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第1章 彼女の言葉はわからない
労力かけても得はなし 3
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ティトーヴァは、苛立ちを抑えきれずにいる。
皇帝である父が、カサンドラだけを呼び出したからだ。
ティトーヴァも、再三、謁見の申し入れをしている。
が、返事すらもらえていない状態だった。
謁見できない事情があるのかと思っていたが、違うとわかったのだ。
しようと思えばできるのに、しようとせずにいる。
それが、ティトーヴァを苛立たせていた。
息子より「あの女の娘」を優先させていると感じずにはいられない。
疎んじられるのはともかく、皇太子としてないがしろにされる覚えはなかった。
「お兄様、彼女の処遇は、どうなさるの?」
声をかけられ、ティトーヴァは渋い顔をしたくなる。
今は、それどころではないのだ。
とはいえ、ディオンヌに腹を立ててもしかたがない。
おそらく、カサンドラを心配してのことだろうから。
「1度、決められたことですから、撤回は難しいのでしょう?」
「ディオンヌ、状況が変わった」
「それは、皇帝陛下がカサンドラ王女様をお呼びになられたからですね」
「そういうことだ。陛下が彼女をどう扱うかによって、こちらも態度を変えざるを得ない。申し訳ないが、きみがされたことに罰をくだせなくなることも有りうる」
ディオンヌは、カサンドラに罰を下すのを止めようとしていた。
なので、仮に、罰せなくなったとしても、理解してくれるに違いない。
ティトーヴァは面目を潰された形になるが、しかたがないことではある。
皇帝の存在に、カサンドラは守られているのだ。
「なにを話すかにも寄るが、悪い話ではないだろうな」
カサンドラは、皇帝が決めた婚約者。
連れ子とはいえ皇后の娘であり、皇帝は、彼女に情をかけている。
悪い話になるのであれば、先に婚約の解消がなされていたはずだ。
溜め息をつき、ティトーヴァはソファに腰を落とした。
隣にいたディオンヌが、手を握ってくる。
ディオンヌを気の毒に思う気持ちと賓客としたことへの責任から、なるべく優先させてきたが、こればかりは強行できない。
皇帝を前にしては、無力なものだと、自嘲する。
「ここで、一緒に彼女を待ちましょう。皇帝陛下と、なにを話されたのか、お訊きする必要がありますものね」
言葉に、ぎょっとなった。
ディオンヌの顔を、まじまじと見つめる。
本気で言っているとは、とても思えない。
が、ディオンヌは、曖昧な笑みを浮かべ、ティトーヴァを見つめていた。
状況がわかっていないのだと、すぐに悟る。
思えば、さっきもセウテルに対し、よけいなことを言っていた。
皇帝の命に口を挟むなど言語道断。
セウテルは、個人的な意見を言っていたわけではないのだ。
急速に、ディオンヌに対する苛立ちが募ってきた。
ちらりと視線を投げた先のベンジャミンも、顔をしかめている。
同じように感じているのは確かだ。
自分の感覚が間違っているのではない。
ティトーヴァは、大きく溜め息をつく。
それから、ディオンヌの手を離させた。
厳しくならないようにするので、精一杯だ。
「悪いが、きみは部屋に戻ってくれ。彼女の処遇については、あとで連絡する」
「でも、元はと言えば、私が原因……」
「ディオンヌ」
少し硬い口調で、ディオンヌの言葉を制する。
何年も皇宮で暮らしているのに、未だに基本的な原則がわからずにいることが、信じ難かった。
皇帝の「私的な謁見」は、内容が秘匿される。
セウテルですら、聞くことのできない会話なのだ。
皇帝自らが許しを与えない限り、謁見者も内容を口外できないし、他の者が開示を求めることもできない。
だとしても、ティトーヴァは皇太子であり、息子だった。
まだしも、聞く「権利」があると、カサンドラに主張することはできる。
しかし、ディオンヌは、その立場にはないのだ。
聞こうとすること自体が、おこがましいと言わざるを得ない。
「とにかく、部屋に戻っていてくれ。政治的な話であれば、きみに聞かせることはできないからな」
