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第一部・第三章 窮途末路

持って、あと五年……

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◇◇
 将軍足利義輝との謁見を済ませた長尾家一行。

 その後、長尾家による義輝への饗応が開かれた。

 その饗応役は、景虎たちよりも一足先に京に入っていた樋口兼豊(ひぐちかげとよ)。
 春日山城の留守を任された長尾政景の家老で、『上田派』の彼は、義兄の直江景綱(なおえかげつな)の協力のもと、見事な宴を催したのだった。


 酒も入って上機嫌な景虎は、将軍が隣にいる時に、兼豊を手招きすると、彼の働きを大いに褒めた。


「そう言えば兼豊の妻、藤(ふじ)(直江景綱の妹)が懐妊したと聞く。
めでたいのう! 」

「はい、ありがたきお言葉。恐縮でございます」

「上様! 上様からも兼豊に何かお言葉をお願いいたしたく」

「うむ、かように優れた者の子であれば、必ずや生まれてくる子は長尾家を背負って立つ子となろう。
まずは母子ともに健やかであることを願おう」

「ははぁぁぁ!! ありがたき幸せにございます!! 」


 普段はあまり感情を表に出さない兼豊であったが、将軍からの言葉には、さすがに感涙し、深く頭を下げたのだった。


 そして……

 この時、話題となった樋口兼豊の子供……

 まだ生まれてくるまで八ヶ月も先の子こそ……


 後の直江兼続。


 『愛』の字を兜に掲げ、上杉家を献身的に、そして時には独裁的に支えるこの男。


 辰丸とは特別な因縁を持つことになる、その人のことだったーー


………
……
 さて、宴が賑やかに続く中、辰丸だけはどこか浮いたように、静かに食事に口をつけていた。


 どこか寂しげなものを浮かべながら……

 
 そんな彼を心配した近衛前久(このえさきひさ)は、辰丸の側に寄って問いかけた。


「どうした? 浮かねえ顔しやがって」

「いえ……なんでもございません」


 答えをはぐらかせた辰丸に対して、目を細めた前久は、ぐいっと彼の顔に近づいて、周囲に聞こえるような大きな声で問いかけたのだった。


「おなごにでも振られたかぁ!?
かように楽しい宴で、しけた面する理由と言えば、おなごしかあるまい! 」


 その声に周囲の人々が一斉に辰丸と前久の事を凝視する。

 辰丸は大慌てで「ご、誤解にございます! 」と、手を振ると、前久の耳元で囁いた。


「ここではちょっと……」


 暗に「続きは外で……」と臭わせると、辰丸は静かに席を立ち、そのまま一足先に部屋を後にした。

 そして近衛前久もまた辰丸の後を追うように、部屋を出て行ったのだった。



 そんな彼らの事をじっと見つめる目があったことに、辰丸は気付くことはなかった。


「辰丸……」


 それは勝姫であった。

 彼女は川中島を出てから、常に寂寥感を漂わせる辰丸の事が心配でならなかったのだった。



………
……
「一体どうしたよ? そんなに料理や酒が不味かったか?
いや、酒は銘酒『柳』だから、不味いはずはないぞ」


 と、宴が開かれている屋敷の中庭を目の前にした縁側で、前久は辰丸に問いかけた。

 二人してそこに腰をかけると、空を見上げる。

 分厚い雲に覆われた空は、闇に埋め尽くされている。

 辰丸はそんな空の色が移ったかのような、暗い声でつぶやいた。


「持って、あと五年……でしょうか」


 前久は驚愕に口が半開きになるが、すぐにきゅっと引き締めると、みるみるうちに険しい顔に変わっていった。


ーー持って、あと五年……


 これは足利将軍家の未来を指している事は明白であった。

 つまり辰丸の読みでは、室町幕府は五年もしないうちに倒されてしまうだろう、ということだ。


「なぜそう思う? 」


 いつになく低い声でたずねた前久に対して、辰丸は空を見上げたまま答えた。


「義輝公を拝見させていただくに、決して単なる傀儡(くぐつ)で終わるような凡人ではございません。
今は鬼才、三好長慶殿の天下でございますゆえ、義輝公も大人しくされておられるようですが、もし長慶殿に才の劣る者が京を占拠したなら……」


