伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

外出と帰宅と 2

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 オスカー・キルテスは、とっくにくたばっている。
 
 伯爵は、どんな気持ちで、その言葉を聞いたのか。
 ファニーは体が震えるほどの怒りを感じた。
 伯爵が「オスカー・キルテス」その人だと知っているからだ。
 
 リセリア帝国という統一国家をつくるため、命懸けの戦いをしてきたのは、今を生きる自分たちではない。
 
 伯爵は、いくつもの戦場を駆けて来たのだろう。
 武勇として語られている話も、当時は生死を分ける一戦だったに違いない。
 もちろん伯爵だけが戦ったのではないことくらいわかっている。
 
 だが、常に先陣を切り、最も危うい戦地に赴き、時には見捨てられかけた陣地に1人で乗り込んで行って救ったのは、伯爵だ。
 その上、建国の祝祭ムードが冷めやらない中、伯爵だけが、半島でゼビロス人と戦っていた。
 
 誰よりも多くの血を浴びたのは伯爵なのだ。
 
 現在のレセリア帝国は血の1滴も流さず、安寧を享受している。
 仮に「オスカー・キルテス伯爵」が他界していたとしても、敬意をはらうべきだ。
 伯爵のおかげで今があると言っても過言ではないのだから。
 
「これは、いったい……何事ですか?!」
 
 バタバタと姿を現わしたのは、カーズデン男爵家の紋章を襟につけた騎士たちだ。
 ドレス姿ではあるが、先頭にオリヴィアの姿がある。
 ファニーは、わずかにホッとした。
 1年半以上も会っていなかったが、やつれてはいない。
 
(きっと嫌でも食べて、こっそり訓練を続けてたんだろうな)
 
 オリヴィアを見たのは、リーストン卿の葬儀の日だ。
 悲痛な面持ちではあったが、泣き崩れたりはしなかった。
 4つも年下なのに、自分よりしっかりしていると感じたことを覚えている。
 
 そのオリヴィアと、一瞬だけ視線が交わった。
 すぐに視線はファニーの隣にいる伯爵へと向けられる。
 
 玄関ホールや階段にまであふれた男爵家の面々。
 床にひざまずくカーズデン男爵を始め、使用人全員が平伏している光景に、なにか察するところがあったらしい。
 オリヴィアは、青い瞳に戸惑いを浮かべつつ、口を開きかけた。
 
「ムスタファ、ファルコ」
 
 オリヴィアがなにか言う前に、伯爵が、ファニーにも聞き覚えのある名を呼ぶ。
 確か、と考える間もない。
 
 バーンッ!!
 
 閉じていたはずの玄関扉が音を立てて開いていた。
 というより、両側に吹っ飛んでいた。
 
 ここは伯爵の屋敷とは違い、城ではない。
 玄関扉は鉄製ではなく、木製だ。
 だとしても、粉微塵になるほど薄くはなかったように思う。
 小さな木片の散らばる中、両脇に人をかかえた男2人が入って来た。
 
 ぽいぽいっ。
 
 そんな調子で放り出されたのは、ポールと手下たちだ。
 4人とも手足をロープでくくられ、口にも縄をかけられている。
 
 ムスタファとファルコという名の2人は、伯爵の臣下だろう。
 ムスタファは背が高いので放り出されたポールは床にしたたか体を打って、さぞ痛い思いをしているに違いない。
 縄の下から、くぐもった呻き声をもらしている。
 
「な、なんという……こ、このような凶行……っ……」
 
 騎士団が来たからか、我が子が手荒な扱いを受けたからかは、わからない。
 カーズデン男爵が顔を上げ、腰を浮かせていた。
 全員の視線が、ポールたちから男爵に移る。
 伯爵の金色の瞳も男爵を映していた。
 
「誰が口を開いて良いと言った」
 
 カーズデン男爵の抗議を、伯爵が切り捨てる。
 ファニーは、伯爵の表情を見たくなるのを、グッと我慢した。
 どんな顔をしていようが、自分の心は決まっている。
 人を縮み上がらせるほど冷たく恐ろしい姿をしていても。
 
(伯爵様は優しい人なんだ。人がやりたがらないことばっかりしてきて、今だって……誰もやろうとしなかったことをやってくれてる)
 
 半島がゼビロス人におびやかされていても、帝国は守ってはくれなかった。
 キルテス伯爵領がカーズデン男爵に脅かされても、どこの貴族も手を差し伸べはしなかった。
 自らの手を汚したり、面倒事に首を突っ込んだりするのが嫌だったのだ。
 
(だから、私は伯爵様の味方をする。残酷なことが起きても)
 
 だいたい、自分とて同じだと思う。
 牧羊犬を飼ってはいるが、羊を襲いに来た野犬は殺してきた。
 一時的に追いはらっても再びやって来るし、野放しにしていれば数が増える。
 自分の縄張りは自分で守らなければならないのだ。
 
「お前がオリヴィア・カーズデンか」
「は、はい」
 
 オリヴィアと騎士たちは入って来た時から棒立ちになっていた。
 おそらく玄関扉が開かず、別の場所から入って来たのだろう。
 でなければ、異変に気付いた門衛が、いち早く扉を開いていたはずだ。
 
「ポール・カーズデンは、許しなく私の領地に侵入し、私の羊に手を出した。この罪に対し、集団懲罰を科す」
「集団、懲罰……」
 
 オリヴィアの唇が震えている。
 ひれ伏している使用人たちも、恐怖に体を震わせていた。
 すでに自らの今後を嘆いてか、涙を流している者もいる。
 
「だが、彼女の提言により、罰の内容に変更を加える。1部の者を除き、使用人は懲罰対象から外すこととする。そして、オリヴィア・カーズデン。お前に機会を与える」
 
 ファニーは、玄関ホールに集まった人々を見つめていた。
 大半の使用人は罰せられる覚えがないからか、安堵した様子を見せている。
 まだ怯えている使用人には、後ろ暗いところがあるに違いない。
 
「お前が、その手でカーズデンの名を消し去れ」
 
 ホールに声が響いた。
 伯爵の言っている意味を、ファニーは理解し切れずにいる。
 察してくれたのかはともかく、伯爵が「結果」を語った。
 
「それにより、お前がカーズデン男爵家との縁を断ち切ったものとし、集団懲罰の対象から外す。その上で、お前には、私から騎士の称号を与える」
「ば、馬鹿な……っ……騎士の称号は皇帝陛下から賜るものだ……!」
「お前は、私の言うことを聞かないな、ロベール・カーズデン」
 
 響いているのは、カーズデン男爵の声だけだ。
 夫人や娘、傍系の者たちは抱き合って体を震わせるばかりで、黙っている。
 
「貴族でありながら、お前は帝国法も学んではいないのか」
 
 伯爵の鍵は、ほかのものとは意味も価値も違う。
 いくら時が流れても、それを知らない貴族はいない。
 貴族教育において帝国法を学んでいるからだ。
 その最初に書かれている文言がある。
 
「あなたは、ご存知ですか?」
 
 やわらかな視線を向けられ、ファニーはしっかりとうなずいた。
 貴族でなくても、帝国法は知っている。
 帝国法の「序文」は暗唱できるほどだ。
 
 『建国の功労者キルテス伯爵を、未来永劫、帝国における法の番人とする』
 
 パッと伯爵が男爵に視線を戻した。
 冷ややかな声が、静まり返った玄関ホールに響き渡る。
 
「私のいる場が裁定の場であり、私自身が、この国の法なのだ」
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