初陣

火吹き石

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15.目が覚めて

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 やがて、タイヨウの意識は、暗い闇の底から徐々に浮かび上がってきた。

 最初に気づいたのは、誰かがそばにいて、腕に触れているということだった。夢の続きかと思ったが、そうではなかった。実際に、誰かがそばにいるのだった。

 それから、自分が寝台に寝かされており、掛け布に包まれていることに気がついた。鼻には何か苦く、そして懐かしい匂いが感じられたが、それが何であるかは分からなかった。瞼は重かったが、眠くはなかった。ただ心が空っぽになったようで、目を開ける気力も残っていなかった。

 囁く声が聞こえた。ぽつり、ぽつりと、間遠まどおに繰り返す。誰の声か、何を言っているのか、しばらく分からなかった。声に耳を傾けているうちに、言葉は明瞭になっていった。

「タイヨウ。」

 その心細げな声には聞き覚えがあった。タイヨウが苦心して目を開けると、カワラが項垂うなだれていた。寝台に腰掛け、タイヨウの腕に手を置いている。その目は可愛そうなほど暗く、悲しげだった。後輩の表情を見ると、冷や水を掛けられたように、タイヨウの意識はすぐにはっきりとした。

「カワラ。」

 口から漏れた声は、ほんの囁きだった。もっと大きな声を出そうとしたのだが、声を出す力がなかった。

 聞こえたのかどうか心配なほどの小さな声だったが、カワラは顔を上げ、タイヨウの顔を見つめた。その目は驚きに見開かれ、それからわっと若者の胸に顔を埋めた。少年の体は震えていた。タイヨウは頑張って腕を上げると、その頭を撫でた。

 しばらく押し黙った後で、カワラは顔を上げた。

「タイヨウ。よかった。」

 そう言って、小さく微笑む。それから後ろを振り向くと、すぐそばにある小卓の上から何かを取って、それをタイヨウの口元に差し出した。

「ほら、これ。」

 差し出されたのは干した果物だった。タイヨウが口を開くと、カワラは果物を口に入れた。舌に乗せると、甘酸っぱい味が口に広がり、染み入るようだった。不思議と、また一つ意識が鮮明になった。タイヨウは甘い食べ物を噛み砕くと、また口を開いた。カワラは少し笑みを浮かべ、もう一つ菓子を与えた。

「魔術を使ったんだろ。」カワラは囁いて、タイヨウの額を撫でた。「甘いもんを食ったら元気になるよ。」

 それから、しばらくタイヨウは横になったまま、いくつか果物を食べた。一つ食べる毎に、胸の中にあった暗いうろは小さくなったように感じられた。

 やがて、思考がはっきりすると、そこがミナモの飯屋の客室であることに気がついた。食堂の二階にある部屋の一つで、普段は見習いのカワラが寝泊まりするのに使っている場所だった。寝台と小卓が一つあるだけの、手狭な部屋だった。

 また一つ果物を口に運ぼうとしたカワラを、タイヨウは視線で制した。もう十分だった。

 呪術を使って精気を大きく消耗すると、ひどい憂鬱や無気力、疲労感に苛まれる。それを癒やすには、人によって向き不向きはあるものの、たいてい甘味を使う。甘い食べ物がすぐに活力を与えるからか、それとも味覚の刺激が回復を促すのか、理由はよくわからなかった。だが、とにかく効果的で簡単なので、回復のためにはとりあえず甘味を与えるのが普通だった。

 幼い頃などは、魔力を制御できずに熱を出しては、先輩たちにこうして甘いものを与えてもらったものだった。秘術師に師事するようになってからはそうしたことも減り、戦士団に入団しようと鍛錬をはじめてからはまったく起こらなかった。今回は久しぶりに精根尽き果て、またこんなことになってしまったのだ。

 タイヨウは上体を起こそうと、両の肘をついた。すると、カワラは胸を押さえて制した。

「寝てろ。疲れてるだろ。」

 だが、タイヨウは少年の手を払うと、身を起こした。上掛けが落ち、それで自分が裸なのに気がついた。おまけに体の何箇所かに包帯が巻かれており、包帯を巻いていない場所にも、脂っぽい膏薬が塗られていた。体を覆っていた布がなくなると、はっきりと薬草の苦い匂いが漂ってきた。

