境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

24.違和感の正体

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 店内はにわかにざわつき始める。
 夕刻は既に遠く、夜半が訪れるまではもう少しの時間帯。しかし未だ客が大半残る店内では今の時刻、決して聞こえるはずのない鐘の音に動揺が広がっていた。

「なんじゃ……?時計塔の鐘が鳴っておるのか……?」

 やはり、耳が遠いなんてことはないらしい。

 しっかりと鐘の音を聞き取り怪訝な顔をする老爺は、時計塔があるはずの方角へと目を向けた。無論、そこには店の壁があるばかりで時計塔など見えはしないが。
 どこまでも大きく、そして本来この時間に聴こえるはずのないという矛盾をはらんだ音は、昼間に聞くよりもどこか薄気味悪さすら感じさせる。
 軽やかに、ぜつが震えるたびに重く、重く響き渡る。

 ───数十秒、宵の闇に余韻を僅かに残しながら音は止まった。

「……何が分かったの?」

 騒めく店内。

 3人の守護者達の中で、始めに口を開いたのはシリスだ。弟だけが突然の鐘の音にあまり驚いていない事に彼女は気付いていた。
問われて、ヴェルは表情を歪めたまま呟く。

が元凶なんだよ」

 この状況で"あいつ"が誰を指すのかは、シリスにも分かった。

「あいつは多分───」

 刹那、窓の外から悲鳴が届いた。
 反射的に3人は席を立ち上がり、出入り口に向かって駆け出す。

「おい!おんしら、何処へ……!」
「爺さん、悪いが今回だけツケを頼むと主人に言っておいてくれ!」

 ブレンドンが声を掛けてくるが悠長ゆうちょうに答えている暇はなかった。

 勢いよく扉を開けると、やや冷え始めた夜の風が頬を掠めて流れていく。飛び出た先の路地には所々備え付けられた照明が灯り、薄ぼんやりとした光を放ちながら赤レンガの道に影を濃く落としていた。
 くらい、と、ヴェルとシリスは感じた。
夜の闇の所為せいだけではない。纏わり付く空気が途轍とてつもなく暗く、昏く感じたのだ。そしてそれを感じたのは双子だけではなかった。

「空気が、おかしい」

 双子よりも町を知っているはずのグレゴリーもそう零した。剛健ごうけんな顔つきに一層の猛々たけだけしさを浮かべながら、灯りの乏しい路地の奥を睨みつける彼はタクトを取り出して構える。

 そして聞こえる、悲鳴。

 路地の奥、わずかな灯りの中にひるがえる影が見えた瞬間、瞬時に術を組み上げ、練り上げ、迷いなく放つ。

雷槍サンダーブレード!」

 一条の光とそれを追うようにほとばしる閃光は、グレゴリーの緻密な計算により石板を砕いたときよりも遥かに弱く、それでいて鋭く影の奥の闇を貫いた。

「ひぃっ……!」

 影───中年の男性は唐突に横を掠めていった閃光に、思わず足をもつれさせる。あわや地面にぶつかる寸前、迷いなく向かっていったシリスはバランスを崩した体を支えた。

「大丈夫ですか!?」
「あっ……だっ……」

 自分を支えたのがヒトだと認識してか、男性は全身から力を抜き息も絶え絶えに話そうとする。暫く走っていたようで、荒い息の元では形を成さない言葉の羅列しか聞こえない。それでもなんとか男性は呼吸を整え、ようやく出てきた言葉はこの場の混乱をさらに煽るには十分だった。

「に……人形達が……」
「人形?」

 その時だった。近くの路地の方から、はたまた遠くの方で幾つもの悲鳴が上がる。同時に、何かが破壊される音と怒号、金属のぶつかり合いと様々な音が3人のいる路地にも届き始めた。

「何が起こってんの……!?」

 腰が抜けてしまった男性を一先ず地面へ座らせ、至る所で聞こえる音に辺りを見回すシリス。そんな彼女と一緒に路地奥へ向かっていたヴェルは、グレゴリーが貫いたものの側まで行きその全貌をしっかりと認識した。



「魔導人形……」

 仰向けに倒れ込む円柱の胴体。力を失った手足は乱雑に投げ出され、あらぬ方向を向いている。
光芒に貫かれ粉々になった頭部は路地に散乱し、歯車やスプリングなどの中身をぶち撒けていた。
丁度靴の先に転がってきた真っ黒の瞳が、僅かばかりの照明を反射してヴェルを見上げている。
ぎり、と奥歯を強く噛むと、彼は振り返り叫んだ。

