好かれる努力をしない奴が選ばれるわけがない

宝月 蓮

文字の大きさ
27 / 36
本編

エマに出来ることは……

しおりを挟む
 カサンドラに赤ワインをかけられ、エマのドレスの胸元には大きな染みが付いてしまった。
「あら、ドレスが台無しね。でも貴女が悪いのよ。わたくしを無視するのだから」
「忠告?」
 エマは訝しげな表情である。
「まず、エマ・ジークリンデ・フォン・リートベルク。わたくしのことは知っているわよね?」
「ええ、カサンドラ・グレートヒェン・フォン・アーレンベルク公爵令嬢」
 エマはカサンドラから目を逸さなかった。
「まあ! カサンドラ様お相手に礼をらないだなんて! なんて礼儀知らずなのかしら?」
 取り巻き令嬢の中の1人がわざとらしく眉をひそめる。
「落ち着きなさい。それより、リートベルク嬢。貴女、わたくしが『パトリック様に近付くな』と忠告をしたにも関わらず、ずっとパトリック様のお側にいるわよね」
 カサンドラは冷たい目でエマを睨んでいる。そこでエマはパッとする。
「つまり、あの針入りの手紙の送り主はアーレンベルク嬢ということでございますね?」
 エマは怯むことなくカサンドラにそう問う。
「ええ、そうよ。ぽっと出の伯爵令嬢如きがパトリック様のお側にいるだなんて、笑ってしまうわ」
 冷笑するカサンドラ。
(やっぱりパトリック様と一緒にいる私への嫉妬なのね)
 エマは冷静だった。そしてカサンドラの取り巻きの中の一人を見てハッとする。
(あの方は、ヴァイマル伯爵家の三女だわ。……何故ほとんど関わりのないヴァイマル伯爵家から夜会に招待されたのか不思議に思ったけれど、そういうことなのね。意図的に私を孤立させようと)
 エマは瞬時に理解した。
「まあいいわ。エマ・ジークリンデ・フォン・リートベルク。これが最終警告よ。これ以上パトリック様に近付かないでちょうだい」
「嫌だとと申し上げたら?」
 エマのアンバーの目は真っ直ぐカサンドラを見据える。
「面白いことを言うのね」
 カサンドラの口角は上がっているが、クリソベリルの目は全く笑っていない。
「アーレンベルク公爵家は公爵家の中でも力がある方よ。例えば、リートベルク伯爵領で生産される乳製品を購入させないように圧をかけたり」
 その言葉を聞き、エマはアンバーの目を見開く。
「それから、ご長女のリーゼロッテ嬢は婚約が決まっていたわよね? その婚約を破断にすることも出来るのよ。それから、ご長男のディートリヒ卿との他の令嬢の婚約を阻んだりとかもね。それに、貴女、ケーニヒスマルク伯爵令嬢と仲がいいわよね? リッペ侯爵令嬢やロイス伯爵令息とも。彼女達の家を潰すことも出来るわ。貴女と仲がいいという理由だけでね」
 背筋がゾクリとするエマ。心臓の中に氷水を注がれるような感覚だ。
(この人なら……やりかねない……)
 自分だけの被害なら何とかなった。しかし、家族や友人を盾に取られてしまい、エマは何も出来なくなった。
「ようやく自分の置かれた立場が理解出来たようね。理解出来たのなら、もう二度とパトリック様に近付かないことね」
 カサンドラは勝ち誇ったようにそう言い、取り巻きと共にその場を去るのであった。
 エマはドレスの胸元の染みと、カサンドラの言葉に愕然としながら、フラフラと会場出口に向かった。
(私だけへの嫌がらせなら、私が耐えるだけで何とかなるわ。だけど……家族や友人は巻き込めない……パトリック様……)
 エマは拳をギュッと握りしめる。
「お前、いつも以上に酷い顔してんな、エマ」
 聞き覚えのある声がした。エマが顔を上げると、そこにはヘルムフリートがいた。
「ヘルムフリート……何でこの夜会に?」
 訝しげなエマ。エマの知り合いは全くいなかったので、意外に思った。
「何でって、そりゃヴァイマル伯爵家とシェイエルン伯爵家は繋がりがあるから当然だろう」
「そう」
 エマは素っ気なく返事をした。
「それにしても、お前また酷いドレス着てんな。ま、赤ワインかけられたんならもうそんな酷いドレス着なくて済むか。よかったな。ドレス汚されて」
 意地悪そうに笑うヘルムフリート。
(やっぱりこの人と話すのは時間の無駄ね。それに、今はそれどころではないわ)
 エマはため息をつき、そのまま会場出口に向かった。ヘルムフリートが後ろで何か言っている気がしたが、エマの耳には入ってこなかった。
 しかし、またエマは行手を塞がれる。ウェーブがかったブロンドの髪に、茶色の目をした令嬢がエマの前に立ちはだかる。ロミルダである。
「あの、何か?」
 訝しげなエマ。
「大した顔じゃないのに、いつもあの人に声をかけられていい気になってるんじゃないわよ!」
 ロミルダにそう罵声を浴びせられた。ほとんど癇癪に近い。
(な、何なの? この令嬢は?)
 エマはもう疲れ切っていた。
「エマ嬢」
 ふと、隣から聞き慣れた声がした。エマは少しだけ、安心感に包まれる。
「パトリック様……」
「ヴァイマル卿の長い話に付き合わされてね。大した話じゃないのに延々と話し続けられたからうんざりしてしまってね。途中で抜け出したんだ。それより、エマ嬢、そのドレスは……!」
 パトリックは赤ワインの大きな染みが出来たエマのドレスを見て驚愕する。エマはパッと胸元の染みを手で隠す。
「私がうっかりしていたもので」
 エマは苦笑した。
「ちょっと! まだ話は終わっていないわよ!」
 癇癪令嬢ロミルダがエマに掴みかかろうとしたが、それをパトリックに止められる。
「少しは落ち着いたらいかがです?」
 それからパトリックは癇癪令嬢ロミルダを保護者に引き渡した。
 それからエマとパトリックは会場を出て、人気ひとけのない場所へ移る。
(私さえ我慢したら、家族や友人には危害が加わらないのだとしたら……)
 エマは覚悟を決めた。
「あの、パトリック様、お話ししたいことがございます」
「何かな?」
 不思議そうに首を傾げるパトリック。
(まだパトリック様とは婚約を結んでいる段階ではない。今ならまだ解消しても両家に損害はないはず。それに……パトリック様ならまたすぐに婚約者が見つかるわ)
 エマはギュッと拳を握る。
「パトリック様、申し訳ございません。今までのお話……婚約のことを……なかったことにしてください」
 エマは悔しさや悲しみを隠し、真っ直ぐパトリックを見る。
「……え?」
 パトリックは驚愕のあまり、アメジストの目を大きく見開いて固まっている。
「……そんな……エマ嬢、どうしてだい? 僕では不満かい? 不満があるのなら絶対に直すから言って欲しい」
 エマの肩を掴むパトリック。必死な様子だ。
「不満などございません。パトリック様は、とても素敵な方です。だからこそ、私ではなく、もっと相応しい人がいるはずです。だから、私のことは忘れてください。本当に申し訳ございません」
 エマはなるべくパトリックの顔を見ずにそう言い、そのまま立ち去るのであった。
(これでいいわ。これで……)
 エマは涙を流しながら走っていた。
「そんな……エマ嬢……」
 一人残されたパトリック。アメジストの目からは完全に光が消えていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

