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《175》恋心

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「バーテンベルク伯爵ご令息」


話しかけてきたのはメシャール侯爵だった。

マルコリーネの父親だ。噂をすればなんとやらである。


「·····そちらは?」


「ノワ・ボース・パトリック伯爵ご令息です」


キースがノワを紹介する。

侯爵はこちらを一瞥し、直ぐにキースへ視線を戻した。

一瞬向けられたのは、驚くほど冷ややかな視線だ。
関わる必要が無いと瞬時に判断した事は言うまでもない。


「彼は、第一皇子殿下から招待をいただいたんです」

「殿下直々に?」


侯爵が目を見開く。ノワはギクリとした。

虎の威を借る狐になるのは嫌だ。


「ちょっとお手洗いに·····」


そそくさとその場を離れようとすると、キースがノワを呼び止めた。


「ノワくん」


若干の気まずさを感じながらも仕方なく振り返る。

何か言いたそうな顔は、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべた。


「またね、ノワくん」


("またね"·····?)


妙な言い方だ。
今日は流れる水のように、存在感を消していたい。
ノワは彼らから離れ、窓際に移動した。

酒を避けて水の注がれたグラスを手に取る。

不意に、辺りが薄暗くなった。
開会式が始まるようだ。


「皇子殿下のご登場です」


アナウンスと共に、舞台に光が集まる。


「·····!」


中央階段から正装に身を包んだフィアンが現れた。

撫でつけられた黄金の髪は、照明のせいでいつにも増して神々しい。ノワは思わず踵を持ち上げ、フィアンを見上げた。


「この度は我が父、そして11代目皇帝陛下の40周年記念式に出席いただき感謝する」

凛々しい声が会場に響く。
玉座に腰かけた皇帝が祝杯の合図をとった。

危篤状態にあると聞いていたが、顔色は悪くない。
隣に座る皇后と微笑み合う皇帝を眺めながら、ノワはふと、会場を見渡した。

第二皇子は参加していないようだ。

彼は公に姿を表さないことで有名だが、皇族ならば、今回の式には参加するべきだ。

非常識な皇子だ。


(でも·····)


勇敢な国の英雄で、自分を助けてくれた心優しい青年。
いつか会えたなら、礼を言いたい。彼が覚えていなくとも。


(それで、もしタイミングがあれば、リダルの悪い所も告げ口しようっと)


いつも偉そうなリダルだが、主には頭が上がらないはずだ。

ニヤニヤしていたノワは近づいてきた相手に気が付かなかった。

ドン、と、背中に衝撃を感じた。


「!」


赤い縦髪ロールが、バラの花のように舞う。ノワはぶつかってきた女性を抱きとめた。


「メシャール侯爵令嬢?」

「あらぁ?」


気の抜けた高い声が漏れた。
瞬間、つんとしたアルコールの臭いが立ちこめる。


「あなた、ワタクシのことをご存知なの?」


狐のような目がじっとこちらを見つめる。


「ええっと·····はい、お美しいご令嬢のことを、存じ上げないわけがありませんから」

「ワタクシ、あなたみたいな女男、知りませんわ」


彼女は酔っている。ゆえに、今の台詞は思ったことをそのまま口にしたのだろう。

ノワの心臓に鋭い刃が突き刺さった。

マルコリーネは一度体勢を立て直し、再び前のめりに倒れ込む。


「きゃあっ」


ノワは再び彼女を支えた。


「あ、あなた!女男のくせに·····」


顔が真っ赤だ。
余程飲んだに違いない。ノワはマルコリーネの腰を引き寄せ、壁際の椅子に座らせた。


「どうぞ、お水です」


彼女は差し出したグラスをひったくり、一気に中身を飲み干してゆく。

キースへの態度とはまるきり別人だ。


「なんなのよ·····」


瞳がじんわりと潤んでいる。今にも涙がこぼれおちそうだ。

彼女の視線は、遠くにいるキースに注がれていた。


「ワタクシは、帝国一の美女なのよ·····どうして、キース様は·····」

「あ·····」


悲しげに下がった眉は震えていた。

彼女の性格は褒められたものでは無いが、キースを想う気持ちは純粋な恋心だ。

ノワは、手のひらを見下ろした。



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