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第一章 32歳~

13 水族館 33歳

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『水族館に行こう。』
 青山一家と出かける時に、大志が自分から行き先を指定してきたのは初めてだった。



「お魚いっぱい~!」
 久しぶりの水族館で、奏も瑛もはしゃいでいる。放っておくと、紗栄子達を置いて2人でどんどん行ってしまいそうだ。きっと順路も何も関係なく進んでいくだろうから、心配で仕方がない。
「ママの近くにいて!」
「ママ遅い~。」
「遅い~。」
「じゃあ大志くんと一緒に行こう。…紗栄子はゆっくり追いかけてきなよ。」
「でもっ…。」
 あっという間に男たちは行ってしまった。
 まあ、大人同士はケータイで連絡が取れる。紗栄子はお言葉に甘えてのんびり歩くことにした。
 小さな水槽がいくつも並んでいたり、海の波を再現しているところがあったり。トンネル型の水槽では、たくさんの子供達が上を見上げている。
 さらに抜けると、一番大きい水槽があった。サメやエイ、亀などが泳いでいる。
 蓮の顔が浮かぶ。彼は水族館が好きだった。
『いいよな、こいつら。タイムなんか気にしないで泳いでてさ。』
 A市に住んでからは何度かこの水族館に通った。恋人同士の頃。新婚の頃。瑛が生まれて、奏が生まれて、家族の形は変わっていった。
 ジワリと涙が滲むので、顔バレ防止の伊達メガネを動かして目をこする。
「蓮、水族館好きだったよな。」
 いつの間にか大志が引き返してきていたので、紗栄子はビックリして涙を隠しきれないまま振り向いた。
 紗栄子の様子に気づいて、大志はちょっと困ったように笑った。
「水族館て、ちょっと自分も泳いでるみたいな気にならないか?」
「ああ…そうかも。」
「紗栄子だって元はといえば水泳の選手だろ。」
「そうだね…。でも、その頃のことってすごく遠い。経過年数だけじゃなくて、私の人生は城北高校で始まった気がするからだと思う。」
 水泳部のマネージャーになって、先輩に厳しく指導されて。
 水泳部のメンバーと強い絆で結ばれて。
 大志と付き合って、あの頃は2人の熱量に差があったけど、恋人同士のなんたるかを教えてもらった。
 水族館には色んな生物がいる。海にはもっともっとたくさんの生物がいるんだろう。
 何億年何万年という時を経て、紡がれてきた命たち。
 その結果、こうして大志と出会って、蓮との間に子供が生まれて、また命が続いていく。
「水族館いいね。」
「良かった。」
「なんか壮大な気分になった。私達、ものすごく長い年月をかけて育まれてきた命のひとつひとつなんだね。」
「予想以上に壮大だな。」
 水族館なのに外には大きな遊具があって、瑛も奏もスイスイのぼっていく。
「あんなでっかいもん、よく上までグイグイのぼれるよな。」
「子供って怖いもの知らずだよね。」
 子供たちが高いところから振り返って手を振る。
「ママ~。」
「大志く~ん。」
「ちゃんと、しっかりつかまってね!気をつけて!」
 母親の顔になる紗栄子の横顔を、大志が見つめる。
「俺、もう、“するだけ”の子には会わない。」
 大志の言葉が鼓膜を直撃した衝撃は大きかったが、紗栄子は子供達から視線を外さない。
「紗栄子に軽蔑されるようなことはやめる。」
 瑛も奏も遊具の上で楽しそうだ。紗栄子はヒクッと小さく鋭く息を吸った。
「軽蔑なんか…してない。私が…そういう話を聞いてるのが苦しかったの。」
 大志の小指が、紗栄子の小指に絡まる。繋がるのは、指一本だけ。紗栄子の手は逃げない。
「そろそろ蓮の三回忌だな。」
「うん…。」
「それが終わったら、時間作ってくれるかな。2人で話がしたい。」
「うん…。」



 桜が散っている。
 今日は蓮の三回忌だ。
 一年前の一周忌に比べると集まりは少ないが、そういうものなのだと紗栄子は思う。
「紗栄子ちゃん、昨日は大変じゃなかった?」
「はい。お母さん、いつもすみません。」
 蓮の母が週の後半、紗栄子の母が週の前半を中心にA市の青山家に泊まりに来てくれている。今日の法事の準備があったので、滞在を短めにして帰ってもらった。
「よう、大志。」
「よう、雅哉。」
「紗栄子ちゃん、一年前より顔色いい感じするな。」
「ん?うん。そうだな。」
 一周忌の時は、不健康に痩せていた。紗栄子のとんでもない要求を拒否して、二人では会わなくなってしばらく経っていたころだ。
 一年は、本当に早い。
「こんにちは。」
「おう、高野。」
「こんにちは。」
 久美子は雅哉と大志ににこやかに挨拶をした。
「工藤君、ちょっと。」
 雅哉を振り返ると、彼は首をすくめて別の友人の方に歩いて行った。
「なに?」
「紗栄子や子供たちとよく遊んでくれてるみたいね。」
「ああ、まあ、ほどほどに。」
「彼女とかいるの?」
「いないよ。」
「寝るだけの女も?」
 大志は目を剥いた。紗栄子が久美子にいろいろとしゃべっていたとしてもそれを責める筋合いでもないし、よく考えれば久美子は学生時代の、大志の男としての素行の悪さをよくよく知っているのだ。むしろ紗栄子よりも。
「今はいない。紗栄子に軽蔑されたくないから。」
 久美子が、お、という顔をした。
「余計なお世話でごめんなさい。私にとって、紗栄子は大事な友達だから。高校時代にチームメイトとして一緒に頑張った子だから。蓮もそうだから。」
「わかるよ。」
「紗栄子がどれだけ自分の今の状況を考えてあなたに遠慮してるか、わかるかな。昔あんなにひどい裏切りをしたあなたに対してよ。」
「可能な限り想像してる。」
「そう。」
「今度二人で話そうって約束したんだ。」
「…そう。」
 久美子はうんうんと頷いた。
「じゃあ、私は紗栄子からの報告を待つわ。」
「よろしく。」
「みなさま、そろそろお時間です。」
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