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だまらっしゃい!!

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 久々に電車に乗った俺は宗佑のマンションから離れ、実家近くにある大型のドラッグストアに入った。高校生の時によく利用したここには果物のゼリーが豊富にある。それから肝心の検査薬も。

 俺は買い物用のカゴに検査薬とゼリーをポイポイ入れた。ゼリーをすぐに食べるのなら数は一個でいいはずなのに、何故か三個もカゴの中に入れてしまっていた。その内の一個は宗佑の好きな桃のゼリーだ。仲直りにゼリー一個じゃ足りないだろうか? そんなことを思いながら、会計を済ませてエコバッグに入れた。

 さて、肝心の検査薬はいつ使おう。このドラッグストア内のトイレを借りて使うのも手だが、Ωが一人で個室に入るとたとえ番がいようが襲われる可能性がある。チラリと化粧室に視線をやると、こちらを気にして見てくる連中がいたので止めた。いいや。帰ってから試すとしよう。

 トボトボと歩いて外に出ると、俺の脚は自然と母校である高校へ向かっていた。

 何故、高校に向かっているのだろう? Ωと判明する前の中学ならまだしも、高校に思い入れはない。三年間通ったものの、勉強はただ暇をつぶすだけの行為で部活動にも入らず生徒会は論外。気になる生徒や先生、先輩や後輩がいたわけでもない。実家から近いだけの、ただ息をするだけの場所だった。

 それでも、今の俺ならどう過ごしただろう。Ωだと悲観して、何もかもを諦めて過ごしていたあの頃と違って、恵の記憶が戻った今なら、その後に進学した大学もなんとなくではなく、やりたい何かを選んで、目指して、夢を掴んだだろうか。

 広い校舎周りをゆっくりと歩きながら、外からでも見られるフェンス向こうのグラウンドを眺めた。この時間は体育か。知らない男子高校生達が体操着に身を包んでサッカーボールを蹴っていた。楽しそう、とは思わない。俺はインドア派だからだ。

 しばし眺めてから、踵を返した。もっと羨ましく感じるのかと思いきや、そうでもなかった。

 進学も、就職も、結婚も……β、もしくはαだったら選べる幅は確かに広かったのかもしれない。ならばその後の人生は順風満帆なものが約束されているのかといえば、そうでもないのだろう。もしかしたら、大学にも進学できずに挫折していたかもしれないし、就職活動に勤しんでも内定は勝ち取れなかったかもしれないし、結婚だってこんな平凡な男としてくれる人はいなかったかもしれない。何が良くて、何が悪いのか。そんな想像をしても、何の意味もない。

 俺はΩだ。なら、この性と共に生きるしかない。いまだこの社会はΩにとって生きにくくとも、決して生きられないわけではないのだから。

 楽しむと決めたのだ。再び生まれたこの性で、精一杯人生を楽しむと。

「……ケースケ?」

「へ?」

 突如、聞き覚えのある声で誰かに名前を呼ばれたような気がした。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、数メートル先の歩道で黒い毛色の大きな狼の獣人がこちらを睨みつけていた。思わず肩を竦めるも、着ている制服を目にして学生であることを認識する。

 再度、狼の顔を目を凝らして見てみると「ああ」と思いついた。しかしそれが本当に本人なのかを確かめる為、俺は恐る恐る尋ねかける。

「耀太、君?」

「そーだよ。耀太だよ」

 何を聞いているのだとばかりに、耀太君は堂々とした足取りでこちらへ近づいた。うお、デカい。やはり本来の姿は迫力ある。

 だが、不思議と以前のような怖さは感じられない。宗佑が見せてくれた写真療法のお陰かな。

 リュックを肩にかけた耀太君は、不思議そうに俺を見下ろした。

「お前、こんなとこで何やってんだよ。兄貴ん家、ここから大分距離があるだろ」

「俺の実家がこの近くにあるんだよ。耀太君こそ、ここで何をしているの?」

「何って、登校じゃん」

「えっ……今から?」

「ど、どーでもいーだろ! んなこと、お前に!」

 なるほど、またサボりか。出くわしてはいけないところに出くわしてしまったようで何か気まずい。それでも知っている人間に会えたのは、それまで荒んでいた心を不思議と落ち着かせた。自然と持ち上がる口角のまま、俺は先輩として耀太君に注意をした。

