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前編
芝居と茶番 1
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彼はサマンサの隣に座っている。
小ホールのソファだ。
足を組み、片手は膝、もう片方の腕でサマンサの肩を抱いている。
(なんというか……様になっているのは確かね)
状況を知っているサマンサからすれば、わざとらしさしか感じられないが、人が見れば、2人を「親密な仲」だと思うだろう。
「私の要望を果たしてくれると信じているよ、サミー」
「お芝居を観に行ったことがないから、正直、自信はないわね」
「いいことを思いついた」
「絶対に嫌なことだわ」
彼が、おどけた調子で、眉をひょこんと上げた。
こういうところが、憎たらしい。
憎たらしいのに、憎めない。
「ご到着のようだ」
言葉通り、扉が叩かれる。
彼は気軽な口調で、入るようにと返事をした。
ジョバンニが、マチルダを伴って入って来る。
マチルダは、何度か夜会で見かけた時と同じく、美しかった。
長くて緩やかな曲線を描いている赤い髪に、アシュリーとは、また違った深みのある青い瞳、そして16歳とは思えない大人びた顔立ち。
全体的に甘い印象があるのに、どこか艶めいている。
夜会で、マチルダとすれ違う男性が、彼女に視線を奪われていたのを記憶していた。
もちろん、サマンサには誰も目もくれなかったけれど、それはともかく。
(ティミーは彼女を側室にするって言って……それを言っていたのはマクシミリアンだったかしら……まぁ、どちらでも同じね)
ティモシーも、そのつもりでいたに違いない。
マチルダを側室に迎えたら、そちらに入り浸りになっていたように思える。
サマンサから見ても、文句のつけようがないほど美しいのだ。
男性が一緒にいたがるのは、こういう女性だとわかっていた。
「初めて、お目にかかります、マチルダ・アドルーリットにございます。ローエルハイド公爵様」
「こちらまで足を運ぶことになって、驚いたのじゃないかな」
彼は、とても気さくに話している。
サマンサは、心の中で顔をしかめた。
彼がマチルダに愛想を振りまいているからではない。
彼の冷酷さを肌身で感じているからだ。
(油断させてから刺す性質なのよ……本当に人でなしね……)
サマンサ自身は、やはり気乗りはしていなかった。
そもそも同性の友人もいないし、つきあいかたを知らずにいる。
貴族令嬢として、まともに話したのは、アシュリーだけだった。
とはいえ、同じ女性なのだ。
故意に傷つける真似をしたいとは思わない。
サマンサは、彼女らに常に嘲笑われてきた。
だから、その分、嘲りに対しての痛みを知っている。
同じ痛みを味合わせてやろうなどという気は、さらさらなかった。
彼女らには彼女らの生きかたがある、というだけのことだと思っている。
「私のために、あのような高位の魔術をお使いいただけて、恐縮しておりますわ」
「馬車で3日かけて来る人もいるがね。まぁ、かけたまえ」
「ありがとうございます。では、私は特別に便宜を図っていただいたのですね」
言いながら、マチルダが、彼の示した向かい側のソファに腰かけた。
室内に入って来てからずっと、サマンサのことは無視している。
気づいてはいたが、あえて黙っていた。
まだサマンサの「出番」ではないため、待機中なのだ。
「もちろんだとも。高貴なご令嬢が、わざわざ訪ねてくれたのだよ? それくらいするさ。それに、どこかの夜会で会ったような気もしたのでね」
「きっとラウズワースの夜会でしょう。私も出席しておりましたから」
マチルダは、すっかり彼の声音に騙されている。
彼は、にこやかにマチルダを皮肉っていた。
確かにアドルーリットは高位の貴族だ。
だが、マチルダは、その側室の、しかも三女だった。
高貴と言えるほどの身分ではない。
(ああ、頭が痛い……私の出番前に帰ってくれないかしら……)
本気で、そう思っている。
こんなのは、まだまだ序章に過ぎないのだ。
よくわからないが、彼は、マチルダをとことん「やっつける」気でいる。
煩わらしいからといって、そこまでやる必要があるのか。
サマンサには理解できなかった。
「あの日か……そういえば、アドルーリットはラウズワースと懇意にしているが、きみは、あのティムだかティミーだかいう奴を知っているかい?」
「ええ、まぁ……兄の友人ですから、多少は」
マチルダが、そつのない返事をする。
単なる「兄の友人」と思わせたいのだろう。
とはいえ、それ以上に親しいと知られていれば嘘が露見する。