「お前がやってくれたんだな。ありがとうな。」

 タイヨウは後輩に顔を向け、にっと笑ってみせた。カワラは少しはにかんだ。

 戦士団に入団しようと鍛錬に精を出すようになったのは、十代の半ばか、その手前の頃だろうか。それからというもの、タイヨウはよく怪我をするようになった。ひどい怪我をすれば薬草師の世話になったが、それでなければ児童院で手当をした。とはいえ、その時代には、先輩たちの多くは見習いとなって働きに出ていたので、幼い頃とは違って甲斐甲斐しく面倒を見てくれる人はいなかった。しかも元から病気がちで仲間同士の付き合いも少なく、そのうえに秘術師の下で数年を過ごしたことから、親しいと言える同輩もいなかった。

 そんな中、カワラはよくタイヨウの世話をしてくれた。たぶん半分は、薬草師の真似事をして遊ぶのが楽しかったのだろう。それに小柄で、その時代にはまだほっそりとしていたタイヨウのことを、先輩というよりも後輩のように思って可愛がっていたのだと思う。幼い後輩を呼ぶように、よくちびだとかタァだとか呼んでは、傷の手当を喜んでしていたものだった。

「寝てろよ、タイヨウ。頼むから。とっとと治して、これ以上おれに手間をかけさせるな。」

 そう言って、カワラは笑う。だが、その笑みはどこかぎこちなかった。

 タイヨウは笑みを消すと、後輩の目を正面から見据えた。

「休んでられないんだ、カワラ。おれ、町を出るから。」

 若い戦士がそう言うと、カワラの顔からすっと笑みが引き、表情がなくなった。それから、いきなり声を荒らげた。

「勝手なことを言うな!」

 叫んで、カワラは小柄な先輩の頬を平手で打った。ぱん、と乾いた音が部屋に響いた。驚いて目を見張る先輩をよそに、カワラは続けた。

「どれだけ……どれだけ、心配してたと思ってるんだ。勝手に町を抜け出して、何のつもりなんだ。怪我をして、帰ってきて、それでいきなり戦士団を抜けて、おまけに旅に出るんだって。お前がばかなのは知ってたけど、そんなにむちゃをするなんて思ってなかった。くそったれ、なんで、お前はそんなことを――!」

 カワラは額を押さえた。肩を震わせ、息を切らせる。何かを言おうと口を開きかけ、啜り泣くような声だけが漏れる。いつもは小生意気な後輩の乱れたさまを見て、タイヨウは茫然としていた。何かしなければいけないと思いつつ、どうしたらいいかわからず、言葉も口から出なかった。

「さっき、ツララさんが店に来たんだ。お前を連れて。」

 そう、さっきとは打って変わって弱々しい声で、絞り出すようにカワラは言った。

「お前が話している最中に倒れて、寝かせなきゃならないって。なのに、お前は砦から出るんだって。もう戦士団の一員じゃないから、ここにいちゃいけないって、わめいてたって、ツララさんが言ってた。ミナモのところに行くんだって、そう叫んでたって。」

 カワラは顔を上げた。その目には涙が溜まって、頬は紅潮していた。走った後のように息が乱れていた。

「歩けなかったから、でっかいやつに抱えられるようにして店に来たんだよ、お前。それからおれが手当をしたんだけど、ツララさんと親方が話してるのを少し聞いた。――お前、本当に、町を出るのか?」

 その顔を正面から見ることができず、タイヨウは顔を背けた。すると、カワラはその肩を掴んだ。

「なんで相談もなく、そんなことを決めるんだ!」そう叫んで、肩を乱暴に揺さぶった。「お前にとって、おれはどうでもいいやつなのか?」

 タイヨウは顔を上げると、後輩の腕を荒々しく掴んだ。

「どうでもいいわけがないだろ!」叫んで、かぶりを振る。「どうでもいいわけがない。お前は、大切なんだ。ミナモさんだって、他の人だって。」

 タイヨウは〈霧の谷〉から旅に出ると決めていた。そこから異界に入れば、もう戻る道はない。霧の土地を通る旅には、ただ先があるだけで、戻ることはできないのだ。旅立ちは、だから今生の別れを意味する。

「それでも――」と、タイヨウは後輩の目を真っ直ぐに見つめた。「おれは行かなけりゃいけないんだ。」

 恥を抱えたまま、タイヨウは生きてはいけない。自分の言葉に真実、則って生きるためには、このままではいられない。旅に出て、力をつけ、人の役に立たなければならない。タイヨウは異国の人々をも守るべきと唱えたのだから、それにふさわしい行ないをしなければならない。そのためには故郷を捨てなければならない。

 タイヨウはそうカワラに言い聞かせた。少年は頬を赤く染め、鼻を啜っていた。タイヨウの目にも涙が溜まって、視界がぼやけていた。

 それから、二人はしばらく互いに見つめ合っていた。どちらも息を切らし、目を腫らしていた。
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