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第7話『公爵家、再び揺れる』
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「……リアーナ、最近様子が変だな」
それは、いつもの朝食の場で、父セシルが唐突に口にした言葉だった。
私はパンにナイフを入れかけた手を止め、視線だけを父へ向ける。
「変……とおっしゃいますと?」
「なんというか……目元が緩い」
「……父様、それは褒めていらっしゃるのか、気味悪がっていらっしゃるのか、どちらですの?」
「客観的観察だ」
いつもの通りぶっきらぼうに答える父の隣で、弟レオンがカップを置いた。
「私も気づいていました。姉上の様子は、ここ数日ではっきりと変化しています。
たとえば、朝の寝起きの良さ。読書時間の延長。口角の上がる頻度が平均0.4回/時から0.9回/時へと上昇。明確な兆候です」
「……あのね、レオン。それを数字で言わないでくださる?」
「事実をもとに評価しないと誤解を招きます」
私は紅茶を一口。喉を潤してから、少し目を細めて言った。
「わたくしが少しご機嫌にしていると、すぐに“男の影”と断定なさるのですね?」
「可能性として、十分に高い」
父が静かに資料を開く。そこにはまた新たな候補者の婚姻履歴が並んでいた。
私はもはや呆れる気力もなく、バターをゆっくりとパンに伸ばす。
(……会った回数も少ないのに、心がふっと軽くなる。それは、悪いことなのでしょうか)
昨日、図書院で再会したリセルの姿がふと頭をよぎる。
静かな灰色の瞳と、控えめな物腰。何も押しつけない、ただ話したくなる空気。
あの人といる時間は、息苦しくなかった。
「……レオン」
父がぼそりとつぶやいた。
「例の男について、調べてみろ」
「“例の男”とは?」
「娘の目が緩くなった原因だ」
「なるほど。では行動記録から追跡します」
私がようやくバターを塗り終えたころには、ふたりの捜査会議が始まっていた。
---
午後。
私は王立魔導技術ギルドを訪れていた。
見学申請という名目だが、実のところ――リセルにまた会えたらと思っていたのは否定できない。
受付で案内を求めると、思ったよりあっさりとした返答が返ってきた。
「ご案内は、こちらの補佐官が担当いたします」
「おや。これは偶然……では、ありませんよね?」
現れたのは、まさに会いたかった人物――リセル・エルヴァン。
落ち着いた灰色の瞳が、柔らかく笑んで私を見つめていた。
白の研究用ローブに包まれた彼は、光を吸うように静かで、けれど存在感だけは消しようがなかった。
「まさか、またご案内いただけるなんて。ご縁が続きますわね」
「不思議と、貴女とはよく巡り会います。……偶然にしては、出来すぎでしょうか?」
「ご縁というより、もしかして運命の悪戯かもしれませんわね」
「もしそうなら……悪戯も捨てたものではありません」
軽やかな言葉の応酬。けれど、どちらも本気ではない。
探るようでいて、遠慮深く。境界線の上を歩くような距離感。
リセルは工房内の最新型魔導板を紹介しながら、興味深げに言った。
「ラクリエルの魔導技術は、柔軟で実践的ですね。こうした応用設計には、貴族社会の影響が色濃く出るものです」
「それは、アルヴェルトでは違うということ?」
「違いますね。……あちらは、整ってはいますが、自由が少ない。設計も思想も、堅牢で変化を嫌います」
「けれど、変化を嫌う国で生まれ育ったあなたが、こうしてここにいる。
それって、少し不思議ですわ」
「……そう思われますか?」
彼はふと笑った。
その笑みにはどこか、諦めにも似た静けさがあった。
「ラクリエルには、期待していたものがあります。もっと人と仕組みが“噛み合っている”国かもしれない、と」
「実際は?」
「そうですね。理想には届いていない。でも、思っていたより、ずっと温かい」
視線が重なった。
その目は何も言わない。けれど、“何か”を隠していることだけは、確かに伝わってきた。
「リセル様。あなた、以前はどちらの国に?」
「アルヴェルト王国です」
躊躇のない返答だった。
だが、その直前のほんの一瞬――彼の肩がごく僅かに強張ったのを、私は見逃さなかった。
アルヴェルト。
ラクリエルの北、魔導と軍事の強国。
国力でいえば、私たちの王国を上回るとも言われている。
(……まさか、とは思うけれど)
私は心の中でその予感を打ち消す。
“ただの研究者”であってほしい。
それが叶わない願いであることを、どこかでわかっていながら。
---
その夜。
父とレオンは、館の書斎にこもっていた。
机上には、魔導技術ギルドの名簿と記録。レオンの手には、調査資料の写し。
「名前はリセル・エルヴァン。魔導院経由で半年ほど前に登録。出身記録はアルヴェルト王国とあるが、証明書は提出されていない」
「……推薦者は?」
「形式上は“院長名義”ですが、これは便宜的なもの。個人の紹介や紹介状は存在しません」
父が深く座り込み、手を組む。
「お前、偶然この国に来て、偶然うちの娘と知り合った――と、そういうことか」
その低い声に、誰も答える者はいなかった。
