八年間の恋を捨てて結婚します

abang

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いちどしかないのなら

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「あら、どうしてだめなの?」


テンタシオンはどうかと母に聞かれてつい、「私は傷物よ」と彼の名誉に傷がつくことを恐れる素振りを見せたルージュに彼女の母はきょとんとした表情のあと屈託なく笑った。


どうしてかと聞かれてしまえば別に理由などないようにも感じるし、テンタシオンを思い浮かべれば彼にはもっと素敵な女性が似合う気がする。


「アルベルトとの事を後悔しているのね?」


どうやったって周囲はテンタシオンとアルベルトを比較するだろう。テンタシオンは同じ土俵に上がる必要のない素晴らしい人なのにルージュと居るだけでいつも彼は下らないゴシップに巻き込まれてしまうことになる。


「後悔という訳じゃないけれど、テンタシオンが勿体ないわ」


俯いて「彼を大切にしたいの」と自信なく呟いた。初めから最後まで綺麗なままの自分を彼に全て差し出せる女性ならテンタシオンを傷つけることはないだろう。

大抵の貴族の結婚なんて大体そうだし、あえて彼が特殊な方を選ぶことなんてしなくてもいいのに。

彼がもし、真にルージュに恋愛感情を抱いてくれていたとしても、どうしてもスタート地点が違う気がして尻込みするのだ。



「一度しかチャンスがないなんて、救いがなさすぎると思わない?」



ある程度の年齢を重ねても美しい母の目尻が細められて、柔らかい手がルージュの髪を撫でる。


「アルベルトにだって貴女が勿体無かったわ」


子供のように一定のリズムで撫でる母の手が心地よくてルージュは目を閉じていままでを思い出す。


「けれど貴女は何度もチャンスをあげたでしょう?」

「今度はチャンスを与えるのは私じゃないわ……」

「じゃあ遠慮なく受け取りなさい、ふふっ」


「テンタシオンはいい子よ」と囁く母の声にルージュは少しだけ意識が遠くなってソファに身を沈めた。

隣で母が「まだ子供ね」なんて揶揄う声が遠くなって、けれど瞼の裏にはテンタシオンの顔が浮かんだ。


「お母様、ありがとう……私ーーー」

(きっともうテンタシオンが好き)


目が覚めた時にはすっかり夕方で、自分のベッドの上だった。
普段から仕事を溜めないようにしているおかげで特に慌てることはないが、ふと思ったのは「今日は彼に会えなかったな」だった。



「まぁ、私ったら何を考えて……」

両手で頬を覆って、身なりを整えてもらう為にメイドを呼び出すベルを鳴らすとやけに嬉しそうに集まるメイド達に驚く。


「少し整えるだけよ?皆してどうしたの?」


メイド達の気合いの入った様子に今日の予定を脳内で遡るが特に何も思い浮かばない。

すると、一人のメイドが「公子様が来られています」と嬉しそうに言った。


「えっ、テンタシオンが?」

「はい。どうやら昼食の約束にお嬢様がいけないことを伝える為に奥様が人を送ったのですが公子様が来てしまったんです」


「よほど愛されているのですね!」と騒ぎ立てる彼女達は恥ずかしくなって黙り込んだルージュをいつもより少し着飾る。

皆の話通り少し早めの晩餐にはテンタシオンが座っていた。


「テンタシオン、お昼はごめんなさい」

「いいんだ。疲れてたんだよきっと」

「ありがとう……会えて嬉しいわ」


社交辞令などではなく心からの言葉だった。
今日はもう会えないと思っていた彼に会えて嬉しかった。


「僕も嬉しいよ」


彼の一人称が公の場で言う「私」ではなく「僕」に変わったのはいつからだっただろう?


そんな些細なことさえも嬉しく思うほど、ルージュはテンタシオンに惹かれているのだと自覚すると途端に心臓が騒がしく動き始めた。


そんなルージュに母は嬉しそうに笑う。
テンタシオンの方をチラリと覗き見るように確認すると彼もルージュと同じように頬を染めて落ち着かない様子で思わず力が抜けた。


「ふふっ」

「ははっ」


まるでまだ幼く初々しい子供のような二人に、ルージュの両親も笑った。


そんな和やかな空気をぶち壊すような使用人からの報告。


「メーデア様が訪ねて来られました」と執事が気まずそうに報告した。





「ルージュ様はまだですか?」

「突然のご訪問でしたので……」

「私は侯爵邸での仕事が忙しいんです」

「さようですか……暫くお待ち下さいませ」


応接室でまるで自分が侯爵夫人かのように振る舞うメーデアに使用人達は眉を顰めていた。

あくまで彼女は侯爵家の秘書官で、乳母の遠い親戚のメーデア・フーリッシュ準男爵令嬢である。

彼女の亡き父は騎士だったが真面目さを評価され、殉職後に家門は準男爵の爵位を賜った。

彼の妻でメーデアの実母が今は当主を務めているが、あくまで準男爵で貴族と言うには微妙な立ち位置だ。

メーデアはどうしても他の令嬢達のようになりたかった。
優雅な貴族社会に仲間入りしたかった。

そして自分だけの裕福で素敵な男性を手に入れたかった。

やっと地頭の良さと、亡き父の人脈で侯爵家の秘書官になれた。

生粋の貴族令嬢で婚約者のルージュよりも、メーデアは自分が選ばれている優越感がたまらなく好きなのだ。


(早く来ないかしら)

アルベルトがルージュを呼び出していると言うことは気に入らないが、こうも仕事が多い上に立ち行かなくてはルージュの手でも必要なので仕方ない。

今や女当主と言っても過言ではない自分の代わりに仕事をする者を確保する必要がある。

メーデアはそんな風に考えていた。


もう既に自分達はルージュから見放され、それに気づかなかったのは自分の下らない策略のせいだと後で知るまではーーー。


「お待たせしたわね、メーデアさん」


彼女に続いて部屋に入ってくるのがテンタシオンだと知るまで、ルージュとアルベルトはもう正式に婚約が解消されていると知るまで……

それに気づかなかったのがメーデア自身の所為だと知るまで、彼女はほんの少しの間の優越感に浸った。


「遅かったですわね、ルージュ様」













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