そのため、言い逃れられるよう「多少」という言葉を付け足したのだ。
「私はアドラントを滅多に離れないものだから、世情に疎くてねえ」
「公爵様はご領主様でいらっしゃるのですもの。お忙しくてもしかたがありませんわ。公爵様のお力があるからこそ、アドラントは栄えていると存じます」
彼が「世情に疎い」と、マチルダは本気で思ったらしい。
あからさまに笑顔を浮かべ、うなずいている。
最悪だ。
どんどん自分の「出番」が近づいてくるのを、サマンサは感じている。
ともすれば「もう帰って」と言いたくなるのを我慢していた。
だいたい、マチルダは、なぜ気づかないのか。
それも不思議だ。
彼はまだ、マチルダに「用件」を訊ねていない。
あえてアドラントまで呼びつけたのだから、普通は、挨拶もそこそこに用件を訊くだろう。
サマンサが出向いた時には「それで?」と、いきなり訊いてきた。
要するに、彼は、マチルダの「用件」を訊く気がない、ということだ。
そして、思い通りに会話を誘導している。
わざと夜会を持ち出し、マチルダからラウズワースの名を引き出した。
その上、マチルダは、彼が垂らした、たった1本の命綱に気づいていない。
(領主として忙しいと思うのなら、それを口実に用件を切り出せばいいのに)
サマンサなら、そうしている。
時間を取らせては申し訳ないとかなんとか言って、主導権を握ろうとした。
でなければ、どんどん彼のペースに飲み込まれてしまう。
にこやかであればあるほど、彼は危険なのだ。
「本当だよ、きみ。誰も、少しも、私を気に留めてくれやしないのだからなあ」
「そのようなことはありませんわ、公爵様」
「そうかい? どうにも、仲間からつまはじきにされている気分でね。気晴らしも満足にできないのだよ」
「でしたら、私に公爵様の気晴らしのお手伝いをさせていただけませんか?」
「おや? 悪いねえ、もっと早く、きみと出会えていたら良かったな」
マチルダの瞳は期待に輝いている。
彼がマチルダに興味を持っていると勘違いしているのだ。
いや、勘違いさせられている。
(また言葉のペテンを使っているわね。どうしようもない碌でなしだわ)
彼は、1度もマチルダと、まともに「会話」をしていない。
肯定もせず、否定もせず、かと言って、受け入れるでもなく。
マチルダの「手伝わせてくれ」との言葉にも、実際には返事をしていないのだ。
なにしろ「頼む」とも「わかった」とも言わずにいる。
「私も、そう感じております。もっと早く公爵様をお訪ねするべきでした」
マチルダが、初めて、ちらっとサマンサに視線を投げた。
わずかな目線だったが、思っていることはわかる。
自らが先に出会っていれば「特別な客人」の席にサマンサはいなかった。
そう言いたいのだ。
今後、その席を空け渡すことになる、という含みもこめられている。
「まったくだ。きみと出会っていれば、あのようなことにはならなかったはずさ」
「あのようなこと、というのは?」
サマンサは覚悟を決めた。
すでに命綱は切れてしまっている。
ここからは、彼の「駒」として働かなければならない。
「ラウズワースの次男だよ。つくづくと彼には気の毒をした」
「あなたのせいではないわ。私が、あなたを選んだの。だから、気に病まないで」
「きみの心遣いが、胸に沁みるね」
彼がサマンサを引き寄せ、額に口づけをする。
サマンサは、できるだけマチルダを見ないようにした。
どんな顔をしているのかは、容易に想像できる。
サマンサへの憤りを隠し、すました顔を取り繕っているに違いない。
「そういえば、サマンサ様はティモシー様と親密にしておられましたわね。彼のために別邸までご用意なさったとか」
マチルダは危険な領域に足を踏み入れていた。
それに気づかず、藁で編まれた橋を渡ろうとしている。
「それに、ずいぶんと長いおつきあいをされていたのではなかった? それなのに急に手のひらを返すだなんて……」
「きみには、なにか考えがあるようだね」
マチルダは、可愛らしく殊勝そうな口ぶりで、彼に語った。
言いたくはないけれど、といったふうに。
「それは……もちろん公爵様は素敵なかたですわ、ええ。ただ彼女はティモシー様に、ずっと夢中でしたのよ? でも、なかなか婚姻ができずにいましたから、彼の気を引くために、ほかの男性を利用したのかもと……」
「女性に限らず、腹いせに当てつける者が少なからずいるのは確かだな」
「公爵様も、お気をつけになられたほうがよろしいのではないでしょうか?」
マチルダの言葉は、半分だけ正解している。
ただし、彼を利用する理由は、真逆だ。
