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就職先がきまりました②

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 ホテルの雰囲気と人が変わった本多に圧倒されていると、後ろで声がした。

「あら? その子が例の新人さん?」
 振り返ると長い黒髪をポニーテールにまとめたモデル体型の綺麗なお姉さんが立っているではないか。
「あっ、桃華くん、丁度いい所にきたね。この子が前に話した新人の大港大和くんだよ。大和くん、この人は百瀬桃華くん。分からないことがあったら桃華くんに何でも聞いてね」
「よ、よろしくお願いします!」
 俺は百瀬に頭を下げると、失礼だと思いながらも百瀬の姿をまじまじと見る。身長が百七十センチはあるだろう百瀬は、首元にスカーフを巻いていて黒のジャケットを羽織り黒のパンツを穿いていた。その姿が様になっていて綺麗だけどカッコいい女性であった。
 俺があまりにもまじまじと見ているのが不快だったのだろう。百瀬は無言で俺を見ていた。
「すっ、すみません! あまりにも綺麗だったものでつい見惚れていましたっ」
 慌てて謝ったが、百瀬は何も反応しない。それどころか瞬き一つせずに微動だにしない。
「あの……百瀬さん?」
 さすがに心配になった俺は声をかけた。すると、
「大和は身近にいた同級生の女子とは違う、大人で年上の女性を目の当たりにし、下半身が疼くのを感じた。そう、大和は目の前にいる女性に劣情を抱いてしまったのだ。」
 突然、百瀬が早口で喋りだした。
「は?」
 今、この人何て言った? 呆気にとられる俺をよそに、百瀬の口は止まらない。
「息が荒くなる大和。息苦しさを感じつつ大和はそっと自分の右手を下着の中に入れると、硬くなった下半身を――……」
「うわぁぁぁぁぁ‼ ストップストップ! 一体何を言ってるんですか⁉」
 百瀬はハッと我に返った。
「あらやだ、ごめんなさい。大和くんの熱い眼差しを見てたらネタが浮かんできて、ついスイッチが入っちゃったわ」
「大和くん、実は桃華くんは官能小説家になることが夢なんだ。働きながら執筆してて賞に応募したりしているんだよ」
「は、はぁ」
 スイッチ入ったときの百瀬さん、めっちゃ怖かったわ……。とりあえず刺激させないようにあまり凝視しないようにしよう。俺は心に誓った。
「他に従業員の方はいらっしゃらないんですか?」
 気を取り直して俺は周囲を見渡す。
「何人かいるんだけど今日出勤しているのは僕と桃華くん、そしてもう一人――……」
「あ。轟くんなら買い出しに行ってて不在ですよ」
「そうなの? じゃあ轟くんの紹介はまた後にして早速仕事をしようか」
「はい! お願いします」

 俺は制服に着替えると、フロント業務を教えてもらう。
 ラブホテルというとお客さんとホテルスタッフが顔を合わせないように配慮しているのが一般的だが、ここ『ホテルレッドハイル』ではお客さんとホテルスタッフが対面して受付をする形をとっていた。
「お客さんと顔を合わすのって気まずくないですか?」
「全然。私は気まずくないけど」
「僕たちは仕事をこなしているだけだから何とも思わないよ。お客さんはどう思っているのかわからないけど。でもウチに来るお客さんは皆堂々としているね」
「そりゃここはそういうホテルだもの。食事をするためにレストランに入店するのと一緒でお客さんもそのつもりで来館するんでしょう」
「はぁ、そうですか。……最初に思ったんですけど、このホテルってラブホテルっぽくないですよね。造りが豪華っていうか……」
 俺は大理石調のフロントカウンターを撫でる。
 カウンターの隅で販売しているアダルトグッズは目に入れないようにした。
「それはここのオーナーの趣味だね」
「そうなんですか……」
「豪華さが売りでもあるわよね。客室だって綺麗だからリピーターも多いし」
 内装にこだわるんだったら外観も少しは気にしてくれよ。喉元まで出かかった言葉を俺は飲み込んだ。
 それからチェックイン業務を一通り教わると、
「さて、実践は午後からにして休憩に入りなよ。疲れたでしょ?」
 本多の言葉に促され俺は休憩に入ることにした。

「はぁぁぁ」
 スタッフルームでパイプ椅子に座ると長机に突っ伏しながら一息つく。
 不安なまま始めた仕事だけどこれから上手くやっていけるだろうか。右横向きになっている首を左横に向き直すと、アダルトグッズの作りかけのポップが目に付いた。

