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お隣は幼馴染
しおりを挟む「光介、荷物はこれだけ?」
「うん」
二月。
高校に受かり、今年から都内の高校に入学が決まった俺、飯橋幸介は美容師の姉と同じアパートに引っ越してきた。
同じ部屋なら部屋代も浮いたんだけど、1ルームの一人部屋なのでそれは不可能。
さすがに二十歳も過ぎた姉とそんな狭い部屋で一緒には暮らせない。暮らしたくない。
そんな事から俺は同じアパート、同じ階層の別室を借りる事にした。
よく借りられたな、と今は思う。
高校が近いため、地方から出てくる俺のような学生に人気のアパートなんだってさ。
姉は高校時代からこのアパートに暮らしているけど、普通に後輩に譲ってやれよ、と思う。
そう、俺は運がいい。
良すぎるくらいであった。
「ほら、荷物置いたらカーテンとか冷蔵庫買いに行くわよ~。洗濯機とかは貸してあげるけど……買うものちゃんと覚えてる?」
「うん、リストにしておいたってば」
姉、幸枝は五つ歳の離れている俺をずいぶん甘やかしてくれると思う。
他の姉弟の関係性を聞くと、なかなかに悲惨なところが多い。
そのせいか、俺も少しシスコンの気がある。
うん、分かってる。自覚ある。
でも、こんなに優しくて美人な姉では仕方ないだろう。
うちは父が小学生の頃に蒸発して以降、シングルマザーとなった母、そして姉と三人家族。
母が再婚して、実家だったアパートは他の家族が住むようになって……いや、母さんが今幸せなら、それが一番いい。
「あ!」
ガチャ、と鍵が開く音がして、そちらに顔を向けると赤褐色の髪の長身イケメンが廊下に立っていた。
イケメンはスーツ姿、眼鏡と、見た目はとても真面目そう。
その顔がこちらを向くと、途端に姉が顔を赤くさせて、はにかむ。
え、と思った時には、姉が一歩前へ出てイケメンに頭を下げた。
「おはようございます、長谷部さん。これからお出かけですか?」
「おはようございます、飯橋さん。飯橋さんもお出かけですか? ……あれ? えっと、そちらは?」
イケメンが姉の後ろにいた俺の方へと目線を向けてきた。
目元も穏やかで、なにより笑顔も爽やか。
こんな完璧な爽やか系イケメンが現実に存在するのか? ってくらい。
「あ、そうだ。弟の幸介といいます。この春から長谷部さんの勤める学校に入学予定です。部屋はあたしの斜め向かい。幸介、こちらは長谷部さん。あんたの通う東雲学院一般科の先生ね。えーと、担当教科は……」
「担当は体育です。そうなんですね、初めまして、長谷部真慈と申します」
「え、下のお名前、しんじ、だったんですか? わ、わー! そうだったんですね~! す、素敵なお名前ですね~っ!」
「ありがとうございます」
「…………」
これは。
さすがに。
分かりやすぎやしないか。
と、思わないでも、ない。
姉の分かりやすい態度。
相手の男はそうでもなさそうだが、身内から見るとその好意は分かりやすすぎる。
思わず男の方を見上げて、改めて観察してみる。
高い身長は180を超えているだろう。
がっしりとした体格はいかにも体育教師。なにかスポーツをやっていたのだろうと分かる。
しかし面立ちは穏やかで優しげ。表情もずっと微笑みを浮かべている。
口調も同じく穏やかで丁寧だ。
初対面の、これから生徒になるとはいえ男子に対しても敬語というのは珍しい。
保護者の前であっても教師は子どもにタメ口を使う。
そういうものだった。
じゃあ、もしかして長谷部さん、も……姉を?
というか、姉さんが面食いすぎる。
「そうか、お姉さんと同じアパートに引っ越してきたんですね」
「は、はい。部屋は、違いますけど……」
「ふむ……この辺り、女子校も近くにあるから変質者が出やすいんです。なにかあったら、すぐに警察に連絡するように。今は男の子も危ないですからね」
「……は、はい、ありがとうございます……あの、四月から、よろしくお願いします」
「入学式で会えるのを楽しみにしているね」
ぽん。
頭に大きな手が乗る。
最後、ようやく敬語が外れた。
しかし、その口調はやはり穏やかで優しい。
「……あ、あの、お出かけなら、途中までご一緒しませんか?」
なんだと?
