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本編 第一部
42. 恋敵に塩
しおりを挟むまず、僕がすべきことは、身の安全を守ることだろう。
僕に怪我をさせたら物理的に首が飛ぶとシオンが言っていたことを思い出すと、レイブン領で僕が怪我をしたら、レイブン家当主であるシオンが責任を取らされることとなる。
「となると、レイブン領に入るまでは、安全そうですね」
「油断はできません。王家の茶々がなくとも、過激な信者に襲われては危険ですから」
僕のつぶやきを拾い、タルボははっきりと首を振る。
そういえば、そういう者が危険と聞いてはいたが、どう危険なんだろうか。
「どんなふうに?」
「神の使徒を自分のものにして、神とつながる手段とするとか、使徒を儀式で殺して、天に帰してあげようという親切とか」
「……親切?」
奇妙な単語があったような。
僕が聞き返すと、タルボは苦笑する。
「ええ。つまり、オメガを自分の信仰心を神様に示す、最高の媒介と思いこんでいる危険思想者がいるんですよ。前者は、オメガが不幸になって災厄をまねきますし、後者はオメガが受けた苦痛が呪いとなって残りますので、数十年単位での立ち入り禁止区域ができます」
「呪いってなんですか!?」
そんなことができるなんて、初耳だ。
「この国ではありませんが、オメガを危険視する王から、悲惨な仕打ちを受けたオメガが死に、その城はまるごと毒の沼に沈んだそうです。その沼の汚染は薄れず、五十年は周囲をおびやかしていたとか」
「記録が残っているんですね」
「過去にはオメガを迫害する者もおりました。それで滅んだ国や土地が出たため、我ら神官はオメガの保護に心血を注ぐようになったのです。あなたがたを守ることは、平和につながるんです」
「どうして国ではなく、神殿が保護を?」
根本的なところで、不思議に思っていた。
「国はオメガを利用しようとしますからね。それで滅んだ国もあります。結局、神殿が残ったんです」
いろんな機関が保護に動いたが、オメガ個人の幸せを最重要視する神殿だけが生き残ったという意味らしい。こちらの歴史は面白いが、今の状況になるまで、さまざまな犠牲が出たことは理解した。
「あなたがどなたを選ぼうが何をしようが、私は見守っております。ただ、幸せになるお手伝いをしたいのです」
「ありがとうございます、タルボ」
神官にとって、オメガに仕えるのは治療魔法の腕を磨ける良い機会であり、名誉でもあり、そして重要なところに、世界平和への貢献という使命感があるのかもしれない。
(なるほど。神様に人生を捧げるだけはあるのか)
僕は一人静かに、タルボという人を、いや、神官達を見直すのだった。
一日目は、町での宿泊となった。
宿を二つ貸し切りにして、普段は地元の客でにぎわう酒場を、僕達だけで使う。
料理を待つ間、揚げた豆をつまみながら、甘い食前酒を飲む。僕の前には、ネルヴィスが座っており、不満げに眉を寄せている。
「それで、どうして私に、レイブン領の窮状を救うための協力を求めるんですか? よりによって、私に?」
「私に」を二回言うくらい、ネルヴィスには理解できないことだったようだ。
「だってネルヴィスは、商いにも通じていますよね?」
「お金をかせぐのは好きですが、私ではなく、レイブン卿にお聞きなさい」
苦い顔で、ネルヴィスは忠告する。そこへ遅れてやって来たシオンが問う。
「失礼ですが、私がどうしましたか」
シオンは不思議そうにしながら、ネルヴィスの隣に腰を下ろす。
旅の間は、二人と一緒に食事することに決めたので、こうして三人でそろっている。三人となると、お茶をした時以来なので、久しぶりだ。
「レイブン領の窮状を救うのに、良い案はないか尋ねたんです」
僕が素直に答えると、シオンは柳眉を寄せる。
「それは私に聞くべきことではないでしょうか。さすがに、プライドにかかわります」
ピリッとした空気で、場に緊張感が走る。
僕は気にせず、食前酒を一口飲む。チェリー酒らしく、甘くて飲みやすい。
「なぜって、あなたも亡くなられたお父上も、領地の方も、できる最善は全てしているでしょう?」
テーブルに沈黙が落ちた。
シオンは虚をつかれた顔をする。
「まあ、そうですが……」
