愛のJACK POT!

水戸けい

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第1章 思い切った行動をしてみよう!

私、抱かれたんだ。

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   * * *

 まったく、なんて人だ。

 目を閉じて余韻にたゆたう真理子を見つめ、琉偉はそっと息を吐いた。たよりないと思われた肢体は、しなやかに琉偉に絡んで淫らに舞った。あれほど柔軟性に富んだ動きで、こちらに寄り添い乱れる女性を相手にしたことはなかった。

 やはり彼女は、男を食い物にする魔性の人なのだろうか。

 それにしては、キスはそれほどうまくなかった。無垢なのか円熟しているのか、さっぱりわからない。いったい彼女は何者なのだろう。

 琉偉はそっと、情熱の汗で張りついた真理子の額の髪を指で払った。フルリと震えた真理子のまつ毛に、琉偉の心がくすぐられる。

 どうしてそんなささいな動きで、心が揺れてしまうのか。

 真理子を見つめて考えていると、彼女のまぶたが持ち上がった。焦点の合わぬ瞳がぼんやりと天井に向けられる。視界に自分を映したくて、琉偉は彼女の顔をのぞきこんだ。

「真理子」

 呼べば、ゆっくりと視点が琉偉の顔に合わさった。真理子が自分を認識する。そう感じると、琉偉の胸によろこびが生まれた。

 なぜだろう。

「…………」

 真理子の唇は、迷うように震えてから閉じられた。とまどう視線にほほえんで、琉偉は彼女から離れた。備えつけのクーラーボックスからミネラルウォーターのペットボトルを手に取ってベッドに戻ると、真理子は胸元をシーツで隠して視線をさまよわせていた。

「酔いは冷めたか?」

 ペットボトルを差し出すと、警戒しつつも受け取った彼女は、うなずきながらキャップを外して口をつけた。半分までを一気に飲んだ真理子が、息を吐いておずおずと琉偉を見上げる。

「あの、私……」

「カジノで出会ったことは、覚えている?」

「ええ……。私、ひどく酔っていて」

「そう。あのまま飲み続けていたら、君はきっと倒れていただろうな」

 わざとらしくあきれてみせれば真理子はうなだれた。なんて素直な反応なのかと、琉偉は感動に近いときめきを覚える。

 やはり彼女は男を食い物にするおそろしい悪魔ではなく、少女のように純真無垢で可憐な人なのだ。

 いや。そう決めつけるのは、まだはやい。男を油断させるための、演技だという可能性もある。――慎重に対応しなければ。

 浮かれかける気持ちを抑えて、琉偉はベッドに腰かけた。

「それに、すこしもゲームを楽しんでいるようには見えなかった。自暴自棄と表現すればいいのかな。君はまさに、そんな状態だった」

 警戒をしているのか、真理子の気配が硬くなる。

 なぜか琉偉の胸は痛んだ。

 ああ、俺は彼女に惹かれているのか。初対面の、保護すべき対象だと感じた彼女に。

 しかしこの気持ちは、庇護欲からくる錯覚かもしれないぞ。冷静に対処しろ。彼女がどんな人間かわからないうちは、油断をしないほうがいい。

「なあ、真理子。差し支えなければ、どうしてあんな乱暴な遊び方をしていたのか、教えてくれないか」

「それは……」

 ペットボトルを握りしめた真理子が、唇を迷わせる。いじらしい様子に、琉偉は彼女を抱きしめたくなった。

 けれどここで抱きしめてしまっては、話が聞けなくなる。

 紳士的にふるまわなければと自制し、琉偉は真理子の言葉を待った。

   * * *

 とんでもないことをしでかしてしまった。

 アルコールの抜けた意識で背中に冷や汗をかきながら、真理子は渡されたペットボトルを握りしめた。

 でも、いままでの私を脱ぎ捨てるために来たんだから、これって成功って言えるんじゃないのかな。いままでの私なら絶対にしないことを、もうすでに三つもしてしまっているんだから。

 カジノに、お酒に、初対面の男の人とのセックス。――ああ、旅行って部分も入れたら四つになるか。

 とにかくここは日本じゃないし、私の日常とはかけ離れた場所だし。知り合いもいないから、世間体なんてまったく気にする必要はない。思いつくまま、本能のままに過ごしていいはずよね。

 本能という単語が脳裏にひらめいた瞬間、真理子の頬は熱くなった。

 まさに、本能のままの行動だった。彼のたくましい胸に抱えられて、甘えたくなった。キスがやさしくて気持ちよくて、自分から求めてしまった。体には彼を受け入れた感覚が残っている。とても大きくて、力強くて、気持ちがよかった。あんなふうに自分から欲しくなるなんて、はじめてだ。

