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第11話 斜陽
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疲労は、拭い去れないまま蓄積していく。
彼女のもとに行くと、大抵は、眠っているか、端末で映画を見ている。
その時は、窓からの僅かな光を受けて、輝いて見えて、どうしようもなく愛おしく感じる。そうであってほしいと願い続けることが出来る。
そうでない時がある。
それはとつぜんやってきて、彼女を内側から食い荒らす。
虫が溢れ出て床に散らばる。僕にもまとわりつく。彼女は暴れる。
何度も何度も、隣人とトラブルになっている。
全て終わった頃には、彼女は全部忘れていて、まどろみの中にある。
僕が腰を下ろしてため息を付いていると、彼女は不機嫌な声を出す。
「ちょっと、人が話してるのに、なんで無視するの」
感情をおさえて、詫びる。
……記憶の混濁が増えてきた。虫が出て、狂乱していたことすら覚えていないことが、増えた。
その日は、早朝の三時まで、彼女の話に付き合っていた。
部屋を出る時、彼女は「なんで眠そうなの」と訊ねた。時計を見ていないらしかった。
僕は確か、「眠くないよ」と言って、去った。
本当は「何時だと思ってる」と言いたかったし、拳はブルブル震えていて、口の端には変な笑いが出ていた。
僕は仕事に行く。
窓口にやってくる人々。
命に価値を付与することに、抵抗を見せる者たち。
金には替えられないのだと、そう言いたげで、しかし最終的には、提示された金額で溜飲が下がり、帰っていく。
そうして、少子高齢化対策に、いくらかの寄与をする。
ぎゃくに、まだ値段のつかない人たちの現金化を求めて、やってくる人たちもいる。
その人達は、別の制度の申請が必要になるのだけれど、彼らの中の矜持がそれを許さない。
その時、どちらが貴方を傷つけるのですか、とは当然聞けない。
僕は、先輩から学んだ姿勢を崩さないよう、笑顔で、それができないならそっけない真顔で、担当者に繋ぐ。
課が違うなら、場所を教える。客が文句を言わないタイミングで抜け出して、休憩に行く。
タバコの量が増える。
山崎が、わたしもやってみようかな、とか言ったことがあった。
僕は、やめておけ、と言った。
彼女は寂しそうな顔をした。それに、明らかに僕のことを心配している。
「先輩。明らかに疲れてます。休んだほうが良いです。ほんとに」
僕を苛立たせることを分かって言ってくる。つまりは本当に、気遣っているのだ。本当にいい後輩だ。
だけど僕は、それでも働く、動く。
でなければ……何かが、破綻してしまうから。崩れ去ってしまうから。
先輩を見る。彼はうなずく。その顔はこう告げている。
――それでいい。それでいいんだ。ようやく、一人前の顔になったな。
僕は少しだけ、先輩に幻滅する。なぜかは、わからない。
彼女は『悪化』している。
それが医師の判断らしかった。
現状でも、記憶力や思考の鈍化など、僕でも分かる範囲での症状が出ている。
やがてどうなるか、僕はきいた。
――内側から食い破られて、死に至る。
僕が極めて真正面から彼に訊ねたから、そう答えたに違いない。彼に感謝する。
それから、僕は。
……どくん。
また心臓が鼓動する。
質問しようとした。でも、それを言えば、何かを踏み越えてしまうような。
けっきょく、僕は何も言うことができず。
そのかわり、医師は、いささか口ごもりながら、言った。
「どうです。その、そろそろ彼女を、『制度』の――」
……その時、僕が彼に対して激昂した素振りを見せたのは、本当に怒りをおぼえたからではなかった。
それは、僕が医師にしようとした質問の代わりだった。
結局彼には何も言えず、その魅力的な提案は却下に終わった。
まだ、彼女は生きている。生きていてほしい、と、おもう。
だから――医師には質問しなかった。
――『あと、どれくらいで、彼女は死にますか』なんて。
彼女のもとに行くと、大抵は、眠っているか、端末で映画を見ている。
その時は、窓からの僅かな光を受けて、輝いて見えて、どうしようもなく愛おしく感じる。そうであってほしいと願い続けることが出来る。
そうでない時がある。
それはとつぜんやってきて、彼女を内側から食い荒らす。
虫が溢れ出て床に散らばる。僕にもまとわりつく。彼女は暴れる。
何度も何度も、隣人とトラブルになっている。
全て終わった頃には、彼女は全部忘れていて、まどろみの中にある。
僕が腰を下ろしてため息を付いていると、彼女は不機嫌な声を出す。
「ちょっと、人が話してるのに、なんで無視するの」
感情をおさえて、詫びる。
……記憶の混濁が増えてきた。虫が出て、狂乱していたことすら覚えていないことが、増えた。
その日は、早朝の三時まで、彼女の話に付き合っていた。
部屋を出る時、彼女は「なんで眠そうなの」と訊ねた。時計を見ていないらしかった。
僕は確か、「眠くないよ」と言って、去った。
本当は「何時だと思ってる」と言いたかったし、拳はブルブル震えていて、口の端には変な笑いが出ていた。
僕は仕事に行く。
窓口にやってくる人々。
命に価値を付与することに、抵抗を見せる者たち。
金には替えられないのだと、そう言いたげで、しかし最終的には、提示された金額で溜飲が下がり、帰っていく。
そうして、少子高齢化対策に、いくらかの寄与をする。
ぎゃくに、まだ値段のつかない人たちの現金化を求めて、やってくる人たちもいる。
その人達は、別の制度の申請が必要になるのだけれど、彼らの中の矜持がそれを許さない。
その時、どちらが貴方を傷つけるのですか、とは当然聞けない。
僕は、先輩から学んだ姿勢を崩さないよう、笑顔で、それができないならそっけない真顔で、担当者に繋ぐ。
課が違うなら、場所を教える。客が文句を言わないタイミングで抜け出して、休憩に行く。
タバコの量が増える。
山崎が、わたしもやってみようかな、とか言ったことがあった。
僕は、やめておけ、と言った。
彼女は寂しそうな顔をした。それに、明らかに僕のことを心配している。
「先輩。明らかに疲れてます。休んだほうが良いです。ほんとに」
僕を苛立たせることを分かって言ってくる。つまりは本当に、気遣っているのだ。本当にいい後輩だ。
だけど僕は、それでも働く、動く。
でなければ……何かが、破綻してしまうから。崩れ去ってしまうから。
先輩を見る。彼はうなずく。その顔はこう告げている。
――それでいい。それでいいんだ。ようやく、一人前の顔になったな。
僕は少しだけ、先輩に幻滅する。なぜかは、わからない。
彼女は『悪化』している。
それが医師の判断らしかった。
現状でも、記憶力や思考の鈍化など、僕でも分かる範囲での症状が出ている。
やがてどうなるか、僕はきいた。
――内側から食い破られて、死に至る。
僕が極めて真正面から彼に訊ねたから、そう答えたに違いない。彼に感謝する。
それから、僕は。
……どくん。
また心臓が鼓動する。
質問しようとした。でも、それを言えば、何かを踏み越えてしまうような。
けっきょく、僕は何も言うことができず。
そのかわり、医師は、いささか口ごもりながら、言った。
「どうです。その、そろそろ彼女を、『制度』の――」
……その時、僕が彼に対して激昂した素振りを見せたのは、本当に怒りをおぼえたからではなかった。
それは、僕が医師にしようとした質問の代わりだった。
結局彼には何も言えず、その魅力的な提案は却下に終わった。
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