「義輝公を傀儡には出来ない……と」


「人は弱いものでございます。
思い通りに扱えぬ人形ならば、壊すしかございません」


「それは五年以内に長慶殿が京から去る……そう言いたいのか? 」


「それは分かりません。
しかし今は天下騒乱の時。
必ずや五年以内に、京に掲げられた旗の模様は変わることでしょう」


 この辰丸の予言は、史実通りに事が進めば、的中することになる。

 すなわちこれより丁度五年後。
 三好長慶の急死によって乱れた京にて、三好三人衆と呼ばれる者たちと、『天下の奸臣』松永久秀によって、将軍足利義輝は殺され、室町幕府は終焉に向けて加速していくことになるのだ。


 そしてその懸念は、辰丸でなくとも、京で将軍家と共に過ごしている近衛前久も薄々気づいていた事だった。


「では五年を十年に……いや、この先百年とするには、いかがするのか? 」


「それはこの先百年も戦乱の世を続けられることをお望みということでしょうか? 」


「な……なんだと……!? 」


 前久は思わず固まった。


 辰丸の言葉の意味すること……


 それは……


ーーこのまま室町幕府が続けば、戦乱もまた続く


 ということ。

 それは裏を返せば……


ーー戦乱を終わらせるには、室町幕府に変わる新たな世の仕組みを作るより他ない


 ということと同義であったのだ。


「辰丸……お主まさか……」


 あまりの事に言葉を失う前久を尻目に、辰丸はゆっくりと空から視線を下ろす。

 そして……

 前久を見つめた。


 一点の濁りもない、透き通った瞳で……


「お屋形様は、私に『国家の忠臣になれ』と命じられました。
ならば『国家』とはなんぞや。
尽くすべきは『足利将軍家』でありましょうか?
それとも……」


「……天子様……ということか……」


 ここで言う『天子様』とは、天皇陛下を指す。


「つまり辰丸は、室町幕府を解き、天子様を中心とした、新たな世の仕組みを作るべし……
そう言いたいのか? 」


 辰丸は何も答えない。
 その瞳は、前久の意見を肯定も否定もしていなかったのであった。

 
 そして、しばらくした後、辰丸は言葉を選ぶように、ゆっくりと腹の内を話し始めた。


「わが主人、長尾景虎様が目指す仁義を重んじた世を作るには、景虎様が越後にこもったままでは成し得ません」


「つまり……景虎殿は越後から出る必要がある……こう言いたいのか? 」


 それは前久の悲願でもある。
 ここでようやく辰丸は口元を緩めると、小さく頷いた。


「前久様。私は景虎様こそ、乱世を終結と導く星と考えております。
前久様におかれましてはいかに? 」


 その問いかけの真意は……


ーー長尾景虎を天下人にしたいとは思わないか?


 ということ……

 前久の背中にぞくりと、電撃のようなものが走ると、腹の底から熱い何かが込み上げてきた。


 前久は辰丸の問いに、コクリと一つ頷いた。

 すると辰丸の表情はどんどん研ぎ澄まされていく。

 そしてその声もまるで名刀のような斬れ味となっていったのだった。


「すなわち景虎様は越後にて何時迄(いつまで)も伏(ふく)しておられる場合ではないのです」


「ではどのようにしたら景虎殿は越後を出るのだ? 」


 その問いに、辰丸は……

 サラリと水が流れる如く答えたのである。


「内なる膿を出し尽くすこと……」


 それは言わずもがな、家臣同士のいがみ合いのこと。

 前久は大きく頷くと、もう一つ問いかけた。


「では、景虎殿が越後を出た後はいかがする? 」



「関東の平定、そして宿敵との決着」


 
 と……


 それは……


 『相模の獅子』北条氏康と、
 『甲斐の虎』武田信玄を、
 打倒することーー


 わずか十五の辰丸は、既に天下の英雄相手に壮絶な戦いを挑むことを心に決めていたのだ。


 そして彼は、一つのお願いを前久にしたのだった。


「前久様。そこで一つお願いがございます。
将軍様に働きかけていただきたいのです」


「何をだ……? 」


「鎌倉公方職、および関東管領の職を……」


「ま、まさか……」


「その二つとも、長尾景虎様に任命いただきますよう、お願い申し上げます」


 とーー

 
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