「あ……そ、そうですわよね。ごめんなさい、お兄様……」
ディオンヌが、ようやく立ち上がった。
振り返る姿に、少し未練がましさを感じる。
「お母様の形見のこと、本当に、私は戻ってきただけで満足しております」
「ああ、わかった」
ここに残り、カサンドラの口添えをしたかっただけだったのだろう。
ディオンヌの気遣いはわかるが、少し無邪気に過ぎる。
もう少し、皇宮内のことを学ばせなければならない、と思った。
部屋を出て行くのを見とどけてから、再び、溜め息をつく。
「ベンジー、ディオンヌに、教育係はつけていたな?」
「もちろんです、殿下」
「それにしては……」
言葉を続ける気にはなれなかった。
いくつか重なった状況に、ティトーヴァは疲れを感じている。
さっきのカサンドラの態度も、気にかかっていたし。
「あの態度には、裏があったと思うか?」
「皇帝陛下が庇ってくださると知っていたかもしれないと、お考えなのですね」
「でなければ、あんな態度を取れるはずがない」
これまでのカサンドラは、反論も口答えもするような女ではなかったのだ。
ティトーヴァが声をかけるまで黙っている、そんな女だった。
あんなふうにティトーヴァをやりこめるような態度は1度も見せたことがない。
「地下牢にも怯えていなかった」
「そこが、どういう場所かを知らないからではないでしょうか」
それは、考えられる。
言葉だけでは実感が伴わないので、平然としていられたのかもしれない。
女の身には、きつい場所だ。
別宮の部屋とは、まるで違う。
暗くて、じめじめしていて、寒い。
食事も、メイド以下のものしか与えられない。
当然だが、湯にだって浸かれないのだ。
そういう、あれこれをカサンドラは知らないのだろう。
「しかし、殿下。カサンドラ王女様は、元は平民でしたから、狭くて汚い場所でも平気だったのではないでしょうか」
「それも、そうだな。裕福な暮らしはしていなかったようだし、食事が貧相なのも我慢できると思ったのか」
だが、皇宮で暮らし始めて2年になる。
カサンドラは、贅沢な暮らしに慣れきっていた。
新しいドレスに宝石と、贅沢三昧している。
彼女にかかる費用の報告が来るたび、ティトーヴァは呆れていた。
今さら、地下牢のような場所に我慢できたかは、わからない。
「皇命もありますし、長期間、地下牢に閉じ込められることはないと、高を括っていたとも考えられます」
「もともと、俺とて、それほど長く入れておく気はなかったがな」
カサンドラに反省を促したかっただけだ。
謝罪さえすれば、半日だろうが、1時間だろうが、出してやろうと思っていた。
その際には、自分が迎えに行くことも視野に入れている。
さすがに、地下牢に入れたとなると、無関心でもいられないと考えたのだ。
(しかし……気になる。あの態度に口調……食事を断ったことも……)
カサンドラに対する認識が、変わりつつある。
これまで無関心に過ぎたのかもしれない。
思い返してみても、実際には、彼女がどういう人間か、はっきりしなかった。
単に、大人しくて臆病なだけではなかったようだけれども。
「とにかく、陛下との謁見内容を、問い質す必要はある」
「お2人のご婚姻についてでしょうか」
「わからん」
それは、ここで考えていてもしかたがない。
推測や、可能性だけの話でしかないのでは、意味がなかった。
また少し、苛立ちを覚える。
カサンドラに待たされていると感じるのが、不快だった。
立場も身分も、自分のほうが上だというのに。
いよいよ、父に疎まれているのを強く意識する。
赤の他人であるカサンドラのほうが、父に近いのだろう。
皇后を介して、それなりに親しくなっているはずだ。
ティトーヴァが、けして、縮められなかった距離を、カサンドラは、あっさりと越えている。
(まぁ、いい。父上は、俺にとっても父ではないのだ)
だが、皇太子としての面目くらいは立ててもらいたかった。
その理不尽さに腹が立ち、いっそうカサンドラに苛つくのだ。
謁見を終えたら、ここに戻らせるよう、騎士に言いつける。
カサンドラの態度が変わったのを気にしてはいたが、自分の問いに答えないとは思っていない。