 真理子はチラリと上目遣いに琉偉をうかがった。彼の目がやわらかく細められる。なんでも言ってごらん、と視線で告げられ、真理子は全身を彼の腕の中に投げ出したくなった。

 いいえ、ダメよ。落ち着いて。落ち着くのよ。初対面の相手に、なにもかもさらけ出して甘えるなんて、とんでもない。

 でも、初対面の相手だからこそ、気にせずに言えるっていう場合もあるかも。

 真理子は相反する考えに挟まれて唇を迷わせ、目を伏せた。

 そもそもどうして、彼は私に声をかけたのだろう。ナンパ? この船には、私みたいにひとりぼっちで乗り込む人が、ほかにもいるっていうことなのかな。それとも誰かと乗船して、別行動を取っているだけ、とか。名前は聞いたけど、いったいどういう人なんだろう。

 伏せたまぶたを持ち上げて、真理子はまた琉偉を見た。

「あの」

「ん?」

 おずおずとした真理子の声に、琉偉がとろける笑みで応える。キュウンと胸がときめいて、真理子は唇を引き結んだ。

「どうした、真理子」

 落ち着いた声は低すぎず、真理子の鼓膜を心地よく揺さぶった。

 見た目だけじゃなく、声もいいなんて反則だわ。

 ベコ、と真理子の手の中でペットボトルが不平を漏らした。

 どうしよう。なんて言えばいい。どう言えば、この場を切り抜けられるんだろう。とりあえず、なにか言わなきゃ。

「に、日本人には見えないわ」

 虚を突かれたのか、琉偉が目をまるくしてまばたきをする。どうしてそんなことを口走ったのかと、真理子は後悔した。まったくこの場にそぐわない発言だ。もうすこし、マシな言葉はなかったのか。

 羞恥に身を縮めていると、予想に反したやさしい声で、琉偉は答えてくれた。

「よく言われる。彫りが深いし目が青いから、日本人っていうのはウソだろうってな。けれど、戸籍上は間違いなく日本人だし、名前もウソを言っていない。ハーフなんだ」

「……そ、うなんだ」

 失礼だと怒られなかったことにホッとしつつ琉偉を見ると、うん、とはにかみながらうなずかれた。そのしぐさが、なぜだか可愛く見えて真理子は戸惑う。

 どう見ても同年代な男性に可愛いと思うのはおかしい。いや、芸能人にそんな感想を持つこともあるから不思議ではないのかもしれないが、彼は可愛い系というよりも、かっこいい系だ。身長もあるし、顔には甘さがあるものの、男らしさを強調するたぐいの甘さだ。なによりも鍛え抜かれた肉体は、可愛いとは対極にあるもののはず。

 裸身の上半身を見て、真理子は顔を赤くした。

 私、抱かれたんだ。

 唐突に思い出し、真理子は恥ずかしくなった。

 開かれた感覚の残る箇所が、ときめくようにうずいた。

「真理子?」

「あ、ううん。――ええと、その」

 なにか会話の糸口になりそうなものを見つけなければ。でも、なにを言えばいいかわからない。酔っぱらっているところを助けてくれて、ありがとう? それとも、これってナンパなのかと聞いてみる?

 どっちにしても、カッコ悪いというか情けないというか、しまりがない。こういうとき、どう振舞えば正解なのか。真理子が知識として持っているのは、洋画のシーンしかない。それがいくつか参考資料として思い出されるものの、どれも気取っていて自分には似合わない。いったいどうすればいいのと困っていると、軽く肩をたたかれた。

「混乱するのも、無理はない。――とにかく、あんな飲み方も遊び方も、褒められたものじゃない。それだけは覚えておいてくれ」

 立ち上がった琉偉が脱ぎ捨てたシャツに腕を通す。

「帰るの?」

 口をついて出た言葉に、真理子は驚いた。琉偉も驚いたらしく、勢いよく振り向くと呆然と動きを止めて、真理子を見ている。

「えっと、あの、その……、なんでもないの」

 これじゃあ、引き止めているみたいじゃない。

 真理子はいそいで顔をうつむけ、視界から琉偉を消した。

「――そうか」

 琉偉が衣服を整える音を聞きながら、真理子はペットボトルを握りしめた。

「真理子」

 呼びかけられても、恥ずかしくて顔があげられない。真理子はうつむいたまま、「はい」とちいさな声で答えた。

「もしも君がイヤではなかったら、朝食を共にしないか。イエスなら八時半にレストランに来てほしい。ノーなら、今回の件は余計なお世話だったと思って、見かけても声はかけないようにする。それじゃあ」

 遠ざかる足音を聞きながら、真理子は彼の言葉を頭の中で繰り返した。

 八時半にレストランに行けば、琉偉とまた会える。行かなければ、彼との繋がりは消えてしまう。

 扉が開き、閉じる音がしてから、真理子は口を開いた。

「――私」

 琉偉の気配が消えて、ひどくさみしく感じていると真理子は自覚した。
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