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約束通りその日のうちに皇太子妃のスケジュールを調整してくれたシュラインは、予想以上の日数を確保していた。
何度も礼を言って、皇太子の執務室に急ぐ。
途中皇太子付きの侍従にすれ違ったが、なぜか挨拶もそこそこに踵を返されてしまった。
「何かあるわね? ふふふ」
シェリーは自分が入っては不味い状態なのだろうと察し、余計に足を速めた。
「お待ちくださいませ皇太子妃殿下」
「急ぐのよ。いらっしゃるのでしょう?」
「すぐにお呼びしますので何卒……」
「だから本当に急いでいるの。入るわよ」
シェリーがドアを開けるのと、アルバートが執務室横の仮眠室から出てくるのはほぼ同時だった。
シェリーはピンと来るものがあったが、今ここで修羅場を演じても得にはならないと瞬時に判断する。
「お休みでしたか? 申し訳ございません」
「うん、少し疲れてうとうとしていた。何事かな?」
「ええ、実は実家の母の具合が悪いと知らせが参りまして」
「それはいけないね」
「お義兄様にお願いして明日から10日ほどスケジュールを空けることができましたの。本日の予定は完了いたしましたので、もしお許しいただけるのでしたらすぐにでも出立したいのですが」
「すぐに? それはまた急だね。そんなに悪いのかい?」
「弟が申しますのは、危篤というほどではないとのことですが、私……もう心配でたまりませんの」
「そうか、それはそうだろうね。うん、わかったよ。馬車の手配をさせておこう」
「ありがとうございます」
アルバートは気付いていないようだが、ふと見るとトラウザーズを後ろ前に履いている。
シェリーはちょっとした悪戯を思いついた。
「殿下、申し訳ございませんが、母が大好きな本を読んでやりたいので、以前お貸ししたあの本を持ちかえってもよろしいでしょうか?」
「え? 本って?」
「ええ、もう随分前になりますが、執務の合間に読むからとおっしゃってお持ちになった本ですわ。確か仮眠室にあると仰ってましたが? もしよろしければ私が探しましょうか?」
アルバートが分かり易く狼狽えた。
「いや、ああ……あの本か。あの本なら自室に持って行ったんだ。ここには無い」
「そうですか……母の大好きな本でしたので、読んでやれば元気が出るかと思ったのです」
「そうか、それなら侍従を連れて自室を探してくれていい」
「そうですか? では鍵をお借りしても?」
「鍵……ああ、部屋の鍵か……ちょっと待ってくれ」
アルバートは机の引き出しを開けようとするが、当然のごとく鍵がかかっていた。
「殿下、机の鍵はいつもトラウザーズのポケットに入れておられましてよ?」
「えっ! ああ、そうだった……あれ?」
アルバートはポケットの位置がおかしいことに気づき青ざめた。
何やらごそごそと手を動かすが、鍵がなかなか出てこない。
シェリーは笑いをこらえるので精一杯だ。
引き出しの鍵は机の上に放置されているのだから。
「殿下、こちらに」
シェリーを追い抜いて執務室に駆け込んだ侍従が、先に鍵を見つけて助け舟を出す。
「なんだ、ここか。ははは、寝ぼけてしまっていたな」
「お疲れなのでございましょう」
シェリーはアルバートから自室の鍵を受け取った。
「すぐにお返しに上がりますわ」
「あ、いや、君も急ぐのだろう? 同行する侍従に渡してくれたら良いよ。わざわざここに戻ると遠回りだ」
「左様ですか。それではお言葉に甘えます。それと殿下、申し上げにくいのですが、このところ殿下の業務のいくつかが、私に振り分けられておりましたが、こういった状況ですのでお返し致したいのですが如何でしょうか。それと私の担当分で急ぎのものは済ませたのですが、緊急のものが発生したら殿下にお願いするしか無いのですが」
アルバートはギュッと眉を顰めて嫌そうな顔をした。
その時仮眠室でガタンという音がした。
「あら? 何事かしら?」
シェリーが仮眠室に向かう素振りを見せる。
慌てたアルバートがドアの前に立ちふさがった。
「いや、クッションでも落ちたのだろう。気にしないでくれ」
「まあ、そうですか。それで、業務の件は……」
「あっ! ああ、わかった。すべてこちらで引き取ろう。多忙とはいえ君に負担を掛けてしまった。君の分もこちらで対処するので安心して欲しい。さあ、早く行きなさい」
シェリーは優雅な礼をして執務室を出た。
顔色を悪くしたままの侍従がついてくる。
「ねえ、あなた」
「はい、なんでございましょう」
分かり易くビクついた侍従が顔を上げた。
「あなたは皇太子殿下の覚えが目出度いようね。お名前は?」
「オースティン・レイバートと申します」
「レイバートというと、子爵家の?」
「はい、私はレイバート家の次男でございます」
「そうですか、側近とはいかなくとも皇太子付きの専属侍従として活躍すれば、将来が安泰ね。心を尽くしてお仕えなさい」
「はい、肝に銘じます」
シェリーは正面に向き直ってニヤッと笑った。
レイバート子爵家といえば、ミスティ侯爵家の遠縁だ。