「そして、あなたは騎士です。どちらかといえば、戦うほうが得意では? ネルヴィスは文官で、大領地の後継ぎですから、経済活動には詳しいはず。あなたがたが努力して、没落寸前なんでしょう? 解決するためには、外からの視点も必要では?」
僕の意見に、シオンは口を閉ざし、ネルヴィスは噴き出した。
「これはあなたの負けですね、レイブン卿。ですが、勘違いしないでください、ディル様。私はあなたの味方ですが、彼にはそうではない。どうして恋敵に、塩を送らねばならないんですか」
皮肉っぽく笑うネルヴィスは、ものすごく意地悪に見えた。シオンの表情がややこわばるが、態度は落ち着いたままだ。さすがの冷静さだ。
僕はわざとらしく、首を傾げる。
「そうですか? ネルヴィスには損かと思って、お願いしているんですが」
「……どういうことです?」
「なぜって、あなたには僕の助けは必要ないでしょう? 家は裕福、実力もある。前途ようようではありませんか。でも、シオンには助けが必要です。このままでは、同情で、シオンを結婚相手に選んでしまうかも」
だてに王宮でもまれていないのだ。回りくどい言い方だが、我を通す方法は心得ている。僕が貴婦人よろしく小首を傾げてにっこりすると、ネルヴィスは悔しそうに歯噛みした。
「私をもて遊びますと、高くつきますよ?」
口では牽制するが、ネルヴィスは給仕を呼んで、いくつか注文する。ややあって、僕の前にお菓子が並んだ。
「どうぞ、お好きなものをお食べなさい」
ネルヴィスは僕にすすめる。
さしもの僕も、これには戸惑う。
「あの……ネルヴィス? 言っていることと行動が違うようですが」
「ネル、と。それが条件です」
僕はぎくりとした。テーブルの下で、ネルヴィスが僕の足に、彼の足をからめてきたせいだ。慌てて軽く蹴った。
「分かりましたから、今すぐやめてくださいね。怒りますよ?」
「畏まりました」
すねたように答えたものの、ネルヴィスはにやりとする。なんとなく何が起きているのか悟ったのか、シオンはネルヴィスをじろりとにらむ。
「フェルナンド卿、そういう抜け駆けは」
「細かいことを気にしていると、若ハゲになりますよ、レイブン卿」
「はあ、まったく。あなたには口では勝てそうにない」
シオンの悪態には、僕も同意見だ。
僕は並んだお菓子の中から、小さな木苺のタルトを選んだ。ナプキンで手をふいてから、手に持って口に運ぶ。こういった小さなお菓子は、手でつまんでもいい。
「おいしい……!」
甘酸っぱい木苺に、生クリームがちょうどいいバランスだ。
「おや、そんなにお喜びになられるとは。レシピを聞いておきましょう」
タルボが給仕に声をかけると、彼はうれしそうにお辞儀をする。
「木苺は今朝摘んできたばかりのものでございます。新鮮な木苺は、最高においしいですよ。使徒様にお喜びいただけて、大変光栄です」
「ありがとう」
僕が声をかけると、彼は顔を赤くして下がった。
「なるほど、鮮度が良いからでしたか。〈楽園〉の菜園でも育てるように伝えましょう」
タルボは帳面に書きつける。
「良かったですね、ディル様」
シオンがにこやかに言うので、僕はもう一つ残っているタルトをつまんで、シオンのほうに差し出す。
「シオン、甘いものが好きでしょう。はい、どうぞ」
「え……っ。は、はい」
僕は彼に渡すつもりだったのだが、勘違いしたシオンは、僕が手に持つタルトをパクリと食べた。僕はびっくりして固まる。
「おいしいですね」
「そ、そうです……ね」
シオンは照れ交じりに、残りのタルトを受け取って、口に放りこんだ。これにはネルヴィスがムッとする。
「ずるいです、私も」
「ええええ、今のは、そういうつもりでは」
「ディル様」
「ネルは甘いものは好きじゃないでしょう?」
僕が言い返すと、シオンの顔が赤くなった。
「え? そういうつもりではなかったんですか、すみません……」
「こっちこそ、ごめんなさい!」
赤くなっておどおどする僕達の傍で、タルボがずばりと言った。
「はは、天然がそろうと面倒くさいですね!」
「ちょっと、タルボ!」
「ディル様は可愛かったので、良いと思います」
ひいきが過ぎるタルボの言葉に、僕は妙に疲れを覚えた。
結局、食事が運ばれてきてから、ネルヴィスにも「あーん」をしてあげる羽目になった。
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