 快楽へと誘う魔法のグッズだぴょん♡

 そんなコメントの下に魔法使いのような恰好をしたウサギの絵が描かれていた。

「はぁぁぁぁぁ」
 俺は見なかったかのように首をまた右横に戻すと深い溜息をつくのであった。

 午後から実際にお客さん相手にチェックイン業務をする。
 最初は本多たちが横についてフォローしながら仕事をしていたのだが、思っていたよりも俺は上手く仕事をこなしているようで、しばらくすると二人はフロント裏にある事務所で別の仕事をすることになった。
 数をこなすうちにチェックイン業務も慣れてきた頃、事件は起こった。
「あの、すいません」
 フロントにやって来たのは可愛い顔をした女の子だった。
 フワフワとした雰囲気をまとっていて小動物を連想させた。
「はい、何でしょうか」
「あの」
 心なしか女の子の声は震え、目は潤んでいた。
「これ、下さい」
 そう言ってカウンターに置いたのは販売しているアダルトグッズである。
 男性のソレを模している、しかも、すげえ極太なえげつないタイプの。
 俺が硬直していると、事務所にあるモニターで様子を見ていた百瀬さんがすかさずフロントに出てきた。
「こちらでお会計致します」
 にこやかな笑顔を作りながら百瀬は会計を済ませた。
 女の子は商品を手に取るとエレベーターの方へ小走りする。エレベーター前にある観葉植物の脇で女の子の彼氏であろう男がニヤニヤしながら女の子を待っていた。一言二言会話を交わすと二人は到着したエレベーターに乗り込んだ。
「あの女の子の彼氏、相当なドSね。わざと女の子に恥ずかしいものを買わせて、その様子を眺めていたのよ」
「そういう事だったんですか」
 女の子の声が震え、目が潤んでいたのは羞恥からだったのか。
「女は握りしめているソレを男に見せた。男はニヤリと口を緩めると下卑た顔をする。「言われたようにちゃんと買えたな。どうだ今の気分は? フン、言うまでもねぇか。物欲しそうな顔を既にしやがって。今からたっぷりと可愛がってやるよ」そう男は女の耳元で囁くと二人はエレベーターの中へ消えていった。」
「百瀬さん⁉ スイッチ入ってます! 本多さん、ちょっと助けてください!」
 どうにかして欲しくて本多のいる事務所に顔だけ出して覗き込む。
「……何してるんですか」
 仕事をしているかと思えば、本多はあろうことかケーキを美味しそうに頬張っているではないか。しかも自宅から持ってきたのであろう花柄のティーセットで紅茶まで飲んでいる。
「はは……ちょっと息抜きさ」
 口元にたっぷりクリームを付けている本多は、ばつの悪そうに笑う。
「も、もちろん大和くんの分のケーキもあるよ!」
「……本多さん。反面教師って言葉、知ってます?」
「うっ、大和くん! そんな冷めた目で僕を見ないで!」
 俺にすがりつく本多。
「ちょっ、放してください! 口元に付いているクリームが制服に付くじゃないですか」

 ガシャーン!