思わず姉を見上げてしまう。
初対面の男と、それにあからさまに片想いしている姉と三人で出かけるとか地獄でしかない。
絶対嫌なんですけど、と目で訴えるが……姉の熱のこもった眼差しは長谷部さんに注がれていて俺の事など見えていないようだ。
「お誘いはありがたいんですが、これから他の学校に行かなければいけないので……」
「あ、そ、そうなんですか……」
「幸介くん」
「え、あ、はい」
「俺はカウンセラーの資格もあるから、悩みがあったら気軽に相談してね。お姉さんに相談出来ない男の悩みとかも、あると思うし……。……それじゃあ、飯橋さん、今日は暖かくなるみたいですが、まだ風は乾燥しているのでお気をつけて。そろそろ変質者も増えてくる季節ですしね」
「あ、は、はい。ありがとうございます。あの、いってらっしゃい」
「はい、いってきます。真崎さんもいってらっしゃい」
「は、は、はいっ! いぃいってきまーす!」
「…………」
それから姉と共に日用品や家電を買いに町へと出向いた。
可及的速やかに必要なものは冷蔵庫、テレビ、ベッド、カーテン、テーブル、椅子……。
皿、コップ、歯ブラシ、タオル等は百均で揃え、大きなものはお店の人に夕方配送してもらう事にした。
今日の夕飯は外食。
姉が入学祝いといってファミレスに連れてきてくれた。
今日の買い物も姉がコツコツ貯めたお金だったので、姉には本当に無理をさせていると思う。
早めにアルバイトを探して、自分の家賃は自分で払えるようにしなければ。
もう、母さんには頼らない。
高校を卒業したら就職しよう。
「……そういえば、姉さん好きな人いたんだね」
「は?」
たくさんご馳走になって、ファミレスから出る時になんとなしに口にした言葉。
姉が爆発したかのように分かりやすく真っ赤になったので、改めて確信した。
姉はあの長谷部さんという人が好きなのだ。
確かに背も高く、声は低く、教師という職を思うと顔面だけでなく頭も高偏差値なんだろう。
カウンセラーもやっていると言っていたから、優しい人なんだろうし。
「なっ、あっ、なっ……」
「? まさかバレてないと思ってる? 朝会った人、だよね? 長谷部さん」
「なんで分かったの!」
嘘だろ?
マジでバレてないと思ってたの?
あまりの事にジト目で見つめてしまう。
しかし姉はそれどころではないらしい。
顔を真っ赤にして、悶絶している。
「絶対言わないでよ! じ、自分でいつか言うんだから!」
「うん……バレンタイン近いしね」
「あわわわわわわわわ……!」
なにを想像したのか、また悶絶が始まった。
くねくね、うねうねと……路上でこれは怪しすぎるかもしれない。
そんな姉の背中を押して、帰路を急ぐ。
バスに乗り、最寄りのバス停までの移動中、ぽそり、と姉は話してくれた。
「…………長谷部さんは覚えてなさそうなんだけど、小学校の時に変質者から助けてくれた上級生がいたのよね……。追い回されて、怖くて困ってたら、颯爽と現れて家まで送ってくれたの……お礼を言おうと思ったけど、別の小学校だったみたいで……」
「よく覚えてたね?」
「そりゃ忘れられないわよ。初恋の人だもん」
指をツンツン突き合わせて話す姉は、乙女だった。
美容師という職柄、姉はなかなかに見た目が派手だ。
職場の人にヘアモデルされるから。
そんな派手な見た目からは想像もつかないほどに……乙女な話を聞かされた。
身内としてこの上なく複雑だが、幼少期の姉を助けてくれた人なら俺にとっても恩人。
「応援するよ。今も変わらず、すごくいい人そうだもんね」
「でしょでしょ? そうなのよ! 一目見た時から『あ、絶対あの時の人だ!』って分かったもの! 小学校の頃に変質者から女の子を助けませんでしたかって聞いたら、よく覚えてないって言ってたけどねー。…………なんか、よくそういう事があったって言ってて。どれの話? って、聞き返されて……ゾッとしたよね」
「……ゾッとするね」
どれの話って……。
その言葉に込められたものから目を背けたくなるな。
でも、それだけその人は人を助けてる人なんだな。めっちゃいい人じゃん。
「今はカウンセラーとしていろんな学校に出張したりするんですって。基本は体育みたいだけど、整体も少し出来るって言ってたよ!」
「へー」
「それに、スーパーで買い物してる時『お料理するんですか?』って聞いたら自炊してるって言ってた! 料理も出来るなんてもう完璧じゃない? すごくない? あれで彼女がいないなんて信じられないよね~」
「本当にいないんだ?」
「そうなの! 今まで一度も彼女を連れてきた事ないんだよ。学校が忙しくて全然出来ないんだって。ふあ~、あたしでよければいつでも彼女になるのにぃ~! 放置されてもいいから彼女にして欲しいよぅ!」
「…………」
向こうにも選ぶ権利はある。
しかしながら姉のこんなとろけた顔を見せられては言い出せない。
それに、姉は優しくて何事にも前向きだ。
料理はやや苦手だが掃除も洗濯も自分でこなす。……やるだけで、上手いとは言ってない。
アパートに着くとこうして荷解きやベッドの組み立て、カーテンの取り付けも手伝ってくれる。
疲れ果てて眠った翌日も、ちゃんと心配して顔を出してから出勤してくれるし……。
「それじゃあお姉ちゃん、今日はお仕事行くから。なにかあったら電話してね」
「うん、いってらっしゃい」
「いってきまーす」
笑顔の姉は可愛いと思う。
幸せになって欲しい。
まだよく知らないけど、姉を幼い頃にも助けてくれた人なら……任せていいんじゃないかな?
本人も彼女になりたがっていたし。
──ピンパーン。
部屋の片付けの続きをして、テレビを接続。
パソコンのWi-Fiの設定をしていた時だ、玄関のチャイムが鳴る。
「はーい」
昨日買った荷物が届いたのかな。
深く考えずに玄関を開ける。
覗き穴から確認もしなかった。
でも、しておけば良かったのだ。
そうしておけば、少なくとも──……。
「あの、隣に引っ越してきた冬紋と申します! よろしくお願いします!」
「…………とうもん……せりな、ちゃん?」
「………………え?」
十年ぶりに会った彼女に、だらしないスウェット姿で再会する事はなかっただろう。
応援ありがとうございます!
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