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2ー 5 結界のない世界

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 その日王都は、楽隊の音楽と国民の大きな歓声に包まれ、声は風に乗り、城門の方まで届いていた。
 大国ヴィルヘルミナ帝国の侵攻を食い止めた功労者である魔術師達の帰還を喜び、国民は花弁を舞わせて歓迎していた。魔術師達の一行は歓迎ぶりに戸惑いながらも、手を挙げて答えながら王城へと続く坂道を馬車で登って行った。

「最近のお前は妙だぞ」

 クラウスは王の間で魔術師達を迎えてほしいという官僚達を無視して、城の前に立ち、魔術師達の帰還を待っていた。命を賭けて戦ってきた者達を王座で座りながら待ちたくはなかった。
 隣りにいるフランツィスに視線をやる。他の者達からすれば変わりなく見えるだろうが、クラウスから言わせればうざったいの一言に尽きた。何かを考えているのか眉根を寄せたかと思えば、晴れ晴れした顔をしている。つまりは落ち着きがなかった。

「おっしゃっている意味が分かりかねます」
「早く仲直りをしろ。どうせあの侍女だろう? 何故か昔から俺には会わせようとしないがな」
「仲直りもなにも私達は喧嘩などしておりませんよ。至って普通のよくある主従関係にあります」
「なんだその言い方は。どうせとうとう手でも出したんだろう?」

 フランツィスは僅かに眉を動かした。

「私達はそんな関係じゃありません。陛下とミラ嬢のように昔から一緒にいるというだけです」
「俺とミラとは全然違うがな」
「確かに、陛下はずっと妹を追い回してしましたからね」
「俺がいつ追い回したんだ!」

 思わず大きくなった声に周りの視線が集まる。咳払いをすると真っ直ぐに前を見たまま続けた。

「俺はエーリカ嬢を追い回したりしていない」
「物理的にはしていませんが視線が追い回していました。もっとも、幸いな事に妹は気付いていませんでしたが」
「エーリカ嬢のそばにはいつもオルフェンがいたんだ。俺の事など見ていなかっただろう」

 すると今度はフランツィスがした盛大なため息に視線が集まる。

「全く、あなた達は本当に見ている方が苛々しますよ」
「なんだそれは?」
「言いません。私としてはいまだ破談になってもいいと思っているので」
「妹を王妃にしたくないのか?」

 切れ長の目が眼鏡の奥で細まる。そして冷ややかにクラウスを見た。

「私達家族が、大事な妹にそんな大変な役割を望むとでも? エーリカにはこれからは自由に、好きな事をして過ごしてもらいたいのです。結婚もしたくないならしなくていいと思っています。両親もその方が喜ぶでしょうし。魔力のせいで魔術団に奪われ、今度はあなたに奪われるのですから」
「……お前達はやはり変わっているな。それに別に奪った訳じゃない。エーリカも嫌がってはいなかったと思うぞ」
「エーリカねぇ」

 フランツィスは舌打ちすると、もう返事はなかった。

「お前今、王に向かって舌打ちをしたな?」
「ほら英雄達のご帰還ですよ、黙ってください」

 帰還した魔術師達の人数は僅かに三十人。もともとは百人以上いた魔術師達は、半数が戦死し、残りは各防衛線に残った。一度帰還した者達も、数日休んだら残った者達と交換する為にまた国境へと赴く。兵士と違い人数が少ない分、魔術師達の方が過酷な長期戦になるだろう。しかし結界がない今、いつまたヴィルヘルミナ帝国や他の国が攻めてくるか分からない。それを考えると、魔術師達には堪えてもらうしかなかった。
 結界魔術師のルーとハンナが膝を付き、その後ろに二十八人の魔術師達がそれに習う。クラウスの声で皆一斉に立ち上がった。

「よく戻った。そなた達の働きに心からの礼を言う。後日戦死した者達の追悼式を執り行うが、まずはゆっくりと体を休めるといい。そして何か要望があれば出来る限り聞き入れよう」
「暖かいお言葉をありがとうございます。そして、御即位の祝辞が遅くなり申し訳ございません。クラウス・ベルムート・アメジスト王の治世が長く幸せと繁栄に満ち溢れたものでありますように、ささやかながら贈り物をさせていただきます」