「あなた達、一体何なんですか⁉」
 俺が本多を引き離そうとしていると、フロントにいる百瀬の怒声と何かが倒れるような音がした。俺と本多は慌てて事務所を飛び出しフロントへ顔を出す。
 すると、いかにもな風貌をしているガラの悪い二人組の男がいるではないか。
 男の足元には倒れた電気スタンドが転がっていた。ロビーにある電気スタンドを男がわざと倒したようだった。
「威勢のいい姉ちゃんじゃねぇか」
 男Aが言う。
「お? アンタがここの責任者か?」
 男Bが本多を見て詰め寄ってきた。
「私はここのホテルの副支配人です。一体何のご用でしょうか?」
 さっきまで俺に泣きついていた本多とは打って変わり、毅然とした態度で男Bと話す。
「ここのホテルの経営はちゃんとウチに許可取ってやっているんだろうなぁ⁉」
「当ホテルはおたくらとは一切関係ありませんので」
「何だと⁉ 眼鏡ぶち割るぞ、オラァ!」
 男Bが本多に掴みかかり、今にでも殴りそうな剣幕だ。
「あわわわ、どうしましょう百瀬さん。こういうの俺、初めてで」
 上ずった声で隣にいる百瀬に言うと、
「こういうのは初めてで当然でしょう。むしろ大和くんがこういう場面に何回も遭遇していたら心配になっちゃうわよ」
 冷静な対応で返された。
「いや、そういう意味ではなくて! てか早く警察に連絡したほうがいいんじゃないですか⁉ 本多さん、男に胸ぐら掴まれたまま揺さぶられていて、首が赤べこのようになってますよ⁉」
「おい! そこ何ごちゃごちゃ言っているんだぁ⁉」
「ひぃ! すみません!」
 反射的に謝る俺。反社だけに。
「今日は金さえ払ってくれれば帰ってやるからよぉ」
「……金が何だって?」
 背後から新たな声がした。
「何だ……ひぃぃ!」
 振り向くと同時に男Bは悲鳴をあげた。
 男Bの後ろにはピアスをした、がっちりした体格の大男が睨んでいた。体格だけでなく、その大男は銀幕俳優顔負けの強面をしている。
 やべぇ、新たなヤカラが来ちまったよ……。生きた心地がしない俺は、自分がドラム缶に詰められて海に投げ捨てられる未来が見えた。
「ホテルを経営するにはどこの許可が必要だって?」
 強面男は凄みながら言う。
「あ、いや。えっと……」
 さっきまでの勢いがなくなり男Bは口ごもる。
「やべぇぞここのホテルは。ずらかるぞ」
 男たちは出て行こうと回れ右をする。が、
「ちょっと待ちやがれ」
 強面男が逃げようとする男の襟首を猫のように掴み上げる。
「二度とウチのホテルに来るんじゃねぇぞ。次来たら……わかってるだろうな?」
 強面男の眼が鋭く光った。
「わ、わかりましたから放してくださいっ!」
 男たちは慌てて逃げていった。
「おい、いつまで怯えてるんだよ」
 強面男はガタガタ震えている俺を指さす。
「あわわわ、俺を、こここ殺しても何も得はないででです」
「おい、落ち着け」
「本多さん、早くお金を渡して帰ってもらいましょう」
 俺は本多にすがりついた。
「うん。落ち着いて大和くん? この人は従業員だから」
「ヤクザを働かせているんですか、ここのホテルは⁉」
「俺はヤクザじゃねぇよ!」
「大和くん。この人がさっき買い出しで紹介できなかった轟くんよ」
「お前が新人か。俺は轟呂希だ」
 轟は赤く染めた髪を掻きあげると無愛想に短く挨拶をした。
「それにしてもヤカラが来るの久しぶりよねぇ」
「轟くんのお蔭でここ最近はああいうのめっきり減ったんだけどなぁ」
「きっとアイツらは新入りだったんだろうな」
「でも轟くんはすごいわよね。立っているだけでヤカラが避けるんだから」
「俺はカラス除けのカカシか」
「ぶはっ、今のツッコミつぼに入った……ひぃ、お腹痛い」
 三人は仲良く盛り上がって話している。置いてけぼりの俺は本多が公園で言っていた言葉を思い出す。

『最近新しく入った新入りが辞めてしまって――』

 あぁ、新入りの気持ちが痛いほどわかる。きっとこの人達から逃げ出したかったんだろうな……。
「おい」
 轟が俺を呼ぶ。
「お前、この仕事から逃げたいとか考えてねぇよな?」
 何この人、もしや人の心が読めるエスパー⁉
「大和くんはそんなこと思っていないよ。だって辞めても次のアテがないんだから」
「うっ」
 本多が痛いところを突いてくる。しかし、この仕事を辞めたいのが俺の正直な気持ちである。
 それは職場がラブホテルだからという理由ではなく、この悪い意味で個性豊かな人達と働くことによって、俺の気苦労が絶えないのが目に見えているからだ。
 このまま有耶無耶な態度を取ると逃げられなくなるぞ。
「あの」
 俺は口を開くが先に轟が喋る。
「次に行くアテがないなら辞めないか」
 ニッと轟は白い歯を見せて笑うと、
「これからよろしくな、大和」
 そう言って太い腕で俺の肩を抱く。辞めたいと言うと、今にでもその太い腕で締め上げられそうだ。危機を感じた俺は強張った顔に無理やり笑顔を作る。
「はい。ご指導のほどよろしくお願いします……」

 こうして俺はラブホテルのスタッフとして働くことになったのであった。

 あぁ、これからどうなるんだろう。そんなこと、誰も知るはずがない。
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