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最終話『あの朝の紅茶のように』
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王宮の朝は、思いのほか静かだった。
高窓から差し込む陽光は、まだ淡く、
庭園の花々が露に濡れたまま、しんと眠っている。
リアーナは、王妃としての居室に設けられたテラスに腰かけ、
銀のポットから静かに紅茶を注いでいた。
今日は給仕も侍女も控えさせた。
ほんの少しのわがまま――自分の手で、朝を迎えたかったのだ。
紅茶の香りが立ちのぼる。
湯気の向こうに、ふと浮かんでくる記憶。
(あの朝も、こんな風に始まった気がしますわ)
家族の前で“王妃候補”として送り出されると決まったあの日、
母が黙って紅茶を淹れてくれた。
私は不安で、緊張で、心が重くて……でも、何も言えなかった。
母は、そんな私に何も問いたださず、ただ静かに隣に座ってくれて――
それだけで、少しだけ救われた。
(……あれが、私の始まりだった)
背後から、やわらかな足音が近づく。
「おはよう、リアーナ。……もう起きてたんだね」
リセルだった。寝癖を少し残した髪と、くしゃっとした笑顔。
その姿に、自然と微笑みがこぼれる。
「ええ。今朝は、自分で淹れてみたかったのですわ」
「君が淹れたの? それは楽しみだ」
彼が隣に腰かけると、リアーナはもう一つのカップに紅茶を注いだ。
テラスには、やわらかな陽光と静けさが流れている。
リセルがひと口、紅茶を飲む。
「……やさしい味だね。落ち着く」
「よかったですわ。緊張して手が震えそうでしたの」
「そんな風に見えないよ。昨日の君は、誰よりも堂々としてた」
リアーナはふっと笑いながら、自分のカップにも口をつけた。
そして、少しだけ目を細めてつぶやいた。
「……懐かしい味がしますの。
まだ私が少女だった頃――
初めて“自分の歩む未来”を真剣に考えた朝、
母が何も言わずに紅茶を淹れてくれたのです。
ただ静かに隣にいて、紅茶を一杯。
不安でいっぱいだった私が、それだけで少しだけ、前を向けた――
今朝は、その時と同じ味がするのですわ。
……私の“始まり”の味です」
リセルは、その言葉をじっと受け止めていた。
やがて、やさしく微笑む。
「リアーナ。君は、あの日の君のまま、ここまで来たんだね。
自分で選んで、自分の足で」
リアーナは、少し照れたように目を伏せ、そしてもうひと口――紅茶を口にした。
その瞬間、彼女の瞳がほんのわずか揺れる。
「……今朝の紅茶、なんだか少しだけ甘く感じますの」
リセルが不思議そうにこちらを見た。
けれどリアーナは、そっと微笑んで続ける。
「あの日も、そうでしたの。
母が黙って紅茶を淹れてくれて、私は――ただ、ひと口。
……その時も、ほんの少しだけ、甘く感じたのです」
静かな風が吹き、カーテンが揺れる。
紅茶の湯気が陽光に溶け、朝の空へと昇っていく。
そして、今。
リアーナの隣には、彼女の選んだ“新しい家族”がいる。
「王妃になっても、私は変わりません。
名前が変わろうと、立場が変わろうと――私は、私。
そう在りたいと思うのです」
「それなら、僕も変わらない。君を隣で支えたいと思ってる」
リアーナはしばし黙り、そして確かに、はっきりと笑った。
「……それなら、望むところですわ」
---
紅茶の香りに包まれながら、
ふたりの“朝”が、静かに、そして確かに始まっていた。
あの日の少女が、今日という朝にたどり着いたように――
この紅茶はきっと、これからも彼女を支えてくれるだろう。
……今朝も、ほんの少しだけ、甘く感じた。
---
― 完 ―
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
前作よりも少し長くなりましたが、最後まで楽しんでいただけたなら、これ以上の幸せはありません。
これにて、この“ちょっと過保護で、ちょっと騒がしい一家”の物語は一区切りです。
でも、リアーナたちの世界が、皆さまの心にそっと残ってくれたなら、とても嬉しいです。
ちなみに――
小さな仕掛けをひとつ、最後に忍ばせてみました。
あの日と、今朝。ふたつの紅茶に込めた思い、受け取ってもらえたら幸いです。
番外編も、少しだけ予定しています。
どんな物語になるかは――読んでからのお楽しみ、ということで!
