上 下
34 / 84
第一章 《最下層追放編》

第三十四話 制覇の余韻と、謎の声

しおりを挟む
(ま、まずい……)



 深い水の底へ沈んでいくかのような錯覚に囚われる。

 身体が重い。全身から、生気が抜けていくような感覚。

 もはや、指先を動かすことも敵わない。





 胡乱うろんな意識の中、「レベルアップしました! HP上限が上昇しました!」という音声が遠くで鳴っているのを感じる。



 レベルアップに伴い、HP上限が上がるシステムは当然のこと。その上で、このダンジョンには少し特殊なルールが存在する。

 それは、レベルアップ前にHPが八割以上あれば、レベルアップした際に上昇した体力上限までHPが上昇するというものだ。



 たとえば、レベルアップ直前のHPが900/1000であった場合、体力上限が1100になった際に、1100まで回復する。しかし、HPが700/1000であった場合、上限が1100になっても、体力は700のまま。



 これは、過酷なダンジョンシステムに埋め込まれた、唯一のサービスみたいなものだ。



 これまで、ジャイアント・ゴーレムを除いてマトモなダメージを受けていない僕にとっては、特に気にする余地もなかったが――



(今のHP上限は、6500から大きく上昇して8750。でも、実際のHPの方は168……!)



 しかも、出血やスキル反動臨界症によるスリップダメージが働いて、徐々にHPが減っている。

 身体も頭も回らない今、HP回復のポーションは取り出せない。



 完全に、死に神の鎌に掴まっている状態だ。



(ああ、僕の人生もこれでお終いか……情けないな)



 あまりに恥ずかしい幕切れで、自嘲の気持ちすら湧いてくる。

 勝って生きるとか息巻いといて、なんてザマだ。

 

(すまない、クレア……)



 もうほとんど保てない意識の中、薄らと生意気な少女の顔が浮かんで――遂に、僕の意識は虚無を湛えた闇の中へと――



(……っ!)



 埋没する寸前、暖かさが身体を包み込んだ。

 それは、あのときナナミが与えてくれたものと似ている、命の鼓動を高める呼び水のように感じる。



 暖かさに誘われるようにして、僕の意識は覚醒した。



「……ん?」



 目を覚ますと、目の前にクレアの顔があった。



「クレア」

「よかったぁ……死んじゃうかと思って、怖かったよぉ」



 不意に、クレアの瞳から雫がこぼれた。

 乾いた頬に落ちた雫を目で追って、僕は小さく息を吐いた。



「ごめん。また、助けられた」

「ううん。今回は私じゃない」

「え?」



 涙を拭いながら、クレアは首を横に振る。



「え? じゃあ誰が……」

「この子だよ」



 クレアは、側にいたとーめちゃんを両手で持ち上げる。

 とーめちゃんは、嬉しそうに瞳を細めて『もきゅっ』と笑った。



 思い出した。

 そういえばとーめちゃんは、《回復リカバリー》のスキルを持っていたんだった。



「そうか……ありがとう」



 起き上がり、とーめちゃんの頭に手を置く。

 心地よさそうにするとーめちゃんを見ていたクレアが、不意に頬を膨らました。



「どうした?」

「ねぇ。私も頑張ったんだから撫でてよ」

「え?」



 ぽかんと口を開ける僕の前で、ぐっと顔を突き出してくるクレア。

 

「頑張ったって、今回に至っては何もしてな……」



 言いかけて、口を噤んだ。

 何もせずとも、彼女が信じてくれたから、迷いを振り切れたことを思い出す。



「……ああ、ありがとうね」



 僕は、ふっと微笑みかけて、クレアの頭を撫でた。

 

「ふっふっふ。崇め奉ってくれてもいいんだよ?」

「お前は何かの神様か」

「ダンジョンの女神様だよ♡」

「アホか」



 一笑に付し、立ち上がってズボンに付いた埃をはらった。



「とりあえず、ボスは倒したし……行こうか」

「行くって、どこへ?」

「決まってるだろう?」



 したり顔でそう言って、僕は上を見上げた。



第三迷宮サード・ダンジョン《トリアース》は攻略したんだ。もうこの場所に用はない。だから、地上へ戻ろう」

『そうだ。それでいい』

「っ!? 誰だ!」



 不意に、頭に直接声が響いて、思わず叫んだ。

 が、辺りを見まわしても人影はない。



「どうしたの? エランくん」

「いや、今なんか変な声が頭の中に響いてきたんだけど……」

「気のせいじゃない? 私には聞こえなかったし」

「そうかな」



 首を傾げつつ、声の正体を探る。

 だが、この場所に別の誰かがいる雰囲気はなかったし、その後も声が響くことはなかった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

狙って追放された創聖魔法使いは異世界を謳歌する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:191pt お気に入り:2,958

桜の季節

恋愛 / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:7

猫が繋ぐ縁

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:189

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:555pt お気に入り:4,530

婚約破棄であなたの人生狂わせますわ!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:482pt お気に入り:48

貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:208,590pt お気に入り:12,408

私のバラ色ではない人生

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:104,094pt お気に入り:5,035

処理中です...