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一章

62・仲間を心配するのは当然の権利よ

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「クリスティーナ様。起きてくださいませ。もう朝ですよ。朝食の支度が整っております」
 ふえ?
 もう朝なの?
 なんだか全然 眠り足りない。
「一週間も寝ておられたのに、まだ眠り足りないのですか? 病は治ったのですから、生活習慣を元に戻さないと」
 病気?
 ああ、そうだった。
 私、昨日まで風邪ってことで、ベッドで療養してたんだっけ。
 でも、ほとんど眠ってないのよ。
 頭がガンガン痛くて、全然眠れなかった。
 まったく、前世の記憶を思い出して大変だったんだから。
 いえ、本当に大変なのはこれからね。
 攻略対象の四人の事を調べないといけないし、リリア・カーティスも調べないと。
 リオン王子と会う時の対応策も考えないといけないし。
 でも、その前にルークね。
 家にいる身近な存在だから、最初に会うことになるんだわ。
 クリスティーナ・アーネストの一つ年下の弟で、アーネスト侯爵家の後継者。
 地の魔力の保有者。
 栗色の瞳と髪をした、幼い頃は女の子に間違われたこともある、可愛らしい顔立ちの男の子。
 人懐っこい子で、小さな頃は私を慕って後を良く付いて来ていた。
 でも、いつの頃からか、そんなルークのことを遠ざけるようなった。
 ゲームではクリスティーナが弟を遠ざけた理由は、ミサキチによれば語られていないらしいけど、私のクリスティーナとしての記憶では、幾つになっても甘えん坊のルークに、アーネスト侯爵家の後継者としての自覚を持って欲しくてのことで、そしてクリスティーナ自身、弟離れしようと考えてのことだった。
 やがて会話がなくなり、今では食事の時以外、顔を合わせることがなくなった。
 ゲームでは、姉の代わりのような存在を求めて、ヒロインに惹かれるようになるらしい。
 つまりルークルートでの破滅を回避するには、今まで冷たくしていた事をキチンと謝って、仲の良い姉弟に戻ればいいということになる。
 でも、そんなことできるのかな?
 前世で兄弟はいたけど、二人とも上の兄だったし、下の子の面倒を見たことなんて一度もない。
 でも、失敗したら破滅が待ち受けている。
 頭の中で科白を考えて、シミュレーションしたけど……


 私、あなたに謝りたいの。
 今まで冷たくして本当にごめんなさい。
 私、病気の間、ずっと同じような夢を見ていたの。
 とても悲しい夢。
 そして恐ろしい夢。
 誰に対しても冷たく接してきた私は、いつしか誰にも相手にされなくなり、孤独で寂しい人生を送るの。
 やがて死の床に伏して、私は誰でも良いからお見舞いに来てほしいと願う。
 でも誰も会いに来てくれない。
 手紙を送っても、使いを出しても、誰も来ない。
 お父様も、お母様も、そしてあなたも。
 私は寂しさのあまり泣き出してしまうけれど、それでも誰も来ない。
 あの孤独と寂しさは、夢の中の出来事とは思えないほど。
 そして理解した。あなたにどんなに酷い仕打ちをしてきたのか。
 一緒に遊んでほしい。お話がしたい。ただ会うだけで良い。
 こんな私のことを慕ってくれたあなたに、あの孤独を味あわせていたなんて。
 許されることじゃないかもしれない。
 でも、もしあなたが許してくれるのなら、姉弟としてやりなおしたいの。


 よし、完璧。
 このお涙頂戴の科白にルークは一殺イチコロよ。
「クリスティーナ様、さっきからいったいなにをブツブツ独り言を言っておられるのですか?」
 なんでもないわ。
 さあ、いざ出陣!
「あの、向うのは食堂で、戦場ではないのですが……」
 気にしないで。
 気合を入れただけだから。