できることもなく、ただ待たされ続けなければならないことに、ティトーヴァは苛立っていた。
皇帝である父が、カサンドラだけを呼び出したからだ。
ティトーヴァも、再三、謁見の申し入れをしている。
が、返事すらもらえていない状態だった。
謁見できない事情があるのかと思っていたが、違うとわかったのだ。
しようと思えばできるのに、しようとせずにいる。
それが、ティトーヴァを苛立たせていた。
息子より「あの女の娘」を優先させていると感じずにはいられない。
疎んじられるのはともかく、皇太子としてないがしろにされる覚えはなかった。
「お兄様、彼女の処遇は、どうなさるの?」
声をかけられ、ティトーヴァは渋い顔をしたくなる。
今は、それどころではないのだ。
とはいえ、ディオンヌに腹を立ててもしかたがない。
おそらく、カサンドラを心配してのことだろうから。
「1度、決められたことですから、撤回は難しいのでしょう?」
「ディオンヌ、状況が変わった」
「それは、皇帝陛下がカサンドラ王女様をお呼びになられたからですね」
「そういうことだ。陛下が彼女をどう扱うかによって、こちらも態度を変えざるを得ない。申し訳ないが、きみがされたことに罰をくだせなくなることも有りうる」
ディオンヌは、カサンドラに罰を下すのを止めようとしていた。
なので、仮に、罰せなくなったとしても、理解してくれるに違いない。
ティトーヴァは面目を潰された形になるが、しかたがないことではある。
皇帝の存在に、カサンドラは守られているのだ。
「なにを話すかにも寄るが、悪い話ではないだろうな」
カサンドラは、皇帝が決めた婚約者。
連れ子とはいえ皇后の娘であり、皇帝は、彼女に情をかけている。
悪い話になるのであれば、先に婚約の解消がなされていたはずだ。
溜め息をつき、ティトーヴァはソファに腰を落とした。
隣にいたディオンヌが、手を握ってくる。
ディオンヌを気の毒に思う気持ちと賓客としたことへの責任から、なるべく優先させてきたが、こればかりは強行できない。
皇帝を前にしては、無力なものだと、自嘲する。
「ここで、一緒に彼女を待ちましょう。皇帝陛下と、なにを話されたのか、お訊きする必要がありますものね」
言葉に、ぎょっとなった。
ディオンヌの顔を、まじまじと見つめる。
本気で言っているとは、とても思えない。
が、ディオンヌは、曖昧な笑みを浮かべ、ティトーヴァを見つめていた。
状況がわかっていないのだと、すぐに悟る。
思えば、さっきもセウテルに対し、よけいなことを言っていた。
皇帝の命に口を挟むなど言語道断。
セウテルは、個人的な意見を言っていたわけではないのだ。
急速に、ディオンヌに対する苛立ちが募ってきた。
ちらりと視線を投げた先のベンジャミンも、顔をしかめている。
同じように感じているのは確かだ。
自分の感覚が間違っているのではない。
ティトーヴァは、大きく溜め息をつく。
それから、ディオンヌの手を離させた。
厳しくならないようにするので、精一杯だ。
「悪いが、きみは部屋に戻ってくれ。彼女の処遇については、あとで連絡する」
「でも、元はと言えば、私が原因……」
「ディオンヌ」
少し硬い口調で、ディオンヌの言葉を制する。
何年も皇宮で暮らしているのに、未だに基本的な原則がわからずにいることが、信じ難かった。
皇帝の「私的な謁見」は、内容が秘匿される。
セウテルですら、聞くことのできない会話なのだ。
皇帝自らが許しを与えない限り、謁見者も内容を口外できないし、他の者が開示を求めることもできない。
だとしても、ティトーヴァは皇太子であり、息子だった。
まだしも、聞く「権利」があると、カサンドラに主張することはできる。
しかし、ディオンヌは、その立場にはないのだ。
聞こうとすること自体が、おこがましいと言わざるを得ない。
「とにかく、部屋に戻っていてくれ。政治的な話であれば、きみに聞かせることはできないからな」
「あ……そ、そうですわよね。ごめんなさい、お兄様……」
ディオンヌが、ようやく立ち上がった。
振り返る姿に、少し未練がましさを感じる。
「お母様の形見のこと、本当に、私は戻ってきただけで満足しております」