ティモシーの気を引くどころか、破談のためだったのだから。
(いいかげん、うんざりだわ。さっさと片をつけたほうが良さそうね)
小ホールのソファだ。
足を組み、片手は膝、もう片方の腕でサマンサの肩を抱いている。
(なんというか……様になっているのは確かね)
状況を知っているサマンサからすれば、わざとらしさしか感じられないが、人が見れば、2人を「親密な仲」だと思うだろう。
「私の要望を果たしてくれると信じているよ、サミー」
「お芝居を観に行ったことがないから、正直、自信はないわね」
「いいことを思いついた」
「絶対に嫌なことだわ」
彼が、おどけた調子で、眉をひょこんと上げた。
こういうところが、憎たらしい。
憎たらしいのに、憎めない。
「ご到着のようだ」
言葉通り、扉が叩かれる。
彼は気軽な口調で、入るようにと返事をした。
ジョバンニが、マチルダを伴って入って来る。
マチルダは、何度か夜会で見かけた時と同じく、美しかった。
長くて緩やかな曲線を描いている赤い髪に、アシュリーとは、また違った深みのある青い瞳、そして16歳とは思えない大人びた顔立ち。
全体的に甘い印象があるのに、どこか艶めいている。
夜会で、マチルダとすれ違う男性が、彼女に視線を奪われていたのを記憶していた。
もちろん、サマンサには誰も目もくれなかったけれど、それはともかく。
(ティミーは彼女を側室にするって言って……それを言っていたのはマクシミリアンだったかしら……まぁ、どちらでも同じね)
ティモシーも、そのつもりでいたに違いない。
マチルダを側室に迎えたら、そちらに入り浸りになっていたように思える。
サマンサから見ても、文句のつけようがないほど美しいのだ。
男性が一緒にいたがるのは、こういう女性だとわかっていた。
「初めて、お目にかかります、マチルダ・アドルーリットにございます。ローエルハイド公爵様」
「こちらまで足を運ぶことになって、驚いたのじゃないかな」
彼は、とても気さくに話している。
サマンサは、心の中で顔をしかめた。
彼がマチルダに愛想を振りまいているからではない。
彼の冷酷さを肌身で感じているからだ。
(油断させてから刺す性質なのよ……本当に人でなしね……)
サマンサ自身は、やはり気乗りはしていなかった。
そもそも同性の友人もいないし、つきあいかたを知らずにいる。
貴族令嬢として、まともに話したのは、アシュリーだけだった。
とはいえ、同じ女性なのだ。
故意に傷つける真似をしたいとは思わない。
サマンサは、彼女らに常に嘲笑われてきた。
だから、その分、嘲りに対しての痛みを知っている。
同じ痛みを味合わせてやろうなどという気は、さらさらなかった。
彼女らには彼女らの生きかたがある、というだけのことだと思っている。
「私のために、あのような高位の魔術をお使いいただけて、恐縮しておりますわ」
「馬車で3日かけて来る人もいるがね。まぁ、かけたまえ」
「ありがとうございます。では、私は特別に便宜を図っていただいたのですね」
言いながら、マチルダが、彼の示した向かい側のソファに腰かけた。
室内に入って来てからずっと、サマンサのことは無視している。
気づいてはいたが、あえて黙っていた。
まだサマンサの「出番」ではないため、待機中なのだ。
「もちろんだとも。高貴なご令嬢が、わざわざ訪ねてくれたのだよ? それくらいするさ。それに、どこかの夜会で会ったような気もしたのでね」
「きっとラウズワースの夜会でしょう。私も出席しておりましたから」
マチルダは、すっかり彼の声音に騙されている。
彼は、にこやかにマチルダを皮肉っていた。
確かにアドルーリットは高位の貴族だ。
だが、マチルダは、その側室の、しかも三女だった。
高貴と言えるほどの身分ではない。
(ああ、頭が痛い……私の出番前に帰ってくれないかしら……)
本気で、そう思っている。
こんなのは、まだまだ序章に過ぎないのだ。
よくわからないが、彼は、マチルダをとことん「やっつける」気でいる。
煩わらしいからといって、そこまでやる必要があるのか。
サマンサには理解できなかった。
「あの日か……そういえば、アドルーリットはラウズワースと懇意にしているが、きみは、あのティムだかティミーだかいう奴を知っているかい?」
「ええ、まぁ……兄の友人ですから、多少は」
マチルダが、そつのない返事をする。
単なる「兄の友人」と思わせたいのだろう。
とはいえ、それ以上に親しいと知られていれば嘘が露見する。
そのため、言い逃れられるよう「多少」という言葉を付け足したのだ。
「私はアドラントを滅多に離れないものだから、世情に疎くてねえ」