親友に恋人を奪われた俺は、姉の様に思っていた親友の父親の後妻を貰う事にしました。傷ついた二人の恋愛物語

石のやっさん
恋愛
同世代の輪から浮いていた和也は、村の権力者の息子正一より、とうとう、その輪のなから外されてしまった。幼馴染もかっての婚約者芽瑠も全員正一の物ので、そこに居場所が無いと悟った和也はそれを受け入れる事にした。 本来なら絶望的な状況の筈だが……和也の顔は笑っていた。 『勇者からの追放物』を書く時にに集めた資料を基に異世界でなくどこかの日本にありそうな架空な場所での物語を書いてみました。 「25周年アニバーサリーカップ」出展にあたり 主人公の年齢を25歳 ヒロインの年齢を30歳にしました。 カクヨムでカクヨムコン10に応募して中間突破した作品を加筆修正した作品です。 大きく物語は変わりませんが、所々、加筆修正が入ります。

ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。 一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?

【完結】 私を忌み嫌って義妹を贔屓したいのなら、家を出て行くのでお好きにしてください

ゆうき
恋愛
苦しむ民を救う使命を持つ、国のお抱えの聖女でありながら、悪魔の子と呼ばれて忌み嫌われている者が持つ、赤い目を持っているせいで、民に恐れられ、陰口を叩かれ、家族には忌み嫌われて劣悪な環境に置かれている少女、サーシャはある日、義妹が屋敷にやってきたことをきっかけに、聖女の座と婚約者を義妹に奪われてしまった。 義父は義妹を贔屓し、なにを言っても聞き入れてもらえない。これでは聖女としての使命も、幼い頃にとある男の子と交わした誓いも果たせない……そう思ったサーシャは、誰にも言わずに外の世界に飛び出した。 外の世界に出てから間もなく、サーシャも知っている、とある家からの捜索願が出されていたことを知ったサーシャは、急いでその家に向かうと、その家のご子息様に迎えられた。 彼とは何度か社交界で顔を合わせていたが、なぜかサーシャにだけは冷たかった。なのに、出会うなりサーシャのことを抱きしめて、衝撃の一言を口にする。 「おお、サーシャ! 我が愛しの人よ!」 ――これは一人の少女が、溺愛されながらも、聖女の使命と大切な人との誓いを果たすために奮闘しながら、愛を育む物語。 ⭐︎小説家になろう様にも投稿されています⭐︎

婚約解消は君の方から

みなせ
恋愛
私、リオンは“真実の愛”を見つけてしまった。 しかし、私には産まれた時からの婚約者・ミアがいる。 私が愛するカレンに嫌がらせをするミアに、 嫌がらせをやめるよう呼び出したのに…… どうしてこうなったんだろう? 2020.2.17より、カレンの話を始めました。 小説家になろうさんにも掲載しています。

冤罪で退学になったけど、そっちの方が幸せだった

シリアス
恋愛
冤罪で退学になったけど、そっちの方が幸せだった

処理中です...