「グレゴリーさん!エミリオさんって人、あいつ───あいつ多分""だ!」
「……なんだと?」

 急な言葉にグレゴリーの顔から一瞬険しさが消えた。しかしそれも一瞬のことで、再度表情を硬くすると彼は店の扉へと走り、中の客に向かって声を張り上げた。

「聞いてくれ、俺たちは"守護者"だ!緊急を要する事態が起こった。全員、なるべく店から出ずに身を潜めていてくれ!戦えるものはなるべく入り口近くで布陣を固め、非力な者を守るように!俺たちの正体の真偽は、店の主人に聞けば分かる。頼んだぞ!」

 突然の号令に、鐘が聞こえた時よりもざわめき始める店内。何があったのかと疑問の声も飛んだようだが、グレゴリーは一切答えずに扉を閉めてそのままヴェルの元へ走る。
 シリスもグレゴリーにならい、ヴェルへ向かって一歩踏み出す。

「さっきの言葉聞こえてました?あの店に行って、みんなで固まって身を守っててください」
「えっ……あの」
「早く!」
「ひっ、はい!」

 鋭い声に、男性はびくりと肩をすくませると言われた通りに店の中に飛び込んで行った。それを見届けてから、シリスは先に走る2人の背中を追いかける。

「ヴェルごめん、手短に教えて」
「すまんが俺にも頼む」
「……あの人の寝室、綺麗過ぎたんだよ。せってるって言うにはベッドを使った感じがなかった」

 十字に分かれる路地を右に曲がる。曲がった直後。

 目の前でを激しく殴打していた人形を、シリスが躊躇いなく切り捨てた。
半分に分たれた胴体は部品を撒きながら地面を転がり、断面から細かな火花を散らして痙攣する。力を失った手から転がったトランペットが血と脂、そして弾けた肉片でベトベトに汚れていた。
 殴打されていたものが。それを確認する前に、シリスとヴェルの視界が大きな手に塞がれた。

「ヴェル、続きを。良いか2人とも、足を止めるな」
「「……はい」」

 そうだ。今は心を傷める時間も惜しい。
 グレゴリーの言葉に素直に従って2人はまた路地を進む。今見たことを頭の中から振り払い、ヴェルは促されるままに続きを口にした。

「あの人のベッド、シワもなくて……。たとえ毎回ベッドを整えてても、グレゴリーさんと一緒に襲われるまで休んでたとしたらおかしくないすか?誰がわざわざまた整えるんだ?って」

 グレゴリーがタクトを振った。
 路地の向こうから手足をめちゃくちゃに振って走ってきた人形が、不可視の壁にぶつかり跳ね返る。転がる人形の横を通り抜けざまに、蒼い刃が頭部の真ん中を穿って行く。

「あとはニーファさんが、1人であれだけの鏡像を隠せるのはおかしいと思ってた。普段は鉄格子で制御してたとしても、あれだけ出てくりゃそのうち溢れて手に負えなくなるはずだ。あの人自身は俺と戦おうともしなかったし、本当に戦闘能力は全くなかったんだと思う。だからきっと、鏡像をあしらえる奴は他に居たんだよな。それに……」

 思い出す、諦めに似た穏やかな表情。

 あれは。

 あれは、自分が死んでも後をになう者が居るからこそできた表情なのではないかと。
今なら、ヴェルはそう思えるのだ。

「"あの人"を追い込んだこの町が憎いって言ってた。最初、爺さんの話を聞いた時は身投げした技師のことだと思った」

 しかし、ニーファはこうも言っていた。

 鐘の歌声が変わっても、と。
 私の鏡像"も"生まれているのか、と。

 その言葉からヴェルが導き出せた答えは一つだけだった。

「本物のエミリオさんは時計守を下ろされる事になって町を憎んだ。その結果、生まれた鏡像に成り代わられた。技師は多分そん時に喰われたんじゃないか?ニーファさんはそれを知ってたけど、本物のエミリオさんの無念を晴らすために偽物に協力したんじゃないかって。当然、偽物がメンテナンスするから鐘の音とかも違うんだろうさ。俺は元々の音色を知らないけど」

 そこまで言って、ヴェルはシリスに情けない顔を向けて笑ってみせる。

「とか言って、これが全部見立て違いだったらマジで俺ダサい事になるけど」
「んなこと気にするのはあとあと。今の考え、あたしも筋が通ってると思うよ。で、この騒ぎも人形を扱うことの出来るエミリオさんが原因だって言いたいわけっしょ?」
「そういうこと」

 もう一度、今度は十字路を左へ。
 喧騒が一際大きく聞こえ始め、大通りが近い事が理解できた。あの店から大通りへ出る道筋は頭に入っていたはずなのに、それでも夜になれば昼間と景色が違うように見えて方向感覚が狂いそうだ。

「出るぞ、大通りだ」

 グレゴリーの言葉と同時に、狭かった路地から視界が一気に開けた。
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