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第三十二話

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「彼女の言葉は、あまりにも独善的だ」

「けれどそのおかげで、番がそばにいなくても、青龍は狂わずに済んでいる」

「神獣が番のことを忘れるなんて……」

「それこそが彼女の願いだったんだ。番の呪いから、青龍を解放してあげたかったのさ」

「本気で彼女を保護するつもりか、朱雀?」

「紅玉は僕の妹分みたいなもんだしね。母親の面倒くらい見てあげないと」



 何やら、子どもたちの話し声が聞こえる。



「それに彼女はもう、普通の人間としては生きられない」

「最悪、人買いの餌食になるだろうな」



 うっすら目を開けると、見知らぬ少年と少女が、顔を突き合わせて話し込んでいた。

 どちらも目を見張るような美貌の持ち主だ。



「おや、どうやら目を覚ましたみたいだよ」

「君、自分の名前を言えるかい?」



 医師みたいな口調で話しかけられて、「珊瑚」と答える。



「どこまで覚えてる?」

「……どこまでって?」



 聞き返しながら、ここはどこだろうと辺りを見回す。

 清潔で広々した部屋――どこかの診療所だろうか。



「白龍、とりあえず普通に話しかけてみたら?」



 白龍と呼ばれた少年はうなずくと、あらためて私に向き直った。



 子どもの相手は苦手だけど、この子たちは大人びているから、大丈夫そう。

 起き上がろうとすると、そのままでかまわないと手で制される。



「天帝陛下は今回の一件をお許しになるそうだ。紅玉のことを、いたくお気に召したらしい」

「陛下の前で踊りを披露したそうだよ。肝が据わってるねぇ、あの子」



 とりあえず上体を起こすと、私は首を傾げた。



 ――天帝陛下って神様のことよね。



 それは分かる。でも、



「こうぎょくって……?」



 二人は、何とも言えない顔で私を見ていた。



「悲劇だね」

「禁忌を犯した代償だ、覚悟の上だろう」

「……何の話?」



 説明を求める私に、彼らは「ふう」とため息をついた。



「青龍という名に聞き覚えは?」

「蓬莱国を治める神獣様でしょ。国に住む者なら誰だって知ってるわ」

「なら、翡翠という名前はどう?」

「高価な宝石のことよね」



 私の答えに、「なるほど、わかった。そういうことか」と赤髪の少女が手を叩く。



「番と紅玉に関する記憶だけ、すっぽり抜けてるんだ」

「青龍と同じだな」

「こうなると紅玉が哀れだね」

「同情している場合か?」



 言いながら少年は立ち上がると、



「何にせよ、俺の仕事は終わった。天上界へ戻る。後のことは任せたぞ、朱雀」

「うん、分かった。紅玉によろしく言っといて」



 少年は一瞬だけ、気の毒そうな視線を私に向けると、窓から飛び降りてしまった。

 話の流れについていけず、ぽかんとしている私に、赤髪の少女が説明してくれる。



「君は大切な記憶と引き換えに、神獣――人助けをしたんだよ」

「……そうなの?」

「そうさ。彼にかけられた忌まわしい呪いを解いて、自由にしてあげたんだ」



 もっとも、と少女は小声で続ける。



「延命の儀式を終えたあとだから、繋がりが完全に断ち切れているかは、謎だけどね」

「何て言ったの?」

「君の面倒は僕が見るから、好きなだけここにいていいと言ったんだよ」



 にこにこと可愛らしい笑みを向けられて、自然と警戒心が薄れていく。



「でも、見ず知らずの方にご迷惑をかけるわけにはいかないわ」 

「君が覚えていないだけで、僕たちは家族みたいなもんだから」



 なんだかんだと言い含められて、結局、彼女の家に居候することになった。



 ――家というよりはお屋敷よね、ここ。 



 どうやらお金持ちのお嬢様らしい。

 自然に囲まれたこの土地を気に入って、最近購入したばかりとのこと。



「ところで、あなたのことを何て呼べばいいのかしら。ご主人様とか?」

「エンでいいよ、お姉さん」



 幸いエンは一人暮らしで、使用人を募集していた。彼女はほとんど外出していて家にいないので、私は日中、掃除をしたり料理をしたりして過ごした。屋敷は広いので、仕事には困らない。



「エンはいつもどこへ出かけてるの? 学舎?」

「まあそんな感じ」



 少しでも詮索しようとすると、のらりくらりとかわされてしまう。



「お姉さんのほうこそ、どうなの? 外へ出たいとか、誰かに会いたいとかはない?」

「……今のところは」



 大切な記憶を失ったと言われても、正直ぴんとこなかった。



 けれど気づけば、何かを探している自分がいる。

 それが人なのか物なのかすら分からないのに。



「お帰りなさい、エン。今日は早かったのね」



 ある日、人の気配を感じて外へ出ると、そこにいたのはエンではなかった。

 外見は、白龍と呼ばれていた少年に似ているけれど、明らかに違うと感じた。



 緑がかった濃い黒髪に、龍のような目をした青年。

 人間離れした美貌を前にしても、私は驚かなかった。



 なぜだろう、初めて会った気がしない。



「おまえ、名は?」



 偉そうな態度で訊ねられて、むっとした。

 黙って顔を背けると「悪かった」と謝られる。



「名は、なんという?」

「……珊瑚」



 答えると、「珊瑚」と彼は噛み締めるようにつぶやいた。 



「俺は翡翠だ」




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