 そう言うと、三十人の魔術師達は空に手を上げて魔術を放った。炎の形をした鳥が一斉に飛び立ち、その後を氷の鹿が追いかける。追いついた鹿と氷は溶け合い雨となって降り注ぐ。いつの間にか空にはいくつもの動物が駆け回り、虹が架かっていた。最後に強烈な風が吹くと、王都全体が霧のような雨に包まれた。街の方から歓声が聞こえてくる。目を見張って空を見上げていたクラウス達は誰ともなく手を叩き出し、あっという間に盛大な拍手となった。

「凄いなこれは。こんな事も出来たのか」
「ありがとうございます。守護を込めて放ちましたので、多少の気休めにはなりましょう」
「お前達も帰るべき場所を失い、辛かっただろう。王都に実家がある者はそちらに帰り、残りの者は紫の離宮を使うといい。魔術団の今後については後程話し合おう」

 ルーとハンナの後に続いて魔術師達が紫の離宮の方に歩いていくのを見送っていると、横からフランツィスが呟いた。

「宜しかったのですか? せっかく改修した紫の離宮を魔術師達に明け渡してしまっても」
「これでいいんだ。側室もしばらくは迎えなくて済みそうになっただろう? 使う者がいないままにしておくよりも、魔術師達の住居にするならば誰も文句は言うまい。明日は皆の為に慰労会を開こう」
「それはきっと皆喜びます」

 クラウスは歩きながらフランツィスに目配せをした。

「俺は牢に行ってくる」
「護衛を付けてお行き下さいよ」

 離れていく背中は振り返らずに手を上げただけだった。



 地下牢はあまり大きいものではない。王都で起きた犯罪者の収容場はちゃんと街に設備されており、王城の地下牢に入れる程の犯罪者は今の所いなかった。しかし結界が消えたこれからは増えていくのだろう。現に王都でも争い事は多くなっている。そして、いずれは外国からの犯罪者も。

「連日来られても何も話す事はないぞ、国王様」

 牢の中には一際大きな男が床に座っていた。捕らえた四ヶ月前よりは少しやつれたが、それでも目に宿る力は薄れてはいなかった。

「ミュラー、お前もそろそろ祖国に帰りたくはないか? 我が国の遠征に出ていた者達は戻ってきたぞ」
「帰ったとしてもこの失態の責任を追求されて処刑されるだけだ。俺はアメジスト王国を落とせなかっただけでなく、殿下も見失ってしまったからな」
「その割には少しも恐れていないように見えるぞ」
「死と隣り合わせで生きてきたんだ。あんたらのように守れてきた国じゃない。俺達ヴィルヘルミナ帝国の兵士が死を恐れることは無い!」

 クラウスは腕を組むと格子に近づいた。

「結界魔術師達が帰還した。魔力の残穢を辿れればヘルムートに辿り着くかもしれない」
「殿下が帝国に帰ったとは思わないのか?」
「それならとうに攻め入っているだろう? 向こうもヘルムートの行方が分からないから動けない。違うか?」

 ミュラーは押し黙っていた。

「ヘルムートの居場所次第ではこちらに分があると思っている」

 それでもミュラーは黙ったままだった。

「見当違いだったようだな。お前はヘルムートを敬愛していると思っていたが、所詮都合のいい主に付き従っていただけと言う訳か」

 クラウスが背中を向けると、格子を叩く乾いた音が響いた。

「もしも、もしも結界魔術師達が殿下の行方を見つけられたら教えてくれ」
「何の為に?」
「……殿下がいなければヴィルヘルミナ帝国は崩壊してしまうだろう。あれだけの大きな国は強大な分、常に崩壊の危険もはらんでいるんだ。殿下がいなければあの国はすぐに分裂し、各地で戦争が起こるぞ。この国にも難民や野盗が押し寄せるだろう」
「まるで皇帝はヘルムートで、恐怖で支配しているみたいだな」
「恐怖での支配が最も簡単な方法だろが」