改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
高窓から差し込む陽光は、まだ淡く、
庭園の花々が露に濡れたまま、しんと眠っている。
リアーナは、王妃としての居室に設けられたテラスに腰かけ、
銀のポットから静かに紅茶を注いでいた。
今日は給仕も侍女も控えさせた。
ほんの少しのわがまま――自分の手で、朝を迎えたかったのだ。
紅茶の香りが立ちのぼる。
湯気の向こうに、ふと浮かんでくる記憶。
(あの朝も、こんな風に始まった気がしますわ)
家族の前で“王妃候補”として送り出されると決まったあの日、
母が黙って紅茶を淹れてくれた。
私は不安で、緊張で、心が重くて……でも、何も言えなかった。
母は、そんな私に何も問いたださず、ただ静かに隣に座ってくれて――
それだけで、少しだけ救われた。
(……あれが、私の始まりだった)
背後から、やわらかな足音が近づく。
「おはよう、リアーナ。……もう起きてたんだね」
リセルだった。寝癖を少し残した髪と、くしゃっとした笑顔。
その姿に、自然と微笑みがこぼれる。
「ええ。今朝は、自分で淹れてみたかったのですわ」
「君が淹れたの? それは楽しみだ」
彼が隣に腰かけると、リアーナはもう一つのカップに紅茶を注いだ。
テラスには、やわらかな陽光と静けさが流れている。
リセルがひと口、紅茶を飲む。
「……やさしい味だね。落ち着く」
「よかったですわ。緊張して手が震えそうでしたの」
「そんな風に見えないよ。昨日の君は、誰よりも堂々としてた」
リアーナはふっと笑いながら、自分のカップにも口をつけた。
そして、少しだけ目を細めてつぶやいた。
「……懐かしい味がしますの。
まだ私が少女だった頃――
初めて“自分の歩む未来”を真剣に考えた朝、
母が何も言わずに紅茶を淹れてくれたのです。
ただ静かに隣にいて、紅茶を一杯。
不安でいっぱいだった私が、それだけで少しだけ、前を向けた――
今朝は、その時と同じ味がするのですわ。
……私の“始まり”の味です」
リセルは、その言葉をじっと受け止めていた。
やがて、やさしく微笑む。
「リアーナ。君は、あの日の君のまま、ここまで来たんだね。
自分で選んで、自分の足で」
リアーナは、少し照れたように目を伏せ、そしてもうひと口――紅茶を口にした。
その瞬間、彼女の瞳がほんのわずか揺れる。
「……今朝の紅茶、なんだか少しだけ甘く感じますの」
リセルが不思議そうにこちらを見た。
けれどリアーナは、そっと微笑んで続ける。
「あの日も、そうでしたの。
母が黙って紅茶を淹れてくれて、私は――ただ、ひと口。
……その時も、ほんの少しだけ、甘く感じたのです」
静かな風が吹き、カーテンが揺れる。
紅茶の湯気が陽光に溶け、朝の空へと昇っていく。
そして、今。
リアーナの隣には、彼女の選んだ“新しい家族”がいる。
「王妃になっても、私は変わりません。
名前が変わろうと、立場が変わろうと――私は、私。
そう在りたいと思うのです」
「それなら、僕も変わらない。君を隣で支えたいと思ってる」
リアーナはしばし黙り、そして確かに、はっきりと笑った。
「……それなら、望むところですわ」
---
紅茶の香りに包まれながら、
ふたりの“朝”が、静かに、そして確かに始まっていた。
あの日の少女が、今日という朝にたどり着いたように――
この紅茶はきっと、これからも彼女を支えてくれるだろう。
……今朝も、ほんの少しだけ、甘く感じた。
---
― 完 ―
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
前作よりも少し長くなりましたが、最後まで楽しんでいただけたなら、これ以上の幸せはありません。
これにて、この“ちょっと過保護で、ちょっと騒がしい一家”の物語は一区切りです。
でも、リアーナたちの世界が、皆さまの心にそっと残ってくれたなら、とても嬉しいです。
ちなみに――
小さな仕掛けをひとつ、最後に忍ばせてみました。
あの日と、今朝。ふたつの紅茶に込めた思い、受け取ってもらえたら幸いです。
番外編も、少しだけ予定しています。
どんな物語になるかは――読んでからのお楽しみ、ということで!
改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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