だが、“調査”という名の小さな揺らぎは、確実に始まっていた。
それは、いつもの朝食の場で、父セシルが唐突に口にした言葉だった。
私はパンにナイフを入れかけた手を止め、視線だけを父へ向ける。
「変……とおっしゃいますと?」
「なんというか……目元が緩い」
「……父様、それは褒めていらっしゃるのか、気味悪がっていらっしゃるのか、どちらですの?」
「客観的観察だ」
いつもの通りぶっきらぼうに答える父の隣で、弟レオンがカップを置いた。
「私も気づいていました。姉上の様子は、ここ数日ではっきりと変化しています。
たとえば、朝の寝起きの良さ。読書時間の延長。口角の上がる頻度が平均0.4回/時から0.9回/時へと上昇。明確な兆候です」
「……あのね、レオン。それを数字で言わないでくださる?」
「事実をもとに評価しないと誤解を招きます」
私は紅茶を一口。喉を潤してから、少し目を細めて言った。
「わたくしが少しご機嫌にしていると、すぐに“男の影”と断定なさるのですね?」
「可能性として、十分に高い」
父が静かに資料を開く。そこにはまた新たな候補者の婚姻履歴が並んでいた。
私はもはや呆れる気力もなく、バターをゆっくりとパンに伸ばす。
(……会った回数も少ないのに、心がふっと軽くなる。それは、悪いことなのでしょうか)
昨日、図書院で再会したリセルの姿がふと頭をよぎる。
静かな灰色の瞳と、控えめな物腰。何も押しつけない、ただ話したくなる空気。
あの人といる時間は、息苦しくなかった。
「……レオン」
父がぼそりとつぶやいた。
「例の男について、調べてみろ」
「“例の男”とは?」
「娘の目が緩くなった原因だ」
「なるほど。では行動記録から追跡します」
私がようやくバターを塗り終えたころには、ふたりの捜査会議が始まっていた。
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午後。
私は王立魔導技術ギルドを訪れていた。
見学申請という名目だが、実のところ――リセルにまた会えたらと思っていたのは否定できない。
受付で案内を求めると、思ったよりあっさりとした返答が返ってきた。
「ご案内は、こちらの補佐官が担当いたします」
「おや。これは偶然……では、ありませんよね?」
現れたのは、まさに会いたかった人物――リセル・エルヴァン。
落ち着いた灰色の瞳が、柔らかく笑んで私を見つめていた。
白の研究用ローブに包まれた彼は、光を吸うように静かで、けれど存在感だけは消しようがなかった。
「まさか、またご案内いただけるなんて。ご縁が続きますわね」
「不思議と、貴女とはよく巡り会います。……偶然にしては、出来すぎでしょうか?」
「ご縁というより、もしかして運命の悪戯かもしれませんわね」
「もしそうなら……悪戯も捨てたものではありません」
軽やかな言葉の応酬。けれど、どちらも本気ではない。
探るようでいて、遠慮深く。境界線の上を歩くような距離感。
リセルは工房内の最新型魔導板を紹介しながら、興味深げに言った。
「ラクリエルの魔導技術は、柔軟で実践的ですね。こうした応用設計には、貴族社会の影響が色濃く出るものです」
「それは、アルヴェルトでは違うということ?」
「違いますね。……あちらは、整ってはいますが、自由が少ない。設計も思想も、堅牢で変化を嫌います」
「けれど、変化を嫌う国で生まれ育ったあなたが、こうしてここにいる。
それって、少し不思議ですわ」
「……そう思われますか?」
彼はふと笑った。
その笑みにはどこか、諦めにも似た静けさがあった。
「ラクリエルには、期待していたものがあります。もっと人と仕組みが“噛み合っている”国かもしれない、と」
「実際は?」
「そうですね。理想には届いていない。でも、思っていたより、ずっと温かい」
視線が重なった。
その目は何も言わない。けれど、“何か”を隠していることだけは、確かに伝わってきた。
「リセル様。あなた、以前はどちらの国に?」
「アルヴェルト王国です」
躊躇のない返答だった。
だが、その直前のほんの一瞬――彼の肩がごく僅かに強張ったのを、私は見逃さなかった。
アルヴェルト。
ラクリエルの北、魔導と軍事の強国。
国力でいえば、私たちの王国を上回るとも言われている。
(……まさか、とは思うけれど)
私は心の中でその予感を打ち消す。
“ただの研究者”であってほしい。
それが叶わない願いであることを、どこかでわかっていながら。
---
その夜。
父とレオンは、館の書斎にこもっていた。
机上には、魔導技術ギルドの名簿と記録。レオンの手には、調査資料の写し。
「名前はリセル・エルヴァン。魔導院経由で半年ほど前に登録。出身記録はアルヴェルト王国とあるが、証明書は提出されていない」
「……推薦者は?」
「形式上は“院長名義”ですが、これは便宜的なもの。個人の紹介や紹介状は存在しません」
父が深く座り込み、手を組む。
「お前、偶然この国に来て、偶然うちの娘と知り合った――と、そういうことか」
その低い声に、誰も答える者はいなかった。
だが、“調査”という名の小さな揺らぎは、確実に始まっていた。
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