いのちうるはて、あかいすなはま。

緑茶

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第13話 急変

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 僕たちは葬儀に出ることができなかった。
 だけど、そうなる予定だったその日、僕はずっと、山崎に付き添っていた。
 彼女はずっと泣きじゃくり、ティッシュを一箱カラにする勢いだった。

「なんでですか。おかしいです、あんないい人が、どうして死ななきゃいけないんですか。どうして」
 薄暗い廊下のベンチで、僕は黙って聞いている。
「耐えられなかったんだよ、きっと」
「それなら。あたし達に、相談してくれればよかったんですよ。ぜんぶ一人で抱え込むなんて、そんなの間違ってます」

 ああ。きっとそうだ。でも、そういうことじゃない。
 彼はきっと分かったのだ。命について。その値段について。
 ……僕よりもはやく。

「……先輩」

 そこで、山崎が僕の肩に寄りかかってきた。

「先輩は――やめたり、死んだりしないですよね。あたし、嫌です。何のためにやってるのか、分からなくなる……」

 僕は、彼女の肩に手をやるかどうか、迷った挙げ句、何もしなかった。
 しがみついたまま、僕のスーツをおかまいなしに涙で濡らす。

「答えてください、お願いします……」

 やめない、と言うべきだった。
 大丈夫、その純粋な心があるうちはきっと、山崎は続けられると、そう告げるべきだった。
 しかし。

「ちょっとあなた達、何の権限があって……」
「隠してるのはあんたらだろうがぁ、どういうことか説明してもらいますからねぇ」

 課長の声に覆いかぶさるようにして、たくさんの足音と、大きな声が聞こえてくる。
 その集団は、彼の制止も無視して、窓口に押しかけてくる。

 カメラを、レコーダーを持った者たち。
 消沈したムードの漂う健康福祉課とは対照的に、狙うべき獲物を見つけたかのようにギラギラとしていた。

 彼らは課長に言葉を投げつける。無遠慮に、他の課からの視線を一切気にすることなく。

「聞きましたけど、あなた方の職員のお一人が自殺したんですってね、本当にそうなんですか」
「本当のことを話してください。隠してるんじゃないですか」
「妻子を殺して得た資金を使って雲隠れしてるっていう噂があるんですよ、それについてどうお考えですか」
「迷惑です、迷惑になりますから、お帰りください。警察を呼びますよ――」

 そこで彼らは。
 こちらに気付いた。

「あれ、あなた達の職員ですよねぇ。職務怠慢じゃあないですか」

 向かってくる。
 僕は無意識に山崎をかばうように前に立ったが。
 ……あっという間に、僕らは、彼等に取り囲まれる。

「ここで何をされているんですか、他の方は動かれているように見えますが」
「あなた方も確か○○さんの同僚でしたよね、今回の心中事件についてはどのようにお考えですか」

 山崎が怯えている。僕の背中に、少しだけしがみついている。
 僕が下唇を噛みながら、言う。

「……お答え、できかねます」
「その返答が公式のものとさせていただきますがよろしいですか、○○市の健康福祉課は、同僚の死について隠蔽するものだと、そのように捉えることとなりますが」
「ご存知ですか、いま世間ではねぇ、あなた方の推進している制度についての不満の声が増加しているんですよ、分かりますか。命は金には替えられないと、そういう声があるんですよ、分かりますか!」

 怒声、罵声。どちらにも聞こえる。僕が冷静に答えようとしても、その上から、責め立ててくる。僕らは追い詰められる。

「我々は単なる職員です。既存の手続きに則り動いてるだけで――」
「そのマニュアル通りの対応が、どれだけ多くの人々を苦しめることになってきたか、分からないはずはないですよねぇ、どうなんですかぁ」

 下唇から血が出ていたし、拳のなかで、握りすぎた爪が割れているのが分かった。
 それでも僕は耐えていた。その時までは。

「○○さんに先日聞いても、あんたがたとおんなじことを言っていたよ、全くどうしようもないですね、これ編集なしで出しますからね。これが『お役所仕事』の実態だと」
「……っ」

 ――今、目の前の眼鏡の男は、なんと言った。
 まさか。

「……あんた、まさか。先輩にこんなこと、聞いたのか」
「はい? あんたって、誰に言ってます。これ、そのまんま電波に乗りますよ。良いんですか」
「先輩がどれだけ苦しんで、それでも僕らのために平静を保っていたか、あんたらは知らないのに、それでもあんたらは、あんたらは――」
「おいそこ、カメラ回せ、きっちり撮れよ」
「ふざけるな、ふざけるな……」
「せ、先輩、駄目です、落ち着いてください、良いですから、我慢しましょう、今だけ、今だけ……」

 山崎の声は聞こえず、爆発した僕は、押し寄せる者たちにあらん限りの言葉を投げつけていたと思う。課長たちが駆けつけて、総出で僕と彼等を引き剥がした。
 僕は彼らに叫び続けていた。ふざけるな、と。
 ――ふざけるな、あんた達のような奴らが居るから、簡単にみんな、命を投げ捨ててしまうんだ、と。

 さいごには、山崎は泣いていて、僕には出勤停止が命じられた。



 よる。
 雨が降っている。
 僕は傘もささずに、歩いている。
 後ろから、山崎が追いかけてくる。

「先輩、駄目ですよ、傘。ほら、一本借りてきました。これ持ってってください」
「いいよ。雨、好きなんだ……全部、洗い流してくれるから」
「駄目ですって。ほら――」

 僕は振り返って、ずぶ濡れのなか、最大限意地の悪い笑みを浮かべて、山崎に言った。

「お前さ。僕にばっかりついてくるけど……選ぶなら、他の男のほうがいいぜ。そういう気なら、最初っからそう言ってくれよ」

 山崎は、差し出そうとした傘を取り落とす。
 立ちすくんだまま、言った。

「最低っ……」

 顔はそれ以上見なかった。あるのは怒りではなく、悲しみだった。
 このまま雨が更に降ってくれればいいと思った。そうすれば、とことんまで自分がクズになれる気がした。
 だけど、山崎は泣いていたのだ。惨めさがつのって、早足で去ろうとした。
 電話がかかってくる。

 ……警察からだ。

「……」

 詳細を聞くと、僕は山崎の制止を放り出して、駆け出した。
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