 食堂には、今世のお父さまとお母さま、そして弟であるルーク・アーネストがすでに着席していた。
「あ、姉さん」
 ルークは私の姿を見ると、駆け寄って笑顔を見せる。
「おはようございます、姉さん。風邪が治ってよかったですね」
 そ、そうね……
 ……これは……
「僕、お見舞いに行きたかったんですけど、病気が感染るといけないからって、止められてたんです」
 ……そうなの……
「姉さん、寂しくはありませんでしたか?」
 チャンスよ。
 考えておいたあの科白をいう時よ。
 でも……でも、科白が頭から飛んじゃった。
 だって……だって!
 ルーク、可愛いんだもの!
 なに この可愛い生き物。
 ゲームのイラストじゃ まあまあ可愛く描いてるかなって思った程度なのに、この生きた本物の可愛らしさの破壊力。
 ノックアウト。
 ハアハア……ルーク……お姉ちゃん……お姉ちゃんね……
「あの、姉さん、なんだか怖いです」
 怖がらないで、ルーク。
 ちょっとだけよ。ちょっとだけだから。
 痛くしないから、安心してお姉ちゃんに任せて。
「な、なにを任せるんですか?」
 もう我慢できない。
 私はルークに抱きついた。
 頭なでなで。
 ほっぺたスリスリ。
 可愛い、可愛いわ、ルーク。なんて可愛いの。
 お姉ちゃんが間違ってた。弟離れしようだなんて。
 あなたの可愛らしさを我慢するだなんてそんなの間違いよ。
 ああ、私の可愛いルーク。
 私、リオン王子と結婚なんかしない。
 お姉ちゃん、ルークのお嫁さんになるー。
「正気に戻ってください! 姉さん!」
 お姉ちゃんって呼んでー。


「クレアちゃん……クレアちゃん……」
 ふえ?
 私は目を開けた。
 夢?
 ベッドの横でキャシーさんが心配そうな顔をしている。
 窓から朝日が差し込んでいる。
「……あ……おはようございます」
「おはよう、クレアちゃん。大丈夫?」
「大丈夫って?」
「なんだか息苦しそうにしてたから。その割には満面の笑顔だったけど」
「ちょっと、昔の夢を見てたみたいです」
 三年半以上前、私が前世の記憶を思い出した時の出来事。
 あれから疎遠になっていたルークとの関係を取り戻し、仲の良い姉弟になったと思っていた。
 そして私はあの日、父の跡を継いでアーネスト侯爵家の当主になるルークを、姉の立場から支えようと決心した。
 ルークも両親も、そんな私の変化を喜んでくれていたと思う。
 そして私もルークも勉学に励み、存分に両親の期待に応えていた。
 ルークが学園でリリア・カーティスに会うまでは。
 それまで真面目に勉学に取り組んでいたルークは、あの女と出会った日を境に、次第に学業を疎かにするようになり、入学試験に置いて首席だったルークは、しかし学園での成績は下降の一途を辿った。
 私はゲームでのルークルートの事をあまり知らなかった。
 私がクリアしたのはリオンルートだけで、他の攻略対象をクリアせずに止めてしまったから。
 だからルークをどのように攻略しているのか具体的なことは分からなかった。
 ミサキチがネタバレトークをした時、もっと付き合ってあげなかったことを悔やんでも悔やみきれない。
 ほとんど分からない状態で、それでもルークを諌めた。
 このままではアーネスト家を継ぐことはできなくなると。
 貴方にはアーネスト侯爵家の跡継ぎとしての責任と義務があると。
 ルークは私の言葉に反発した。
「姉さんは僕の事をなにもわかってくれないんだ!」
 その言葉を最後に、ルークは話をしてくれなくなった。
 私がルークに冷たく接していた時のように。
 そして、ルークが再び私に言葉を掛けてくれたのは、竜の谷での事だった。
「姉さん。どうかお願いします。自ら命を絶ってください。それがあなたに残された唯一の贖罪です」
 つまりは、死ねと言われた。
 そのことに怒りや悲しみはなかった。
 不条理に感じたけど。
 そんなルークとの最後の別れだ。
 考えたくない。
 思い出したくもない。
 それなのにルークの夢を見るなんて、心のどこかで私はまだルークとの関係を取り戻せると期待しているのだろうか?
「ねえ、本当に大丈夫?」
「大丈夫です、キャシーさん。心配かけてごめんなさい」
「謝らないで。仲間を心配するのは当然の権利よ」
「権利? 責任や義務ではなく?」
「そう、権利よ。責任や義務だからしかたなくやるようなものじゃなく、自分で自由に選ぶことのできる選択肢。だから権利なの」
 そんなふうに考えたことはなかった。
 でも、押しつけがましくないその言葉は、自然とある言葉が浮かぶ。
「心配していただいて、ありがとうございます」
「そうね。謝るより感謝してもらえる方が嬉しいわ」
 ふと、私は思う。
 ルークは家督を継ぐことの責任や義務に悩んでいたのだろうか?
 もし そうなら、私に相談して欲しかった。
 ルークの負担を、たった一人の姉として、少しでも軽くさせて貰えることができたかもしれないのに。
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