 クラウスは思案したあと、返事はせずに牢を出た。



「それで、なんでそんな事を言ったのかな?」

 魔術師達に割り当てた紫の離宮の応接間で、ハンナは盛大な溜め息をついていた。プラチナブロンドの髪は濡れ、ガウンを羽織っただけの姿に、誰も目のやり場に困り床を見ていた。容姿からは想像できない程の冷えた声が空気を伝うと、部屋の温度が下がった気がした。

「出来ないのか?」

 クラウスは物怖じせずに言うと、ハンナは更に冷ややかな視線を送った。

「出来るがそれで私は魔力を失うかもしれない。今になって分かった事だが、結界は魔力を国内に溜める役割も担っていたらしい。だから今は魔力を使わなくてもこの身から緩やかに逃げていっている。だから使えば使う程に減りやがて枯渇するだろう。その後はまた貯まるかもしれないが、今の様にはもう使えなくなる」
「ハンナが魔力を失うのは困るぞ。オルフェンもエーリカもいないんだ。これ以上魔術師が減るのは避けたい。次にヴィルヘルミナ帝国が襲ってきた時、それこそこの国は滅びちまうだろ」

 ひとり椅子に座っていたルーは、腕を頭の後ろで組みながら背もたれに寄りかかり、椅子の足を動かしていた。

「それなら他の魔術師では無理だろうか?」
「分からないが、相手があのヘルムートなら探った時点で吸い尽くされるだろうな」

 意味の分からないクラウスやフランツィス、そしてフェンゼンは互いに顔を見合わせた。面倒そうにハンナが足を組み替えると、ガウンがずれて白い太腿が露わになった。

「魔力は世界と繋がっているんだ。大地に水、空気に火に、全てに魔力が通っている。同じ魔力を使う者ならより通じ合いやすいが、基本それを辿って感じられる程の者は一握りだ。オルフェンとエーリカがその特別な例だな。結界魔術師くらい魔力がないと、魔力を流した所で力は世界中を回っている魔力と合流してしまい奪われるだけ。その流れに逆らい押し進めて探るには、それなりに大きな魔力が必要と言う訳だ」
「そうなのか。俺達は魔力に守られて暮らしていたのに、何も知らなかったようだ」
「仕方がないさ。わざと隔てていたのだからね」

 今までは目に見える形で魔術師と非魔術師は分け隔てられていた。関わり合いを持たず、国の守りの要を全て魔術師に丸投げしていたツケが今になって回ってきている気がする。魔力を失うかもしれないのに、ヘルムートを探せというのは酷な話だ。しかしそれでも引く事は出来なかった。

「ヘルムートの居場所が分かれば、エーリカの居場所も分かるかもしれない」
「エーリカの行方は気になるがそんな賭けには乗れないな。何も自分の身可愛さに言っている訳じゃないよ。今は一人でも多くの魔術師が必要なのさ」
「分かっているさ。すまなかったな」

 その時、勢いよく扉が開いた。入ってきたのは兵団長のユリウスだった。肩で大きく息をし、厚い胸が上下している。どこから走ってきたのか、首筋からは汗が流れていた。ユリウスは部屋の中を一巡すると、目を見開きハンナの元に大股で近付いた。

