に避けて通る。

 ――これはこれで、ある種の初々しい結界魔法。



   *   *   *



 お昼はオープンテラスのある屋台カフェで、アイスティーとほうれん草とベーコン、きのこのキッシュに林檎のシブーストを買ってもらった。
 アストラッドと半々にして小さな丸テーブルで、切り分けたキッシュを手にとってかじっていると、なんとなく、一番近い前世を思い出す。

(あの時は、神官様に養女にしていただいたんだっけ。このかたと一つ屋根の下で暮らせたなんて、ずいぶん恵まれてたな……)

 心臓がどうにかなりそうなときめきを、しみじみと回想することで必死に誤魔化しているとも言える。
 もきゅもきゅと懸命に食べるヨルナに、アストラッドのまなざしが柔らかい。




 食事を終えて広場を出ると、また、自然に手を握られた。内心どぎまぎする。

 アストラッドの足取りに迷いはない。まるで地元のひとのようだな、とあらためて感心する。
 ゆるい坂道を上っているので、ひょっとしたら展望台など――……

(あれ?)
 勝手に足が止まる。かちり、と脳裡のうりを刺激される。
 周囲の音が一気に遠のいた。
 こわばった指を、悟られたのかもしれない。王子が心配そうに覗き込む。

「大丈夫、ヨルナ? 疲れた?」
「あっ、いいえ。違います。さっき休憩したばかりですし、そうじゃなくて」

 ……そうじゃない。何と言えばいい?
 “知ってる”気がするなんて。
 初めての場所のはず。なのに、むくむくと疑念が沸き上がる。

 ことは、もはや確信だった。でも、いつ?
 せわしなく瞬く。左手を口元に寄せ、ぐるぐるといくつもの前世がまわる。

 混乱にさいなまれ、眉を険しくするヨルナに、アストラッドは切なそうに目を細めた。
 手袋ごしの右手。
 握られた指に力がこもり、ほろり、と問われる。

「――思い出した? 僕たち、ここで暮らしてた時期があったよ」



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