ボクの妹は空を飛べない。~父さんが拾ってきたのは“人間”の子どもでした~

若松だんご

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五、真秀。 (まほら。すぐれて良い所。素晴らしい場所)

(四)

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 「ちょ、ちょっと待ってください母上!」

 忍海彦おしみひこが声を上げた。

 「仮にそれが真実だとして、姫にそのようなことをさせるなど! 父上を倒すなど、できるはずがありません!」

 焦った息子に、大后おおきさきは、ゆったりと笑ってみせた。

 「大丈夫じゃ。姫にはそなたがおる」

 「は、母上?」

 「そなたが姫の剣となって戦えばよい。姫にできぬのであれば、そなたが担えばよい。そなたとて、大王家の血を引く若子わくご。過ちをただす宿命を持っておる」

 「それは、私に、ち、父上を討て……と。そういうことなのですか、母上」

 「そうじゃ」

 当然とはね返す母親の姿に、忍海彦おしみひこの体が震えた。
 実の父親を殺せと命じる母親がどこにいる。自分の夫を子どもに殺させる母親が――。

 「それが正しい行いだからじゃ。あの男は弟から大君おおきみの座を奪い、兄弟を殺した。それだけではない。忍海彦おしみひこ、そなたも殺されるところだったのじゃぞ」

 「私が?」
 
 「そうじゃ。大君おおきみは、そなたに剣を捜しに行けと命じたであろ?」

 忍海彦おしみひこが、グッと口を引き結んだ。

 「あの剣は、正当な持ち主以外が触れれば命を落とす。それを承知の上で、大君はそなたに捜しに行けと命じたのじゃ。危険な山へ、伴も連れずに一人で行けとな」

 「なぜ……、父上が……」

 喉に張りついたように、かすれた忍海彦おしみひこの声。

 「そなたが優秀な皇子みこだからじゃ。剣に触れ、命を落とせばそれでよし。持ち帰るようであれば、策をろうしてそなたを殺したであろうな。剣を手に入れ大君に楯突こうとしているとでもなんとでも。理由はいくらでも作ることができる。あの男は、己の地位をおびやかすものは、息子であっても殺そうとする。わらわの大切な子を、愛しい忍海彦おしみひこを……」

 夫に、大君に激しい怒りを抱いているのだろう。大后の手がグッと握りしめられ、ワナワナと震え始めた。

 「強欲で、狭量で、狡猾で、獰猛。およそ大君らしからぬ品格しか持ち得ておらぬ。あの男はそういうヤツじゃ」

 大后が憎々しげに吐き出した。

 「ゆえに、そなたが討ち取るのじゃ忍海彦おしみひこ。そなたが姫の父御ててごかたきを取れば、姫もそなたに剣を授けようぞ。そうして正しい後継者として二人でこの地を、このまほろばを治めてゆけばよい」

 ガシッと、大后おおきさきの手がわたしの腕をつかんだ。

 (痛――っ!)

 きれいに整えられた爪先が腕に食いこむ。

 「のう、姫よ。そなたも、この忍海彦おしみひここそ剣にふさわしい、この地を治める者であると認めるであろう? そなたの父御ててごの仇をとれば、この忍海彦おしみひここそ大君にふさわしいと認めるであろう?」

 わたしをのぞきこむ大后の目は、真摯しんしで、強くて、一途で恐ろしい。

 「やめてください、母上!」

 忍海彦おしみひこが声を上げた。

 「姫はまだここに戻って間もない。そんな話をされても戸惑うだけです!」

 自分だって、話の衝撃から顔を青ざめさせているというのに。それでも、声を荒らげ、母親を突き放す。

 「剣とか、父上とか。そのような話、今はまだ判断つきかねます」

 額に手をあて、眉間にシワを寄せた。怒っているのか、泣いているのかわからない顔。

 「忍海彦おしみひこわらわはそなたのことを思うてじゃな……」

 「出ていってください!」
 
 忍海彦おしみひこが叫んだ。

 「まあよい。よく考えることじゃな。ただし時間はあまりない。お主が動かねば、あの男は、新たな剣の姫として、由須良ゆすら姫の代わりに、姫御ひめごを妻に迎えるぞえ?」

 剣の姫を妻にしたものが大君になる。
 それが大王家の習わしだから。自分が剣の担い手でなくても、剣の巫女姫を妻に迎えれば、それで正統性が認められる。
 息子の叫びにもひるむことない大后。青ざめるわたしと忍海彦おしみひこに意味ありげな笑みだけ残し、悠然と室から出ていった。

 「……すまない。母上があのようなことを言い出すとは」

 室の戸が閉められてどれだけ経っただろうか。苦しげに忍海彦おしみひこが言葉を発した。

 「私も困惑しているが、姫はもっと驚かれただろう」

 亡き両親の真実を聞かされたわたしと、実の両親の本性と確執かくしつを聞かされた忍海彦おしみひこと。どちらがより衝撃的で、より過酷なのかはわからない。

 「今宵は、このまま休まれるがよい。姫の考えは、また後に聞くことにしよう」

 そう言い残して、忍海彦おしみひこが室から出ていく。その足取りが重く思えるのは、聞かされた内容が、同情にあたいするものだったからかもしれない。

 一人静かになった室のなかで、衣の内から薄桃色の勾玉を取り出す。
 母さまからいただいた、大切な勾玉。

 (母さま……)

 ――これは、アナタが持っていてね、沙那さな

 逃げ隠れた木のウロのなか、これを渡して下さった母さま。
 これは亡き母さまの形見、父さまと母さまの思い出の品。だからずっと握りしめてた。ずっと大事に思っていた。

 (兄さま……)

 ――これなら首から下げておけるだろ。

 そう言って、兄さまがヒモを通して下さった勾玉。首から下げておけば、無くさないですむ。
 兄さまが通して下さったヒモは古く、色あせ、かなりすり切れてきている。

 (こんな勾玉――!)

 グッと握りしめ、投げ棄てたい衝動にかられる。けど――。

 「ウッ……、クッ……!」

 握りしめた手を、もう片方の手で包みこんで抱きしめる。
 これは母さまと父さまの思い出。兄さまとわたしをつないだもの。
 〝剣の巫女姫〟の証という、忌々しいものになってしまったけれど、そう簡単に捨てられるものじゃない。

 (母さま、父さま、兄さま……)

 わたし、わたしはこれからどうしたらいいのでしょう。
 大后の言う通り、忍海彦おしみひこと妹背になって、この国を治めるべきですか? 父さまたちの無念を晴らすため、大君を倒すべきですか?

 (帰りたい……)

 あの森に。あの山に。
 兄さまや他の鳥人たち、小鳥や大鷹オオタカのいるあの森に。剣の巫女姫ではなく、ただのメドリに戻りたい。

 「ウッ……、ヒック……、兄……さま……。ハヤ……ブ、サ……ッ!」

 みんなを守ると決意して森を出たのに。
 どうしようもなく切なくて、どうしようもなく苦しくて、どうしようもなく涙がこぼれ落ちる。

 ここは、まほろば。
 神々が人に与えたという、この世界で一番美しく、一番素晴らしい土地。
 けれど、わたしには、この世で一番おぞましく、忌まわしい土地。
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