守るべきモノ

神崎

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一室

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 食事をした後、倫子と春樹はそのまま家に帰ってきた。だが家の中はしんと静まり返っている。その様子に倫子は首を傾げた。
「泉はともかく、伊織も帰ってきていないのね。」
「仕事とは言ってもちょっと遅すぎるな。」
 不思議に思っていたが、好都合だった。泉や伊織がいれば倫子は二人に遠慮して、手を出されるのを嫌がる。しかし二人きりなら遠慮することはない。
 倫子は台所へ行くと炊飯器に入っているご飯を見ていた。夕食はここでとる予定だったのだ。ご飯がまだ炊飯器の中にある。
「明日は焼きめしにしよう。」
「いいね。卵も使わないと、古くなっているから。」
 春樹も冷蔵庫を開けてうなづいた。倫子は炊飯器の中のご飯を取り出すと大きめのタッパーに入れる。そして少しあら熱を取るためにシンクにそれを置く。
「ねぇ。春樹。本当にうちにくるの?」
「あぁ、いつ法事なの?」
「来月だけど……。」
「日曜日?」
「えぇ。」
「よっぽどの事がない限り休みだと思う。サイン会なんかは日曜日にすることもあるけれど、この間のこともあってサイン会は積極的ではないんだ。他の出版社もそうかもしれない。」
「……うちにくるのは厳しいかもしれないわ。」
「どうして?」
「話を聞かない親よ。父は無関心だし、母は都合の良いように自分で解釈するし。何よりヒステリックだから。」
「君もよく似ているよ。」
 その言葉に倫子は言葉を詰まらせた。こんなにまっすぐ自分を否定すると思わなかったからだ。
「俺はそれが嫌だと思わなかった。だからきっと君の両親とも話し合えると思う。」
「あなたがそうやって前向きなのは感心するけれど……。」
「大丈夫。心配しないで。」
 そう言って春樹は倫子を背中から抱きしめる。すると倫子は少し含むように笑った。
「どうしたの?」
「あなたがたまにヤクザに見えるわ。」
「俺が?」
「昔、亜美の実家へ行ったことがあるの。亜美の実家はヤクザの本家だから。」
「……。」
「いかにもヤクザですっていう人も居たけれど、地位が上になるほど普通の人に見えたわ。でもその目の奥は冷たいの。あのときたまたま来ていた本家の若頭がそんな感じだったわね。」
「どんな人だった?」
「背が高くてオールバック。細身で、女にモテそうだと思ったわ。でも亜美に言わせると、とてつもないヘタレだって言ってた。」
「ヘタレ?」
「遊び人でね。結婚はされていなかったけれど、愛人を何人も囲って稼げない女は売ってたみたいなの。そうやって資金源を掴んでいたみたいね。だけど本気で好きになった女を奪うことは出来なかった。体で虜にさせようと思っていたのに他の男の元へ行ったの。そのときやっと体だけではつなげないってわかったんだと思うの。」
 体だけで繋がれる関係は空しくないだろうか。今日は春樹とセックスをしなくても十分満たされた。
「それに気がつかなかったからヘタレか。」
「未だに独身だと言っていたわ。自分には人を幸せに出来ないと諦めているみたい。今までのツケだって。」
「そんなことはないのにな。俺だってまともな恋愛なんて出来ないと思っていたのに、こんなに好きになれた。倫子。君を愛しているよ。」
「私も……。」
 そう言って倫子は後ろを振り返る。春樹も倫子をのぞき込んで唇を重ねた。

 電車の音がせわしなく聞こえる部屋だ。若干振動があるからか、おそらくどんなに真矢が喘いでも隣には聞こえていないだろう。
 真矢が胸の中で幸せそうに寝ている。それを見て伊織はゆっくりと真矢から離れた。そして下着を身につける。
 私服であればともかく、今日はスーツなのだ。明日もこの格好で行けば、当然何があったのかばればれだ。せめて着替えたい。そのためには家に帰らないといけないだろう。
「帰るの?」
 ワイシャツを着ていると、真矢の声がした。振り返ると真矢は横になったまま、伊織を見上げている。
「うん。さすがにこの格好だとね。帰って着替えないと。」
「そうね……。」
 寂しいなんて言えない。自分たちには何もないのだから。真矢はそう思いながら素肌の上からシャツを身につける。
「今度……。」
「今度があるの?」
「あるよ。また来たい。」
 眼鏡をつけて、真矢は少しうつむいた。するとその頬に手を添えると、伊織はまた口づけをする。
「真矢ってまた呼びたいから。」
「伊織……。」
 外では仕事相手だ。他人のふりをしないといけない。
「伊織……あのね……。」
「ん?」
「……また食事を用意するわ。」
「お酒無しで?」
「えぇ。そうね。」
 伊織が部屋を出ていくとき、またキスをした。その柔らかさと温もりが消えなければいい。真矢はそう思いながらまたベッドに横になった。そして先ほどの行為を思い出していた。

 家に帰ってくると、泉の靴はなかった。きっと礼二の所へ行っているのだろう。そして居間にはさすがに倫子も春樹も居なかった。時間が時間だ。もう寝ているのだろうか。
 バイクでツーリングをしてくると言っていた。バイクに二人が乗れるのは知っていたが、普段は乗らないのだ。今日は疲れているだろう。そう思いながら伊織はジャケットを脱いで自分の部屋へ行こうとしたときだった。トイレから春樹がやってくる。
「お帰り。遅かったね。」
「うん。レコード会社の人がさ、食事でもって言ってきて。」
「その格好は場違いだっただろう?」
「本社に行くのだから、スーツが良いって言ってたのに。誰も居ないんだよ。拷問かと思った。」
 ネクタイをゆるめると、ため息をついた。
「泊まってきても良かったんじゃない?」
「え?」
「……ちゃんと髪を朝セットして行ってたのに、ワックスも取れたの?」
「あ……。」
 シャワーを真矢の所で浴びたから取れたのだ。それに気がつかないわけがない。春樹は感が良い人だ。それくらいわかるだろう。
「そうじゃなきゃ、そのレコード会社の人、ソープでも誘ってきた?」
「いや……。」
「女が出来たんだね。良かった。」
 その口調が、軽くていらつかせる。どうして真矢はこんな男を好きになったのだろう。
「春樹さん。あのさ……。」
「ん?」
「……俺、別に女が出来た訳じゃないよ。」
「遊び?そんなに器用だっけ?」
「違う。変な誤解しないでよ。俺、風呂に入ってくるから。」
 珍しくいらついているな。そう思いながら部屋に戻っていった伊織の後ろ姿を見ていた。そして倫子の部屋へ春樹は向かう。
 心変わりをしてくれたのだったらそれでかまわない。後は政近が倫子に近づいてくるのを避ければいい。
 しかし仕事上「会わないでほしい」とは言えないだろう。春樹は部屋に戻ると、パソコンを開いてメッセージをチェックしている倫子に声をかけた。
「倫子。病院って次はいつ行くの?」
「来週ね。ピルが無くなりそうだし……。」
「そっか……ねぇ、倫子。そのピルって辞めれる?」
 その言葉に倫子は首を横に振った。
「今は子供がほしくない。仕事がしたいの。」
 妻の気持ちが今になってわかると思わなかった。春樹はため息をついて、布団を敷く。
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