「あんまりサボりが多いと単位、落としちゃうぞ」

 そう言うと、「うぐっ」と言葉を詰まらせた。反論しないところを見ると、反省はしているみたいだな。

 きまりが悪いのか、頭をボリボリと掻きながら、耀太君は俺に質問する。

「それより、お前はなんで外にいるんだよ」

「気分転換かな」

「あんまりウロウロするもんじゃねーだろ」

「ああ、Ωだから?」

「ちがっ……そうじゃなくて! いるんだろ! 腹に!」

「え?」

「あっ……」

 耀太君が慌てて自分の口元に手を当てるも、もう遅い。俺は自分の腹に手を添えて一瞬だけ視線を落とすも、すぐに彼を見上げた。

「宗佑から聞いたの?」

「う……」

 そうか。宗佑は耀太君に話したのか。

 気まずそうに耳を垂らす彼は、素直に白状した。

「昨日、電話したら……にーちゃんの様子が変だったから、俺がしつこく聞いたんだ。そしたら、ケースケの腹に……その、赤ん坊がいるって……」

「そっか」

 俺と電話した後のことか。宗佑はいったいどんな気持ちで耀太君に話したのだろう?

 腹を少しだけ擦りながら、耀太君に苦笑いを浮かべた。

「調べたわけじゃないから、まだわかんないよ。だからついさっき、検査薬を買ったんだけど……なんだか、自分で調べるのが怖くなっちゃった」

 不思議だな。耀太君の前では素直に話すことができる。そして自分の心の内も、言葉にできた。

 そうか。俺は今、怖いのか。子供がいても、いなくても、結果を一人で目の当たりにするのが怖いのだ。

 それに対し耀太君は。

「でも、いるんだろ?」

 あっさりと、俺の言うことを信じるように聞いてくれた。

 子供は素直に受け止められる生き物だ。身体は大きく成長しているとはいえ、その心はまだまだ子供だ。

 だからこの一言が、俺にとってとても喜ばしく思えた。

 俺が頷くと、耀太君は大きく目を見開いた。

「すっげぇ、キセキじゃん。それ……」

 そして俺に向き直ると、彼はかつて俺がしたように腰を九十度に曲げてみせた。

「我が兄ながら、申し訳ない。ケースケを傷つけたこと、宗佑の弟として謝る」

「よ、耀太君っ?」

 いきなり頭を下げられた俺はすっとんきょうな声を上げた。何故、この子が頭を下げて謝るのか。それもαがΩにだ。周りに人がいないとはいえ、俺は慌てて彼の頭を上げさせようとした。

「頭を上げてっ。ね? 耀太君っ」

「悪いことをしたら謝るのは当たり前のことだ。兄貴には兄貴なりの思いがあったと思う。でも、理由はどーあれ、アンタを傷つけたことは事実だ。本当にすまない」

 俺は違うと即座に首を振った。

「宗佑は間違ってないよ。俺が勝手に舞い上がっただけなんだ。そんな俺を落ち着かせる為に、冷静に対応してくれただけなんだよ。宗佑は正しい。だから……」

「間違ってるとか、正しいとか、そんなのどーでもいいよ。アンタが傷ついたかどうか、それが一番の問題なんだ」

「俺が、傷ついた……」

 耀太君は頭を上げると、真摯な目で俺に言った。

 怪我なんて何処にも負っていないのに、この子にはいったい何が見えているのだろうか?

 ああ、でもそうか。俺は傷ついているのか。この時、初めてそう知った。

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