あまりにも分かり易い。
シェリーは追加の悪戯を思いついた。
何度も礼を言って、皇太子の執務室に急ぐ。
途中皇太子付きの侍従にすれ違ったが、なぜか挨拶もそこそこに踵を返されてしまった。
「何かあるわね? ふふふ」
シェリーは自分が入っては不味い状態なのだろうと察し、余計に足を速めた。
「お待ちくださいませ皇太子妃殿下」
「急ぐのよ。いらっしゃるのでしょう?」
「すぐにお呼びしますので何卒……」
「だから本当に急いでいるの。入るわよ」
シェリーがドアを開けるのと、アルバートが執務室横の仮眠室から出てくるのはほぼ同時だった。
シェリーはピンと来るものがあったが、今ここで修羅場を演じても得にはならないと瞬時に判断する。
「お休みでしたか? 申し訳ございません」
「うん、少し疲れてうとうとしていた。何事かな?」
「ええ、実は実家の母の具合が悪いと知らせが参りまして」
「それはいけないね」
「お義兄様にお願いして明日から10日ほどスケジュールを空けることができましたの。本日の予定は完了いたしましたので、もしお許しいただけるのでしたらすぐにでも出立したいのですが」
「すぐに? それはまた急だね。そんなに悪いのかい?」
「弟が申しますのは、危篤というほどではないとのことですが、私……もう心配でたまりませんの」
「そうか、それはそうだろうね。うん、わかったよ。馬車の手配をさせておこう」
「ありがとうございます」
アルバートは気付いていないようだが、ふと見るとトラウザーズを後ろ前に履いている。
シェリーはちょっとした悪戯を思いついた。
「殿下、申し訳ございませんが、母が大好きな本を読んでやりたいので、以前お貸ししたあの本を持ちかえってもよろしいでしょうか?」
「え? 本って?」
「ええ、もう随分前になりますが、執務の合間に読むからとおっしゃってお持ちになった本ですわ。確か仮眠室にあると仰ってましたが? もしよろしければ私が探しましょうか?」
アルバートが分かり易く狼狽えた。
「いや、ああ……あの本か。あの本なら自室に持って行ったんだ。ここには無い」
「そうですか……母の大好きな本でしたので、読んでやれば元気が出るかと思ったのです」
「そうか、それなら侍従を連れて自室を探してくれていい」
「そうですか? では鍵をお借りしても?」
「鍵……ああ、部屋の鍵か……ちょっと待ってくれ」
アルバートは机の引き出しを開けようとするが、当然のごとく鍵がかかっていた。
「殿下、机の鍵はいつもトラウザーズのポケットに入れておられましてよ?」
「えっ! ああ、そうだった……あれ?」
アルバートはポケットの位置がおかしいことに気づき青ざめた。
何やらごそごそと手を動かすが、鍵がなかなか出てこない。
シェリーは笑いをこらえるので精一杯だ。
引き出しの鍵は机の上に放置されているのだから。
「殿下、こちらに」
シェリーを追い抜いて執務室に駆け込んだ侍従が、先に鍵を見つけて助け舟を出す。
「なんだ、ここか。ははは、寝ぼけてしまっていたな」
「お疲れなのでございましょう」
シェリーはアルバートから自室の鍵を受け取った。
「すぐにお返しに上がりますわ」
「あ、いや、君も急ぐのだろう? 同行する侍従に渡してくれたら良いよ。わざわざここに戻ると遠回りだ」
「左様ですか。それではお言葉に甘えます。それと殿下、申し上げにくいのですが、このところ殿下の業務のいくつかが、私に振り分けられておりましたが、こういった状況ですのでお返し致したいのですが如何でしょうか。それと私の担当分で急ぎのものは済ませたのですが、緊急のものが発生したら殿下にお願いするしか無いのですが」
アルバートはギュッと眉を顰めて嫌そうな顔をした。
その時仮眠室でガタンという音がした。
「あら? 何事かしら?」
シェリーが仮眠室に向かう素振りを見せる。
慌てたアルバートがドアの前に立ちふさがった。
「いや、クッションでも落ちたのだろう。気にしないでくれ」
「まあ、そうですか。それで、業務の件は……」
「あっ! ああ、わかった。すべてこちらで引き取ろう。多忙とはいえ君に負担を掛けてしまった。君の分もこちらで対処するので安心して欲しい。さあ、早く行きなさい」
シェリーは優雅な礼をして執務室を出た。
顔色を悪くしたままの侍従がついてくる。
「ねえ、あなた」
「はい、なんでございましょう」
分かり易くビクついた侍従が顔を上げた。
「あなたは皇太子殿下の覚えが目出度いようね。お名前は?」
「オースティン・レイバートと申します」
「レイバートというと、子爵家の?」
「はい、私はレイバート家の次男でございます」
「そうですか、側近とはいかなくとも皇太子付きの専属侍従として活躍すれば、将来が安泰ね。心を尽くしてお仕えなさい」
「はい、肝に銘じます」
シェリーは正面に向き直ってニヤッと笑った。
レイバート子爵家といえば、ミスティ侯爵家の遠縁だ。
あまりにも分かり易い。
シェリーは追加の悪戯を思いついた。
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