「なんで戻ったと知らせてくれないんだ! というかなんて格好で男どもの前に出ているんだ! お前ら見るなよ!」

 四ヶ月ぶりに戻って夫に知らせていなかったのかと、周りが不憫そうな視線をユリウスに向ける中、ハンナは楽しそうに笑っていた。

「相変わらずだな、旦那様。こんな格好でも襲ってくる馬鹿はいないよ。私に指が届く前に氷漬けになるからね」

 襲う気はないが、改めて言われると恐ろしくなるのがハンナの怖いところでもある。ユリウスは無造作にハンナを立たせると横抱きにした。

「汗臭いぞ旦那様。私は風呂に入ったばかりなのだけどね」
「ハンナ、お前は少し俺を軽んじ過ぎている。お仕置きが必要なようだ」

 するとハンナはごくりと喉を鳴らした。

「お仕置きの前に風呂に入ろうか?」
「お前が洗うなら入ってやる」

 白い腕が太い首に回る。ハンナは嬉しそうにその首に顔を埋めた。

「……良かったら離れを使うといい。魔石を埋めて音を吸収するよう作ってある」
「ご自分が使う為に作った部屋をいいんですか?」

 悪びれないユリウスの言い方に、若干気まずさを感じながら頷いた。

「いいんだ、戦争の功労者に報いたい」

 ハンナはユリウスの首に流れる汗を舐め取りながら、応接間に集まる男達を見下げた。

「あなた達も難しい顔ばかりせずに、たまには本気で愛し合ったらとうだ? 意地を張らずに」

 何を知っているのか、意味ありげな視線をそれぞれに向けると、ハンナはユリウスに抱かれながら部屋を出て行った。二人の背中を見送りながら、心当たりのある男達は互いを見やった。

「あーあ、あの調子だと二日は出てこないな。これで話し合いは中断だろ? 俺ももう行くぞぉ」

 背伸びをしながら立ち上がったルーは、眠そうに目を擦りながら部屋を出ていく。クラウスは息をつきながらソファの背もたれに沈み、ぽつりと呟いた。

「ユリウスは大分怒っていたな。戻っていたのに知らせないとは、ハンナ殿も随分じゃないか?」

 するとユリウスと昔から友人関係のフェンゼンはクスクスと笑った。

「年下だが奥方の方がユリウスよりうわてなんだよ。ああやってユリウスを煽って楽しんでいるんだ。二人共分かってやっているんだから気にするな」

 それを聞いた二人の男達は声を揃えて唸った。



「父上のお加減はいかがですか?」
 クラウスは話し合いがハンナの退出で中断した為、紫の離宮を出た足で前王の私室へと来ていた。付きっきりの養母は疲れ切っている様子で顔を上げた。寝台には隈を深くし、頬のこけた養父の姿が痛々しい。部屋の中には優しい匂いの香が炊いてあり、枕元には常に綺麗な花が生けられていた。

「先程少しだけ起きていたけれど、またすぐに眠ってしまったわ」
「あなたも少しは休んでください。ジークと交換しては? 呼んできましょうか?」

 すると力なく首を振った。

「あの子は全くこの部屋に寄り付こうとしないのよ。父親が病気なのに顔も見に来ないの」
「俺もジークと話してみます。でもどうやら俺も避けられているようで、この所ずっと顔を見ておりません」

 クラウスは眠っている養父の顔を覗き込んだ。

ーージークフリートは我が子ではない。

 四ヶ月前にそう言われた時の衝撃は大きかった。前両陛下の様子は子供の頃から仲睦まじく見えたし、実際にそうだった。養父は子供が出来なくとも側室を迎える事はせずに、兄の息子である自分を養子とした。互いに想い合っている二人なのに、どこで釦を掛け違えてしまったのか。もしエーリカが別の男との子供を孕んでも、受け入れられるだろうか。それは考えなくても分かる。到底受け入れる事は出来ないだろう。二人の間に何があったのか、誰にも分からないからこそ踏み込むべきではないと思った。
 部屋を出ると廊下で動いたものが目に入る。クラウスは勢いよく厚いカーテンをはいだ。

「ッ、兄上」

 ジークフリートは剥ぎ取られたカーテンに縋るようにして顔を強張らせていたが、すぐに開き直ると歩き出した。その腕を掴むと、驚いて振り返った顔は真っ青だった。

「大丈夫か?」
「大丈夫とはどういう意味です? 至って健康ですよ」
「なんだその話し方は」

 額を軽く弾くと、睨み付けた目が涙目になる。

「止めてください!」
「顔を見せに行っていないようだな。なぜ行かないんだ?」
「……どうせ僕が行っても意味はないでしょう?」

 言葉の意味を測りかねていると、ジークは叫ぶように言った。

「兄上がお顔を見せていれば喜ばれるはずです。もう行きます!」
「ジーク待て!」

 呼び止めても止まらない背を見つめながら踵を返した。

「見舞いに行くのが気恥ずかしい年頃なのか? 弟というのも難しいな」

 一瞬振り返ったが、追いかけてもかける言葉は見つからないだろうと思い、執務室へと足を向けた。

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