「公爵様はご領主様でいらっしゃるのですもの。お忙しくてもしかたがありませんわ。公爵様のお力があるからこそ、アドラントは栄えていると存じます」
彼が「世情に疎い」と、マチルダは本気で思ったらしい。
あからさまに笑顔を浮かべ、うなずいている。
最悪だ。
どんどん自分の「出番」が近づいてくるのを、サマンサは感じている。
ともすれば「もう帰って」と言いたくなるのを我慢していた。
だいたい、マチルダは、なぜ気づかないのか。
それも不思議だ。
彼はまだ、マチルダに「用件」を訊ねていない。
あえてアドラントまで呼びつけたのだから、普通は、挨拶もそこそこに用件を訊くだろう。
サマンサが出向いた時には「それで?」と、いきなり訊いてきた。
要するに、彼は、マチルダの「用件」を訊く気がない、ということだ。
そして、思い通りに会話を誘導している。
わざと夜会を持ち出し、マチルダからラウズワースの名を引き出した。
その上、マチルダは、彼が垂らした、たった1本の命綱に気づいていない。
(領主として忙しいと思うのなら、それを口実に用件を切り出せばいいのに)
サマンサなら、そうしている。
時間を取らせては申し訳ないとかなんとか言って、主導権を握ろうとした。
でなければ、どんどん彼のペースに飲み込まれてしまう。
にこやかであればあるほど、彼は危険なのだ。
「本当だよ、きみ。誰も、少しも、私を気に留めてくれやしないのだからなあ」
「そのようなことはありませんわ、公爵様」
「そうかい? どうにも、仲間からつまはじきにされている気分でね。気晴らしも満足にできないのだよ」
「でしたら、私に公爵様の気晴らしのお手伝いをさせていただけませんか?」
「おや? 悪いねえ、もっと早く、きみと出会えていたら良かったな」
マチルダの瞳は期待に輝いている。
彼がマチルダに興味を持っていると勘違いしているのだ。
いや、勘違いさせられている。
(また言葉のペテンを使っているわね。どうしようもない碌でなしだわ)
彼は、1度もマチルダと、まともに「会話」をしていない。
肯定もせず、否定もせず、かと言って、受け入れるでもなく。
マチルダの「手伝わせてくれ」との言葉にも、実際には返事をしていないのだ。
なにしろ「頼む」とも「わかった」とも言わずにいる。
「私も、そう感じております。もっと早く公爵様をお訪ねするべきでした」
マチルダが、初めて、ちらっとサマンサに視線を投げた。
わずかな目線だったが、思っていることはわかる。
自らが先に出会っていれば「特別な客人」の席にサマンサはいなかった。
そう言いたいのだ。
今後、その席を空け渡すことになる、という含みもこめられている。
「まったくだ。きみと出会っていれば、あのようなことにはならなかったはずさ」
「あのようなこと、というのは?」
サマンサは覚悟を決めた。
すでに命綱は切れてしまっている。
ここからは、彼の「駒」として働かなければならない。
「ラウズワースの次男だよ。つくづくと彼には気の毒をした」
「あなたのせいではないわ。私が、あなたを選んだの。だから、気に病まないで」
「きみの心遣いが、胸に沁みるね」
彼がサマンサを引き寄せ、額に口づけをする。
サマンサは、できるだけマチルダを見ないようにした。
どんな顔をしているのかは、容易に想像できる。
サマンサへの憤りを隠し、すました顔を取り繕っているに違いない。
「そういえば、サマンサ様はティモシー様と親密にしておられましたわね。彼のために別邸までご用意なさったとか」
マチルダは危険な領域に足を踏み入れていた。
それに気づかず、藁で編まれた橋を渡ろうとしている。
「それに、ずいぶんと長いおつきあいをされていたのではなかった? それなのに急に手のひらを返すだなんて……」
「きみには、なにか考えがあるようだね」
マチルダは、可愛らしく殊勝そうな口ぶりで、彼に語った。
言いたくはないけれど、といったふうに。
「それは……もちろん公爵様は素敵なかたですわ、ええ。ただ彼女はティモシー様に、ずっと夢中でしたのよ? でも、なかなか婚姻ができずにいましたから、彼の気を引くために、ほかの男性を利用したのかもと……」
「女性に限らず、腹いせに当てつける者が少なからずいるのは確かだな」
「公爵様も、お気をつけになられたほうがよろしいのではないでしょうか?」
マチルダの言葉は、半分だけ正解している。
ただし、彼を利用する理由は、真逆だ。
ティモシーの気を引くどころか、破談のためだったのだから。
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