「ああ、わかった」
ここに残り、カサンドラの口添えをしたかっただけだったのだろう。
ディオンヌの気遣いはわかるが、少し無邪気に過ぎる。
もう少し、皇宮内のことを学ばせなければならない、と思った。
部屋を出て行くのを見とどけてから、再び、溜め息をつく。
「ベンジー、ディオンヌに、教育係はつけていたな?」
「もちろんです、殿下」
「それにしては……」
言葉を続ける気にはなれなかった。
いくつか重なった状況に、ティトーヴァは疲れを感じている。
さっきのカサンドラの態度も、気にかかっていたし。
「あの態度には、裏があったと思うか?」
「皇帝陛下が庇ってくださると知っていたかもしれないと、お考えなのですね」
「でなければ、あんな態度を取れるはずがない」
これまでのカサンドラは、反論も口答えもするような女ではなかったのだ。
ティトーヴァが声をかけるまで黙っている、そんな女だった。
あんなふうにティトーヴァをやりこめるような態度は1度も見せたことがない。
「地下牢にも怯えていなかった」
「そこが、どういう場所かを知らないからではないでしょうか」
それは、考えられる。
言葉だけでは実感が伴わないので、平然としていられたのかもしれない。
女の身には、きつい場所だ。
別宮の部屋とは、まるで違う。
暗くて、じめじめしていて、寒い。
食事も、メイド以下のものしか与えられない。
当然だが、湯にだって浸かれないのだ。
そういう、あれこれをカサンドラは知らないのだろう。
「しかし、殿下。カサンドラ王女様は、元は平民でしたから、狭くて汚い場所でも平気だったのではないでしょうか」
「それも、そうだな。裕福な暮らしはしていなかったようだし、食事が貧相なのも我慢できると思ったのか」
だが、皇宮で暮らし始めて2年になる。
カサンドラは、贅沢な暮らしに慣れきっていた。
新しいドレスに宝石と、贅沢三昧している。
彼女にかかる費用の報告が来るたび、ティトーヴァは呆れていた。
今さら、地下牢のような場所に我慢できたかは、わからない。
「皇命もありますし、長期間、地下牢に閉じ込められることはないと、高を括っていたとも考えられます」
「もともと、俺とて、それほど長く入れておく気はなかったがな」
カサンドラに反省を促したかっただけだ。
謝罪さえすれば、半日だろうが、1時間だろうが、出してやろうと思っていた。
その際には、自分が迎えに行くことも視野に入れている。
さすがに、地下牢に入れたとなると、無関心でもいられないと考えたのだ。
(しかし……気になる。あの態度に口調……食事を断ったことも……)
カサンドラに対する認識が、変わりつつある。
これまで無関心に過ぎたのかもしれない。
思い返してみても、実際には、彼女がどういう人間か、はっきりしなかった。
単に、大人しくて臆病なだけではなかったようだけれども。
「とにかく、陛下との謁見内容を、問い質す必要はある」
「お2人のご婚姻についてでしょうか」
「わからん」
それは、ここで考えていてもしかたがない。
推測や、可能性だけの話でしかないのでは、意味がなかった。
また少し、苛立ちを覚える。
カサンドラに待たされていると感じるのが、不快だった。
立場も身分も、自分のほうが上だというのに。
いよいよ、父に疎まれているのを強く意識する。
赤の他人であるカサンドラのほうが、父に近いのだろう。
皇后を介して、それなりに親しくなっているはずだ。
ティトーヴァが、けして、縮められなかった距離を、カサンドラは、あっさりと越えている。
(まぁ、いい。父上は、俺にとっても父ではないのだ)
だが、皇太子としての面目くらいは立ててもらいたかった。
その理不尽さに腹が立ち、いっそうカサンドラに苛つくのだ。
謁見を終えたら、ここに戻らせるよう、騎士に言いつける。
カサンドラの態度が変わったのを気にしてはいたが、自分の問いに答えないとは思っていない。
できることもなく、ただ待たされ続けなければならないことに、ティトーヴァは苛立っていた。
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