守るべきモノ

神崎

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栄華

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 黒い喪服を着たら、倫子の首もと似入れている入れ墨が少し見える。それを親戚のおばさん達は、ひそひそと何か話しているようだ。
「あれって入れ墨よね。」
「プリントとかじゃないんでしょう?」
「何か体でも売っている人みたいね。」
 だがそのおばさん達の子供の世代なら知っている。歳の離れた従兄弟の子供は、こっそりと倫子にサインをせがんできた。
「新しい連載が始まるんでしょう?漫画の原作だって。」
「えぇ。ちょっと変わったものだけど、良かったら読んでね。」
 本を持ってこなくて失敗したと、子供達が少し悔やんでいる。同年代はさらに地団太を踏んでいるようだ。滅多に帰らない倫子が、こんなところにいる。昔は色々あったようだが、春樹の姿に「落ち着いた女性になった」と胸をなで下ろしているようだった。
 向こうでは春樹が父親に挨拶をしているようだ。ちゃんとした企業に勤め、ある程度の管理職にいる。生活は安定できるだろうと他人事のように言っていた。
「春樹君。あんな娘でいいのか。」
「え?もったいないくらいですよ。」
「家を買ったのも、入れ墨も、私たちに反抗してかと思っていた。いずれ君にも反抗するよ。」
「確かにじゃじゃ馬ですが、聞く耳はあります。言葉が通じれば話し合うことも出来ますよ。」
 あまりにも楽観的すぎる。父親はそう思っていたようだ。
 やがて葬儀が始まり、先ほどの栄輝の同級生である女性の、おそらく義理の父親だろうか。年老いた僧侶がお経を上げる。
 それを聞いているとつい眠くなってしまうが、ちらっと倫子を見ると倫子はまっすぐに祭壇を見つめていた。その先には本が数冊ある。焦げあとがあるところを見ると、おそらく倫子が日の中から持ち出した本のようだ。
 あの本のために倫子は体に火傷の跡を作った。そして全ての人生が狂ってしまったのだろう。
 倫子がしなければ後ろ指を指されることもなかった。母親ももっと聞く耳を持っていたかもしれない。春樹はそう思いながら、やはり真実を告げるべきだと心の中で思っていた。

 寺から会場を移し、その年老いた僧侶も一緒に町中へ会場を移した。料亭の一角を借りているのだ。立派な料亭だと思っていた。庭もきちんと作り上げられ、働いている人もちゃんと和服を着ている。
 一人一人にお膳が用意されていたが、その一品も手が込んでいる。どれくらいこの法事で金をつぎ込んだのだろう。
 そして倫子のいうとおり、この両親はずいぶん見栄を張るようだ。
「栄輝は大学院へ行くのか?」
「うん。ちょっと勉強したいこともあって。」
「薬学部かぁ。俺もその道に行きたかったけどなぁ。」
 従兄弟の男が羨ましそうに聞いていた。同じ薬学部を出た男は、金がないからと大学院を諦めたのだ。今は医療器期をおろす会社に勤めているらしい。
「有名な作家先生にお酌をされるなんて思ってもなかった。なぁ。喜美子。」
「えぇ。本当に。倫子ちゃんは有名になったわねぇ。」
 ひときわ大きな声で騒いでいるのは、母方の叔父だった。青田と言い、この街で旅館を経営しているらしい。急に来ると言いだし、結局奥さんは来ないと言っていたのに来ることになったので、あわてて料亭に用意してもらったのだ。
「旅館業は今いかがですか。」
「ここは割と栄えている方だよ。ほら、この間テレビでよく見るタレントの何だっけな。」
「お笑いの人ですよ。」
「ほら、そんなヤツが来てな。紹介していったよ。古き良き温泉街だって。」
「はぁ……。」
 確かに温泉の質はいい。この辺は昔湯治をするような人が多かったので、長く客が滞在するのだ。だが医療の向上とともに、その文化は廃れていく。
 いち早く旅館として経営し、通り客でも入れ込むようなやり方は成功したと言えるだろう。
「今度、うちを舞台にした話を書いてもらえないか。」
「そうしたら、その旅館が殺人現場になりますけど。」
「そうしたらそうしたで、また客が増えるよ。一目見たいと部屋を指定するかもしれないし。」
「そんなものですか。」
 青柳とかぶる人だ。何かにつけて金というところが見えるから。
 その時春樹が立ち上がり、ビール瓶を持って倫子の親に近づいていった。遠巻きに見ていた人たちが、それを視線だけで追っている。
 倫子の恋人だという春樹は、どう見ても年上だ。そういう人の方が倫子にはいいのかもしれない。
「お父さん。どうぞ。」
 ビールの瓶を差し出すと、父親はコップを差し出した。
「まだお父さんと言われる間柄ではないがね。」
「そうでした。でしたら小泉さんで宜しいですか。」
 その言葉に僧侶が笑う。
「一枚も二枚も上手ですね。小泉さん。」
「うむ……。」
 どうもこの男が苦手だ。だが顔には出せない。親戚の前だからだ。
「年上の旦那さんというのも良いですよ。うちの嫁はずいぶん年下ですから。」
「そうでしたか。」
「うちの息子はもう四十目前ですよ。なのに嫁は二十二です。下手すれば親子ですから。」
 ずいぶん歳の離れた夫婦なのだろう。なのに子供が出来る。それが少し羨ましかった。
「藤枝さんはおいくつですか。」
 隣で食事をしていた母が聞く。すると春樹は少し笑顔でいった。
「三十六です。」
「倫子とは十個も違うんですね。まぁ……あんな子ですから、すぐに別れてしまうと思いますけど。」
「そうでしょうか。長続きしている方だと思いますよ。」
「……一人で足りるのかしら。」
 すると父親が母親をたしなめる。
「今言うことじゃない。」
「結婚してもきっと浮気を繰り返しますよ。違う人の方がいいんじゃないんですか。」
 どうしても春樹と結婚させたくないらしい。母親はもう押さえきれなかったのだ。
「若いときは遊ぶものです。俺も遊んでいた時期がありますし、心当たりがないわけではないので。」
「モテそうですね。」
「それなりに。」
 すると僧侶が少し笑う。正直に言うのが面白いと思ったのだ。
「不貞をするのは夫の甲斐性がないからでしょう。俺はそうさせませんし、倫子の呪縛は説いてあげたいと思ってますから。」
「呪縛?」
「えぇ。」
 その時倫子の側にいた青田が声を上げる。
「加世子の所もさっさと旅館にしておけば良かったのに、湯治客しか入れないやり方だった。だから店を閉めることになってしまったのだからどうしようもないな。だからじいさんの遺産も灰になったし。」
「昔は確かに宿をしていたみたいですけど……。」
「倫子ちゃんは知らなかったのか。じいさんが湯治客を相手に温泉宿をしていたのだが、そのやり方だけでは廃れる。だから観光客向けの旅館に切り替える店が多い中、ずっと湯治客だけを入れていたのだよ。最後には温泉の権利も売ったようだ。」
「……えぇ。」
「だからあんなマッチ箱みたいな家にしか住めないんだ。倫子ちゃんは家を買ったとか。」
「いざとなれば売れますから。」
「賢い女だ。」
 その会話が聞こえたのだろう。父親の手が震えていた。自分の代でつぶしたのではない。祖父が悪いのだ。そう自分に言い聞かせていた。
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